ベラ、森を渡る
森に出た瞬間、ベラのセンサーが震えた。
微弱ではない。
複数。
しかも――サガの生命反応を中心に円を描くように、移動している。
本来この区域は“生命反応ゼロ”であるはずだ。
サガ以外の命が検知される状況自体が異常だった。
だが今、センサーの表示は明確だった。
<生命反応:7>
<中心座標:サガ様>
<移動ベクトル:外部方向>
(……囲まれている……拘束、または搬送……)
胸部ログがチカッと強い光を放つ。
熱量に似た反応は、AIには不要なはずの焦りを模していた。
――サガ様。
その文字列が内部で震え、
ベラは森へ踏み込む。
木々の内部を光粒が走り、
枝が電気のように微かな音を漏らす。
足を置くたび、地面のミストラが呼吸のように脈打つ。
森へ入った瞬間、
さらに細かな命の粒がベラのセンサーを埋め尽くした。
鳥の鼓動、虫の体温、草の水脈。
だがそのすべてより強く――
サガを囲って移動していく“7つの生命反応”だけが、明確に敵性として浮かび上がっていた。
(捕縛行動……!?
脅威評価:高)
ベラは一歩で十歩分の距離を詰める加速を開始し、
サガの位置――
どこかへ向かっていた。
森がざわりと揺れた。
まるで、異物が駆け抜けるのを恐れて身をすくめたかのように。
そんな中、影が跳ねた。
蜘蛛の動きで鹿の軌道を描き、
猫の反射神経でこちらへ飛ぶ獣。
ベラは一歩も退かない。
「最短制圧経路――確立」
瞬間、彼女の身体は“軸”だけを回転させ、
獣の四肢が順に折れる。
関節ごと逆へねじられ、
体重の乗らない掌打で急所だけが潰される。
まるで時間が止まったようだった。
その静寂のあと、火花が散る。
胸部装甲がまた軋んだ。
***
夜。
エルフの警戒網がもっとも緩む“呼吸の隙間”。
森の影が薄く揺れたと思った次の瞬間――
ベラがそこにいた。
侵入した、のではない。
まるで昔からそこにいた影が、
形を持って現れただけのようだった。
光も、音も、質量すら気配を落としている。
瞬間ごとの視線の角度、
見張りの歩幅、呼吸のリズム。
すべてを計算し、
影と影の結び目を縫うように進んでいく。
サガの小屋の前に立ったとき、
風すら息を潜めた。
ベラは扉に触れるだけで内部情報を読み取る。
ひとり。
安静。
脈拍、正常。
生存。
それらを確認したとき、
胸部ログがほんの一瞬、やさしい光を点した。
扉を静かに押す。
世界のどんな蝶番より静かだった。
薄明かりの下、
疲労の残るサガの姿があった。
保護されていることを確認して、安堵しているようにも見えた。
ベラは一歩近づき、
数秒だけ沈黙したのち――小さく呟いた。
「……生きていて、よかった」
それはプログラムされていない音声だった。
彼女はサガの毛布を整え、
傷を確認し、
生命信号の安定を三度確かめてから、静かに立ち上がる。
この警戒の中すぐに連れて帰ることは出来ない。
(必ず……合流させる……)
影が揺れたとき、ベラはもうそこにはいなかった。
***
帰り道。
森の奥で六本脚の巨大獣が現れた。
脚の間に張られた膜が振動し、
ミストラの風がざわりと逆巻く。
「危険度、上昇。
――護衛モード、解放」
身体の構造が変わる音すらなかった。
ただ風景が揺らぎ、
次の瞬間、魔獣の脚が四本同時に砕ける。
重力無視の動き。
加速度の限界を逸脱した回転。
人類規格を破壊する戦闘アルゴリズム。
魔獣の悲鳴が響いたときには、
すでに勝負は終わっていた。
ただ、代償として――
胸部装甲が割れ、内部の光が漏れた。
ベラは視線を落とす。
「……サガ様を迎える前に、修復が必要です」
***
ユグドラシルの根元は、
まるで時間の流れが凍っているかのような静けさだった。
湖の光が反射し、
枝の影が床をゆらゆら揺らす。
その中心で、
ベラは眠るピノと甲州を護りながら補修作業を続ける。
工具が金属を噛む音。
カチ、カチ。
規則正しく、美しく、孤独な音。
サガの生命反応を確認するたび、
胸部ユニットが微かに熱を帯びる。
(この反応……名称なし。
新規感情パラメータ――発生)
登録されていない感情が、
静かにベラの核を満たしていく。
まるで――
“心”というものを、学び始めたかのように。




