道具屋
市場のいちばん奥まったところに、
水で黒ずんだ木扉の道具屋があった。
「では……交渉ごとは私が行います」
ベラが静かに宣言すると、
ピコと甲州は揃ってうなずいた。
高校生に値段交渉の経験などない。
扉の金属輪がチリンと鳴り、
三人は中へ入った。
油と鉄の匂い。
棚には工具と銀細工の部品。
店主は紙片をめくりながら顔を上げた。
ベラはフードを深くかぶり直し、
カウンターへゆっくり“光る果実”を置いた。
「売りたい物があるのだけれど……
あなたに《これ》を扱えるかしら?」
フードの奥、金属質の顔がかすかに光る。
ピコと甲州は同時に思った。
(ベラさん絶対交渉の仕方間違えてますってーーー!)
だが、店主の反応はまるで逆だった。
***
店主は息を詰まらせ、
肩がカタカタと震え始めた。
「……お、おまえら……っ
こっ、これ……どこで盗ってきた……!」
声が裏返る。
「こんな代物……!
うちみたいな店が扱えるわけねぇ!
ウチは裏社会とも繋がってねぇんだぞ……!」
ピコと甲州はぽかんとするしかなかった。
盗んだと言われても困るし、
裏社会と言われてもなお困る。
しかし、ベラは微動だにしなかった。
「落ち着いて。
きちんとしたところに引き取ってもらいたいだけよ」
店主は頭を抱えた。
額に手を当て、深く息を吐く。
「……“きちんとしたところ”だと?
そんなの……水脈院しかねぇ……」
その言葉に、三人は一瞬だけ顔を見合わせた。
名前に聞き覚えはない。
ただ、その響きだけで
“簡単に関れない相手ではない”と分かる。
ベラはしかし、淡々と続けた。
「紹介してもらえる?」
店主は硬直した。
「……正気か、お前……!?
いや……待て……
いや、待てよ……」
自分の口から出た言葉を反芻し、
商人特有の“計算”が瞳に灯る。
水脈院への厳選品ルートに名が刻まれれば──
この道具屋の格は跳ね上がる。
葛藤の末、
店主は渋い声で言った。
「……分かった。
ただ……時間かかる。
ここで待ってろ」
「待てます」
ベラが即答する。
店主は奥の扉へ駆け込み、
バタン、と勢いよく閉めた。
静まり返る店内で、
ピコと甲州はじわりと顔を見合わせる。
……やっぱりベラ、
交渉の仕方、間違ってたよな。
◾︎◾︎水脈院
川底の静慮堂での〈流視〉が終わった後から
高弟ラドゥとイレナはまだ胸の奥に波紋を抱えていた。
──“流れたる者、スィルに姿を現す”
シャーマンの言葉は比喩にも聞こえたが、
どこか否応なく“現実の兆し”のように感じられる。
二人はその感覚を振り払えないまま、
研究棟へ戻る長い回廊を歩いていた。
そのとき。
水脈院の正門から、
市場の道具屋が息を切らして駆け込んだという報せが、
中脈(3位階)たちの間でざわつきを生む。
「……道具屋が何の用だ?」
「税か許可証かと思ったら違うらしい。
“扱いきれない品”を持ち込まれたとか」
事務官たちは笑いながら話していた。
大したことではないと、誰もが思っていた。
だが次の言葉で、空気が止まる。
「アンコロール……オーブ、と」
ざわり、と中脈が震えた。
一瞬の静寂のあと、嘲笑が起こる。
「そんな物、街中に出回るはずがない!」
「識別できる者が市場にいるわけが……」
「偽物だ、間違いなく!」
しかし、その笑い声の奥に、
どこか“触れてはならないものを聞いた”ような
冷たさも混じっていた。
***
そのざわめきを、廊下で立ち止まった二人が聞いていた。
ラドゥとイレナ。
さっきまで重かった〈流視〉の余韻が、
今は明確な“輪郭”を得て胸に迫る。
イレナが静かに問う。
「……アンコロール、ですって?」
事務官が慌てて振り返る。
「い、いえ!道具屋がそう“言い張る”だけでして!
本物なはずが──」
言い訳は最後まで続かなかった。
ラドゥの視線に射抜かれたからだ。
「詳細を」
事務官たちは顔を見合わせ、
震える声で説明する。
「……旅人が市場に来て、
“光り、内側が脈動する物”を
売りたいと言ったそうで……」
イレナは息をのみ、
ラドゥは目を伏せる。
〈流れたる者〉
〈スィルに現れる〉
たった今聞いた預言の断片が、
勝手に結びついてしまう。
もちろん、早計だ。
だが──無視できるはずもない。
ラドゥが静かに告げた。
「案内しなさい。
事実を確認する必要がある」
その瞬間、
中脈全体がざわりと揺れた。
さっきまで嘲笑していた職員たちが、
次々と青ざめていく。
「ま、まさか……本物の可能性が……?」
そして誰かが呟く。
「もし流視と関係があるなら……
これは、ただの珍事では済まない……」
水脈院に緊急の緊張が走った。
外では、
道具屋の主人がまだ門の前で汗をぬぐっていた。
──彼は知らなかった。
自分の報告が、
水脈院という巨大な静脈を
“本気で動かしてしまった”ことを。




