森の導き
エルフの里での一日は、驚くほど快適だった。
谷を満たす澄んだ空気、光を孕む半透明の木々、
浮遊石を渡る柔らかい道――
どれもが、疲れた身体に静かに沁み込んでいく。
ピコはその居心地の良さに、ふと胸の奥がざわつくのを感じた。
サガもここでこうして過ごせていたのだろうか、と。
◆ 〈長老会〉
会議室には光を孕んだ根の壁が淡く揺れ、
その間に長老たちの影が重なっていた。
スヴェルが杖を置くと、
場が静かに締まる。
「……彼らに伝えるしかないか…」
ロークが低く問うと、
オルヴィンが深いしわを刻んだ眉の下で返した。
「サガが“里の外へ向かった”事実を隠しても、
長くは持たん。
あの者らは……得体が知れん」
イリスは静かに息を吐いた。
トラヴィスは書物を閉じ、
その蓋のような静けさで議論を挟んだ。
「いずれにせよ、彼らは知るでしょうな。
ならば……シーラ様に任せるしかありません」
スヴェルが頷く。
光が揺れ、
会議室は静かに決断を固めていった。
▪️▪️
二日目の朝、谷の霧が薄れた頃、
シーラが静かに客人の間を訪れた。
その表情を見た瞬間、
三人の背筋に緊張が走った。
シーラは一呼吸置いてから言葉を落とした。
「……お伝えしなければならないことがあります。
サガは、“里の外へ”向かいました。
――安全とは言えない区域へ、です」
室内の空気が一気に固まった。
甲州が反射的に立ち上がる。
椅子が床に鳴り、乾いた音が弾けた。
「危険って……どういう場所だよ、それ。
なんでサガがそこに行くんだ……!」
ピコはとっさに甲州の腕を掴み、
抑えるというより支えるように引き寄せた。
「……説明を」
ベラはすでに前へ進み、
静かに問いを投げた。
「――本人の意思確認は?」
シーラは目を伏せ、
答えを探すように呼吸を整えた。
「……死地へ、といった類ではありません。
けれど、外では争いが続いています。
サガは……森に導かれるように、その区域へ向かいました」
甲州の怒りが、抑えきれず漏れた。
「導き? そんな曖昧な理由で、
来たばっかの少年を危ない場所に出したのかよ……!」
ピコも握った拳が震えていた。
「サガの意志は?
“行きたい”って言ったのか?
それとも……勝手に決めたのか?」
エルフ特有の回りくどさと、
肝心な点だけが霧の中に置き去りにされるような返答。
それが三人の苛立ちを深く刺す。
シーラは胸の前で両手を揃え、
負い目を隠さずに言った。
「……わたしたちの理では、
森の流れと個の選択はしばし同義と考えられています。
けれど……あなた方の理と同じとは限りません」
その声音は、言い訳ではなかった。
ただ、事実の重さに押しつぶされそうな者の声だった。
怒りをぶつけたところで何も変わらないことを、
三人は痛いほど理解していた。
しばらくの沈黙ののち、
ピコが深く息を吐いた。
「……いい。
場所だけ教えてくれ。
後は、俺たちで行く」
甲州も唇を噛み、
怒りを胸の奥に押し込むように頷いた。
ベラは淡々とした声でまとめる。
「案内者が必要です」
シーラは顔を上げ、
決意を宿した目で答えた。
「はい……。
道案内は、私が責任を持って用意します」
その言葉と同時に、
背後から三つの影が静かに姿を現した。
フィオレン、ミュレル、リアン――
見張りの三人だ。
フィオレンは胸を張り、
ミュレルは表情の奥に緊張を隠し、
リアンはまぶたをほんのわずか動かしただけで返事をした。
シーラが彼らに向き直り、言葉を紡ぐ。
「この方々を、例の区域まで。
安全な道を……お願いします」
三人は胸へ手を当て、
静かに来訪者へ頭を下げた。
その姿に、
ピコたちの心の中で張り詰めた糸が、
ほんの少しだけ緩んだ。




