森と崖の間
森と崖のあいだに、風の通り道のような広場があった。
地面は踏み固められ、上空だけが不自然に開けている。
「ここよ」
イレナが立ち止まる。
「興味を持った子は、自分から来るわ。
だから、呼ばないで。見ないで。追わないで」
サイラが付け足す。
「……あと、期待もしないことだね」
甲州とピコは黙って頷いた。
静かすぎる。
森の奥には確かに気配がある。
崖の縁にも影はある。
だが、いつものような羽音が降りてこない。
イレナが、わずかに眉を寄せた。
「あれ……?」
声を潜める。
「鳥たちが、距離を保ってる……?」
サイラが気づき、視線を走らせる。
「……様子見、だね。いつもなら入れ替わりでちょろちょろ寄って来る子がいるのに...」
ラドゥは何も言わない。ただ、ピコと甲州を交互に見た。
時間だけが過ぎる。
その時だった。
空気が、沈んだ。
風が一段重くなり、
広場の中央だけが押し潰されるように歪む。
甲州が喉を鳴らす。
「……なんか、来る」
降りてきたのは、一羽だけ。
バレストラの鋭い輪郭。
ウィスプホークの柔らかな羽運び。
本来、交わらないはずの二つが、ひとつの身体に収まっている。
体躯は明らかに大きく、
羽の色は淡いピンクから輝くような白銀へと滑らかに移ろう。
その瞬間――
周囲の鳥たちが、一斉に距離を取った。
崖の影が退き、
森の気配が、静まる。
イレナが、息を止める。
「……そんな……」
声が、明らかに低くなる。
「混血……」
呟くように。
サイラが、冗談めかした口調を失った。
「あの大きさ……」
ラドゥが、はっきりと言った。
「普段姿を見せない希少種だ」
鳥は、ピコだけを見ている。
他を、完全に無視して。
イレナが、恐る恐る言った。
「……誰にも、馴れなかった子よ」
「近づいたエルフも、リザードマンも……全員、弾かれてる」
鳥が、翼を一度だけ打つ。
叩きつけるような風。
「……っ」
ピコが思わず一歩下がる。
イレナは、かろうじて笑ってみせた。
「ふふ……嫌われちゃった、わね」
だが、鳥は離れない。
距離を詰め、
視線を逸らさず、
まるで“測る”ように、ピコを見据える。
その瞬間――
意識が、引き抜かれた。
風の中に落ちる。
上下が消え、
視界が反転する。
見下ろす自分。
いや、見下ろされている自分。
違う。
自分が、鳥になっている。
羽の感覚。
風圧。
空の重さ。
境界が溶け、
「自分」という輪郭が曖昧になる。
(……あれ?)
完全に溶け切る直前――
バチン、と。
強制的に断ち切られる。
ピコは大きく息を吸い、現実に戻った。
目の前で、
その鳥が、深く頭を下げていた。
希少種が。
誰にも馴れなかった個体が。
沈黙が落ちる。
イレナは、しばらく声が出なかった。
やっとのことで、微笑む。
「……選ばれた、わね」
「しかも……とんでもない子に」
サイラは、ゆっくり息を吐く。
「……これは」
「想定外どころじゃないな」
ラドゥは短く告げる。
次は、甲州だった。
――だが、待っても待っても、鳥は現れなかった。
風だけが通り抜け、
森も崖も、静まり返っている。
「…こんなに鳥が寄ってこない日は初めてだ…今日は、ここまでかな」
サイラがそう言って、崖に背を向けた。
その瞬間だった。
――ドンッ。
大気が地面を叩いたような、重い衝撃音。
全員が反射的に振り返る。
そこに立っていたのは――
グレイモウのキング。
群の王。
崖の上から決して降りてこない、
誰もが知る“動かぬ存在”。
「……この子……!」
イレナが息を呑む。
「崖から降りたことなんて、ないわ……
群の王よ……まさか……」
グレイモウキングは、
甲州の前まで、トタットタッと歩み寄ってきた。
近い。
近すぎる。
甲州と目が合う。
その瞬間――
こめかみの奥を、内側から叩き割られるような痛み。
「……っ!」
“相性を見る”なんて生易しいものじゃない。
これは、完全に――殴り合いだ。
甲州は、視線を逸らさなかった。
頭の奥が割れるように痛む。
それでも、逃げなかった。
(負けるかよ……)
歯を食いしばり、
視線で殴るつもりで、グレイモウキングの目の奥へ意識を叩きつける。
――その瞬間。
視界が、裏返った。
世界が、急に高くなる。
足元が遠い。
崖が低く、森が広がり、
その中央に――
倒れている自分が見えた。
(……は?)
自分が、いる。
地面に伏せている自分。
甲州自身の姿が、はっきり見える。
(なんで……俺が、見えて――)
理解する前に、
重たい鼓動が、胸の内側から響いた。
それは自分のものじゃない。
――グレイモウキングの視界。
「……っ」
次の瞬間。
――――真っ暗。
音も、感覚も、全部が切れる。
――――
どれくらい経ったのか、分からない。
最初に戻ってきたのは、湿った土の匂いだった。
次に、冷たさ。
頬に、硬い感触。
「……?」
目を開ける。
視界いっぱいに、地面。
砂と土と、小さな石。
(……あれ?さっきまで俺自分見てなかった???)
さっきまで、
自分が倒れているのを、上から見ていたはずなのに。
今は――
自分が、その倒れている側だ。
(……えっ……)
状況が、噛み合わない。
さっき自分を見ていた。
なのに今、自分が倒れている。
「……なんで……?」
混乱していると、
コツン、と軽い衝撃。
頭に、何かが触れる。
くちばしだ。
視線を上げる。
そこにいたのは、
グレイモウキング。
首を傾げ、
様子を確かめるように、じっとこちらを見ている。
敵意はない。
むしろ――
じゃれるように、もう一度、つついてきた。
「……マジかよ……」
甲州は、混乱する。
(……ああ……ぶつかったんだ…ぶつかって…どうなったんだ…?)
意識と意識が。
サイラが、息を呑む。
「……今のは……失敗じゃない……?」
ラドゥが、低く言う。
「……あんな乱暴なカップリング見たことないぞ……」
イレナは、震える声で呟いた。
「……マナが……繋がってる……」
本来、鳥のカップリングは、目を合わせて気が合うかどうかの儀式でしかない。
いきなり意識やマナが繋がる事はない。
甲州は、ゆっくりと体を起こす。
頭は重い。
視界も、まだ少し揺れる。
それでも、
自然と手が伸びていた。
大きな頭に、そっと触れる。
「……お前…」
言葉にした瞬間、
グレイモウキングは低く鳴き、翼を広げた。
強い風。
土埃。
その巨体は空へ舞い上がる。
すでに空にいたもう一羽――
ピコの相棒も、それを追った。
二羽は、それぞれの縄張りへ戻っていく。
イレナが、ぽつりと呟く。
「……鳥の視点を、
先に渡されるなんて……」
サイラは、信じられないものを見るように笑った。
「……聞いたこともないよ……」
ラドゥは、淡々と締める。
「……いずれにせよ」
一拍。
「大変なのはこれからだ…」
甲州は、フラフラした頭で空を見上げた。
まだ、何が起こったか何も分からない…




