鳥笛
スィル=ハイム北側。
大河ナハ=ルートの川辺に立つと、風の質が少し変わる。
川はここで大きくうねり、幅を増し、流れも深くなる。
岸には濃い森が広がり、その向こう、東側には切り立った崖が連なっていた。
川沿いの斜面には、自然に削られた段差が幾重にも重なり、
まるで山そのものが観客席になったかのように見える。
崖の一部と一体化するように、段々状の観客席がせり出している。
削られた岩と木製の足場が組み合わされ、遠くまで続くそれは、山肌そのものが競技を見下ろしているようだった。
「……でか」
甲州が思わず声を漏らす。
競技場、と聞いて想像していた“囲われた場所”とはまるで違う。
ここには壁も、天井もない。
あるのは、川、森、崖、そして――空。
「全部、自然をそのまま使ってる」
サイラが観客席の上段を見上げながら言った。
「どうだい?興奮するだろ?」
川の中央付近。
空中に、不自然なものが浮かんでいるのが見える。
丸い球体がいくつも、一定の間隔で宙に留まり、
ゆっくりと回転していた。
「……あのボール浮いてる?」
ピコが目を凝らす。
ラドゥが淡々と答えた。
「ボールゾーンだ。
鳥がスピンしながら、ボールを弾いて妨害しあう。マナで防御できずに当たると痛い」
その先をよく見ると風の流れが歪んでいる。
そこを通ろうとした葉が、不自然に弾かれて落ちた。
「読み甘いと、弾かれる」
ラドゥは短く言う。
「逆に、上手く使えば加速にもなる」
少し下流側には、細長い影が見えた。
「あそこは動くバーだね」
サイラが指差す。
「上下、左右、たまに斜めランダムで動いてる。
タイミングを読むか、鳥に任せるか」
さらに奥。
川霧が濃く立ち込める一帯では、空気がわずかに揺れている。
イレナが、そっと目を細めた。
「……あそこは、妨害魔法の区画ね。あそこだけは対戦相手に魔法を仕掛けてOKなの。」
観客席からは、そのすべてが見渡せる。
誰がどこで失速し、
誰が風に乗り、
誰が脱落するのか。
「だから人気がある。人間領の方ではプロリーグもあるからね。1ヶ月後の大会の上位者は種族対抗大会に出るんだよ。」
その瞬間、
向こうの崖で、何かがわずかに動いた。
イレナが、首元の笛に指を掛ける。
「……じゃあ」
イレナはそう言って、にこりと笑った。
「まずは、どんなふうに飛ぶのか。見てみたくない?」
首に掛けていた笛を、そっとくわえる。
吹いたはずなのに、音は聞こえなかった。
その瞬間だった。
向こうの崖に留まっていた一羽が、ぴくりと身じろぎする。
次の刹那、ためらいもなく崖を蹴った。
落ちる――と思う間もなく、
大きな羽が一気に広がる。
淡い薄桃色の体毛。
羽の先へ行くほど、やわらかな黄色へと溶けていくグラデーション。
羽ばたくたび、光と風が絡み合うようだった。
こちらへ向かって、まっすぐに近づいてくる。
「うぉっ……」
甲州が思わず一歩引く。
近くに来てみると、想像以上に大きい。
翼を畳んでも、全長は三メートルほどはありそうだった。
イレナはためらいなく両腕を広げる。
聖なる川、シィル=ヴァーンの水音を背に、
鳥は静かに降り立った。
「ミレア。元気にしてた?」
イレナが目の下の羽毛に指を滑り込ませると、
ミレアと呼ばれた鳥は気持ちよさそうに目を細めた。
「まずは、見ててね」
そう言って振り返り、
ピコと甲州にやさしく微笑む。
ミレアは片方の羽を軽く持ち上げる。
自然と、足を掛けられる位置だ。
イレナは迷いなく飛び乗った。
バサッ――
重く、澄んだ羽音。
次の瞬間、二人はふわりと宙に浮かび、
そのまま空へと持ち上がっていく。
「さぁ、行くわよ!」
ミレアの尾翼が鋭い三裂形に開いた。
三本の指を広げたような形で風を切り、
一気に加速する。
「……わぁ……」
ピコが、息を吐くように呟いた。
その様子を見て、サイラが小さく口角を上げる。
「イレナとミレアは仲がいいからね」
視線を空へ向けたまま続ける。
「ミレアはウィスプホーク。
バランス型だ。
他にもスピード特化のバレストラ、
パワー型のグレイモウがいる」
一拍置いて、少しだけ肩をすくめた。
「でも、好みだけじゃ選べない。
鳥のほうが、先にこっちを選ぶんだ」
「マナ、ですか」
ピコが小さく呟く。
「そう」
サイラは頷いた。
「相棒になったら、マナを通わせる。
そうすると、その鳥としか飛べなくなる」
ちらりとピコを見る。
「残念だけどね。
鳥たちは縄張りからは離れない。
旅には連れていけないんだ」
ピコは露骨に肩を落とした。
「……そっか」
サイラは、からかうようにウィンクする。
「じゃあ、今度は僕たちだ」
そう言って、ラドゥに視線を送る。
ラドゥは無言で頷いた。
二人が同時に、音のない笛を吹く。
「実は笛がなくても呼べるんだけどね」
ラドゥが淡々と言う。
「これは今流行りの……装いみたいなものだ」
崖の影と森の向こうで、別の気配が動き始めていた。




