少しだけ気にかけていました
エルフの谷を出ると、
空気はすぐに変わった。
さきほどまで眼前に広がっていた半透明の木肌は消え、
代わりに、色彩は地球で見たことのある木々に近い“重たい質感”が現れ始める。
色彩の明滅も弱まり、
森の奥から聞こえていた透き通った鳥の声も、
少しずつ数を減らしていった。
ユグラドシルから離れている――
それを景色がゆっくり教えてくる。
それでも、ときおり枝の裏側で細い光が走る。
木の中に残ったミストラの名残のように、
樹皮の奥がひっそりと脈打つ。
ピコと甲州がその光に足を止めるたび、
道案内のエルフ三人は振り返って、
どこか懐かしそうに眉を和らげた。
だが、森が変わるのと同じ速さで、
気配も変わっていく。
――生き物の気配だ。
土を押しつぶすような低い振動が、
ときどき地面の奥から響いた。
湖や大樹のそばにはいなかった“別の住民”の気配。
ベラは歩きながら周囲を観察し、
静かに告げた。
「……魔獣密度、上昇しています」
「魔獣……?」
甲州の声がわずかに強張る。
ミュレルが気楽そうに笑う。
「大丈夫大丈夫、まだ小物ばっかだよ!
でも、気は引き締めてね。森はここから急に荒っぽくなるから」
そう言いながらも、
道案内の三人の視線は絶えず森を泳いでいた。
その慎重さが、
気軽な言葉の裏にある“実感”を伝えてくる。
しばらく歩いた頃だった。
先頭を歩くフィオレンが、ふっと足を止めた。
木々の影が揺れ、
どこか遠くで不規則な鳴き声が響いた瞬間、
彼は迷ったように一度だけ振り返った。
「……ひとつだけ、聞いてもいいか?」
ピコたちの足がわずかに止まる。
風が枝を揺らし、
光が葉脈の奥を薄く照らした。
フィオレンは、
森の気配を確かめるように視線を巡らせてから、
静かに口を開いた。
「あんたたちは……
サガと、同じ種なのか?」
ミュレルが「言ったよ」みたいな顔をし、
リアンは相変わらず無表情で小さく瞬く。
けれど三人とも、
その問いに本気だった。
フィオレンは続けた。
「……あいつ、変わってた。
悪い意味じゃなくて……森の風と混ざってるような、
そんな気配だった。
話したのも、ほんの少しだけだったけど……
あれは、孤独だったのか、強さだったのか……
判断できなくてな」
ピコの胸に、
鈍く痛いものが広がる。
甲州は拳を握りしめて、
それでも怒りではなく、
ただ真実を確かめるように眉を寄せた。
ベラが一歩だけ前に出る。
「……私たちは同じ出です。
ただし、ここでサガ様がどう扱われたは、
興味があります」
フィオレンはゆっくり頷き、
胸の奥にしまっていた思いを静かに吐き出した。
「……友達って呼べるかどうかは分からない。
でも……嫌なやつではなかった。
むしろ……あいつが去った後、少しだけ……寂しかった」
ミュレルが照れ隠しのように肩をすくめる。
「そうそう。
なんか妙に真面目だし、
無言でも怒ってるのか不器用なのか分かんないし……
でも、悪くはなかったよな」
リアンは静かに目を伏せた。
「……少しだけ、気にかけていました」
その言葉は、
火を灯すでもなく、
水のように澄んでいて嘘がなかった。
三人の胸にじんわりと広がるものがあった。
サガは――
少なくともここで、
“完全な孤独ではなかった” のだ。
森の奥から、
新たな獣の鳴き声が響いた。
空気がまた少し変わる。
だが今度は、
エルフ三人の背中が以前より近く感じられた。




