串焼き
夜の湿った空気を背に、三人は門前の草地で静かに夜を明かした。
暗がりの向こうから聞こえてくる水音は、川というより“息づく獣”の眠り声のようで、
ときおり風が流れ込むと月明かりの粒が水面に散って揺れた。
「……夜に入るのは失礼って、あいつら言ってたな」
ピコが呟くと、甲州は寝袋の中であくびを噛み殺した。
「いいよ別に。朝のほうが街って感じするだろ」
ベラは無音で星空を見上げていた。
街の中心へ続く二本の川──シィルとナハ──その湿った流れが、
風に運ばれてくるたびに微かに“冷たい石の匂い”を混ぜてくる。
そうして一晩が明けた。
***
朝陽が川に落ちると同時に、
スィル=ハイムの全貌が霧の幕から現れた。
細い川シィル=ヴァーンは、
まるで削り出したガラスをそのまま水にしたかのような透明度で、
底の白い砂までくっきりと見える。
その隣を流れる大河ナハ=ルートは、
静かで深く、色を抱え込んだまま動く巨大な湖のようだった。
二つの川は寄り添うように街を貫き、
水路と家屋と橋のすべてが
“水の心臓”を中心に脈動しているように見えた。
「うわ……やべぇな」
甲州が足を止める。
彼の瞳に映るのは、川の上に張り出した巨大な杭住居群。
朝日を受けてきらめく苔光ランプ。
水面下でゆっくり回る歯車。
「街そのものが動いてるみたいだ……」
その横で、ピコは別のものに吸い寄せられていた。
魔法陣が刻まれた薄板が、店先に涼しげに吊るされている。
風が当たると、陣の線がわずかに発光し、
渦巻き模様がくるり、と方向を変えた。
「……あれ、なんだ……?」
まるで教科書の続きが街中に散らばっているようで、
ピコは歩きながら視線が泳ぎっぱなしだった。
そして三人目。
ベラが急に足を止めた。
遠くの広場から流れてくる打楽器の音。
乾いた皮と金属が混ざる独特のリズム。
それを受け取った瞬間、
「民族音楽を検知。解析モード──」
ベラは淡々と歩きながら、その音を記録し続けていた。
街全体がざわついている理由は、
道のわきに揺れる紋章で分かった。
鳥と風を模した意匠──スパイラルコースト。
どうやら大会まで一ヶ月を切り、
街中が浮き立っているらしい。
甲州がその旗を見ながらにやりと笑う。
「……鳥のレースらしいな。鳥乗ってみてー!!」
***
昨夜のことが頭をよぎる。
野営の焚き火の前で、
三人は真剣に“何を売るか”を相談していた。
保存食は貴重すぎて論外。
ライトは技術の違いが怪しまれる。
他の道具も……どれも売れない。
ピコが沈黙のまま袋に手を突っ込み、
ふっと取り出したのは──
淡く脈打つように光る、あの果実。
ユグラドシルの木の果実のようなものだ。
光は静かだが、しばらく見ていると吸い込まれそうになる。
甲州が「売れるだろ絶対!」と勢いよく言い、
ピコは「いや、用途分からんし……」と首を傾げた。
ベラはそれを数秒見つめ、
あっさり言った。
「推定市場価値──中程度です」
「中!?光ってんだぞ!?」
「光は評価項目ではありません」
「しないのかよ!!」
とはいえ、他に売り物もない。
三人は“光る実”を売りに市場へ向かうことにした。
─スィル=ハイムの橋を渡りながら、
ピコが行き交う人々をじっと見つめていた。
「……リザードマンって聞いてたけど、ほぼ人間だな」
すれ違った青年が軽く会釈する。
肌の一部にだけ、細い鱗紋のような模様が走っている。
近くで見ると、金属粉を散らしたみたいに光を返す。
甲州がぼそり。
「ちょっとザラッとしてるな。触ると怒られるやつだ」
「触らるのは文化的に問題があります」
とベラが即答する。
「触らねぇよ!」
笑いながら三人は橋を渡りきり、
賑わう通りへ足を踏み入れた。
焼いた香草の匂い、
水蒸気と油が混ざった香り、
どこか塩気の強い干し魚。
どう考えても市場らしい場所だ。
「……なぁ、物買い取ってくれる所って、どの辺だ?」
甲州が近くの屋台のおじさんに声をかけると、
店主は“あっちだよ”と親指で奥の区画を示してくれた。
三人は礼を言い、歩き出す。
途中、値札のついた商品が目にとまる。
そこでピコがふと立ち止まった。
屋台に貼られた札には
《串焼き 300シル》の文字。
「シルが通貨か」
甲州が腕を組む。
周囲の値札を次々に見て回り、
パンが100シル、煮込みが450シル、
甘い団子が250シル。
大体の物価がつかめてきたところで、
甲州がニヤッと笑う。
「……あの光る実さ。串焼き10本分くらいにならねぇかな」
「おまえの基準は全部“串”だな」
ピコが呆れた声を上げる。
「食べ物基準は分かりやすいと判断します」
ベラまで真顔で言うものだから、
ピコは「ベラまで乗るなよ!」と笑う。
とはいえ、
三人の足取りはどこか弾んでいた。
光る実が売れるかどうかは分からない──
だが、初めての街で、
初めての通貨を握り、
何かを交換するという行為自体が
“旅の始まり”を実感させていた。
三人は、
胸の内に小さな期待を抱えながら、
買い取り所のある区画へと歩を進めた。




