会議後の夜、屋敷にて
その夜、シーラの屋敷は静かだった。
森をわたる風が葉を擦り合わせ、
家の外壁に“ミストラの帯”がかすかに流れている音がする。
部屋に戻った途端、背中の力が抜けた。
「……ひどい会議だったわね」
側近の エルン(年若い文官) が、温かい果実茶を差し出す。
「サガ、という名の人間が来ただけで派閥争いの延長戦。
本当に、長老会は話が早いのか遅いのか……」
シーラは椅子に深く座り込んだ。
⸻
「で、どう見たんです? あの子を」
エルンが声を潜めて問いかける。
シーラは少し迷い、窓の外の黒い森へ視線を向けた。
「“普通”ではなかったわ。
けど、危険……というより、“可能性”だった」
「可能性?」
「ええ。
あの子を恐れすぎているのは保守派だけ。
改革派にとっては、むしろ好機になり得る」
エルンの眉が上がる。
「それって……利用する、という意味ですか?」
「違うわ。
あの子は使い物になるかどうかじゃない。
森そのものが、あの子を拒まなかったのが異常なのよ。
禁域近くで“生きて”倒れていた。
ミストラの流れが濃い場所でよ?
エルフでも近づけば昏倒するくらいなのに」
エルンが息をのむ。
「つまり……本当に何かの“適合者”なのでは?」
「かもしれないし、違うかもしれない。
でもね――」
シーラは指でカップを軽く叩いた。
「禁域が選ぶのは、いつも“役目を負う者”。
巫女も、守護も、変革も。
あの子が来たことで、うちの里はきっと動き出すわ」
エルンは苦く笑った。
「動き出すというより、また揉めそうですけど」
「……それは間違いないわね」
シーラも小さく笑った。
だが、その目はずっと鋭さを失っていなかった。
⸻
「レティアに対しては?」
「彼女は責められすぎてる。
むしろ動けたことが評価されるべきなのに」
エルンが迷いながら告げる。
「……レティアが、少しあの子に肩入れしてるように見えました」
シーラはその言葉に反応し、ゆっくりと目を閉じた。
「ええ。
あの子は、何かを“変える側”の匂いがする。
レティアのような真っ直ぐな子は……惹かれてしまうわよ」
「それは、危険では?」
「危険よ。でもね」
シーラは薄い笑みを浮かべる。
「変革には、危険の匂いがつきものよ。
だから私は、あの子を手放すつもりはない。
保守派に潰される前に、必ず位置づけを決める。」
エルンは姿勢を正した。
「……シーラ様は、あの人間を“守る”気なのですね」
シーラは頷く。
「守るし、見極める。
彼が森の敵なら排除するし、
味方になりうるなら、こちらから手を伸ばす。
――どちらにしろ、放置できる存在じゃないわ。」
そして、窓の向こうの闇へつぶやく。
「サガ。
あなたが、森の秩序を乱すのか。
それとも、新しい夜明けを連れてくるのか……
私は、見届けるわ」
エルンは静かに頭を下げた。
「では……明日の会議までは、“改革派の旗色”を整えておきます」
「お願い。
夜が明ける前に、森全体がざわめき始めそうだから」
風が大きく揺れ、
ミストラの光が一瞬だけ屋敷の梁を照らした。
シーラは微かに眉を寄せた。
「……始まるわね」
――そして夜は静かに更けていく。




