そういう顔だ
ボールゾーンを抜けた瞬間、
空気の質が変わった。
風が、一定じゃない。
前方に、細長い影がいくつも浮かんでいる。
一本、二本じゃない。
高さも長さも違う“棒”が、
空中を滑るように動いていた。
「はい次」
サイラが軽く言う。
「タイミング見ると遅れるよ」
言い終わる前に、
一本のバーが横から滑り込む。
速い。
サイラのバレストラが、
反射的に身体をひねる。
避けきれない。
――と思った瞬間、
鳥の翼が、ほんのわずかに沈んだ。
バーの下を、紙一重で抜ける。
「今の、鳥に任せたね」
イレナが楽しそうに言う。
「うん。あれは考えたら当たる」
次の瞬間、
今度は上から。
バーが、落ちるように降ってくる。
ラドゥのグレイモウは避けない。
翼を広げ、
風圧で押し返す。
バーが弾かれ、
軌道を変えた。
「力技すぎるでしょ!」
「合理的だ」
ラドゥは淡々としている。
その横を、
イレナが信じられない動きで抜けた。
ウィスプホークの身体が、
くるりと縦に回転する。
背中が下になり、
次の瞬間には正位置。
バーとバーのわずかな隙間を、
糸を通すように滑り抜ける。
「……今のどうなってるの?」
甲州が呆然とする。
「一体化してるとね」
サイラが答える。
「身体の上下が、意味なくなる」
最後のバーを越えた瞬間、
視界が――霞んだ。
霧。
川霧とは違う。
意図的に濃度を変えられた、
重たい霧。
「ここから魔法ゾーン」
イレナの声が、少しだけ低くなる。
空気が揺れる。
何も見えないのに、
“何か来る”のが分かる。
次の瞬間、
サイラの横で空気が爆ぜた。
「うわっ、いきなり!?」
「デモだから弱めよ」
イレナの声が、霧の向こうから聞こえる。
サイラは笑った。
「いや、今の普通に当たったら落ちてる」
その時、
ラドゥの前方で、霧が裂けた。
直線的な魔法。
避けるか、
防ぐか。
ラドゥは――下げた。
鳥ごと高度を落とし、
魔法の下を潜る。
そのまま上昇。
霧を突き破る。
「……えげつない」
サイラが呟く。
「読みが甘いと、全部持っていかれる」
ラドゥは淡々と続ける。
霧の中、
突然、重力が狂う。
イレナの鳥が、
一瞬、引っ張られた。
「っ」
しかし、落ちない。
イレナは鳥の首元に身を寄せ、
呼吸を合わせる。
鳥が、霧を蹴った。
ありえない。
霧の中で、
方向転換。
「……それ反則じゃない?」
サイラが言う。
「正式にはOK」
イレナは微笑んだ。
“空間”そのものを使って、
妨害し合っている。
速度が落ちる。
視界が消える。
感覚だけが頼りになる。
それでも――
三羽は、
落ちない。
ピコは、気づいてしまった。
誰も、
無理に操縦していない。
鳥が飛び、
人が“そこにいる”。
それだけ。
霧を抜けた先で、
三人はほぼ同時に減速した。
「ふぅ」
サイラが息を吐く。
「デモにしては、やったね」
「あなたが最初に当ててきたでしょう」
イレナがくすっと笑う。
楽しそうだった。
軽やかだった。
でも――
簡単そうには、見えなかった。
空に残る霧が、
ゆっくりと晴れていく。
その向こうに、
スパイラルコーストの続きを予感させる空が、
まだ広がっていた。
三羽は川辺へと高度を落とし、
ほとんど水面すれすれで速度を殺した。
風が静まり、
羽音だけが残る。
イレナが最初に地面へ降りる。
続いてサイラ、最後にラドゥ。
三人は、ごく自然にピコと甲州の前へ歩いてきた。
「どうだった?」
サイラが、いつも通りの穏やかな声で聞く。
ピコは口を開き、
すぐ閉じた。
甲州が、代わりに絞り出す。
「……どうもこうも……」
少し笑ってしまう。
「これ、出来るようになるの……?」
サイラは肩をすくめた。
「普通はね。すぐには無理」
ラドゥは、短く言った。
「本番なら、ここで半分落ちる」
ピコと甲州は、
言葉が出なかった。
イレナが、くすっと小さく笑う。
「本当はね、今通った所以外にも――」
ラドゥが淡々と付け足す。
「乱気流ゾーン」
「洞窟ゾーン」
「視界ゼロで進路選択を迫られる区画もある」
甲州は乾いた声を出した。
「……まじかよ」
イレナは優しく言う。
「でも、あなた達はやらないといけない」
その言葉に、
ピコと甲州の視線が、自然と上がる。
イレナは、まっすぐ二人を見る。
「人を探しているんでしょう?」
一瞬、空気が変わった。
ピコの目に、
甲州の背筋に、
はっきりとした“力”が入る。
サイラは、その変化を見逃さなかった。
「……そういう顔だ」
ラドゥも、短く頷く。
「理由があるなら、覚えは早い」
二人は顔を見合わせ、
同時に一歩前へ出た。
「僕たちのために」
ピコが、はっきりと言う。
「時間をつくって下さり、ありがとうございます」
甲州も続ける。
「ここまで見せてくれて、教えてくれて」
二人は、深く頭を下げた。
「全力で頑張ります」
「どうか、ものになるよう指導してください」
沈黙。
短いが、重い。
サイラは、ふっと息を吐いて笑った。
「いいねぇ」
イレナは、柔らかく微笑む。
「嫌いじゃないわ、そういうの」
ラドゥは一瞬だけ考え、
静かに言った。
「……途中で投げないなら、こちらも全力でやる」
三人は視線を交わす。
言葉はいらない。
「じゃあ決まりだね」
サイラが、楽しそうに言った。
「明日から――本格的に行こう」
イレナが、少しだけ悪戯っぽく付け加える。
「落ちても大丈夫なところから、ね」
ラドゥは淡々と締めた。
「最初は、鳥に嫌われるところからだ」
ピコと甲州は、顔を見合わせる。
逃げる理由は、もうなかった。
川の向こうで、
風が、再び強く吹き始めていた。




