エルフの領域
朝、湖の気配が淡く揺れはじめたころ、
ピコはぱちりと目を開いた。
「……あれ? 体が……軽い……?」
昨日まで鉛みたいだった足が、嘘のように動く。
甲州も寝袋から身を起こして、腕を回しながら感嘆の声を漏らした。
「……妙だな……めちゃくちゃ回復してる……
寝ただけで……こんなに?」
ぼやきつつも、二人は顔を見合わせた。
今日は昨日より歩けそうだ。
三人は湖を後にし、エルフの里へ向かって森を進んだ。
木々は昨日以上に光を帯び、
透明な幹の中をミストラが細い線のように走る。
歩くたびに、足元から“パリッ”と不思議な音がする。
「……電気が走ってるみたいだな……」
「森が怒ってねぇといいけどな……」
そんな弱気な声をかき消すように――
森の奥から不穏な音がした。
低い呻きとも、風のうなりとも違う。
甲州が身を固くした。
「……おい。今の……」
木陰から何かが飛び出した。
四足の獣のようだが、体表が金属のように光り、
目は二つではなく三つ。
まるで森に混ざって生まれた影だった。
ピコが悲鳴の一歩手前の声をあげた。
「えぇぇ!? ちょ、モンスター!? これ絶対モンスターだよな!?」
「落ち着け! 走るな! 走るなって!!」
二人が右往左往している間に、
ベラは一歩前に出て、静かに構えた。
光がひときわ瞬き――
獣は地面に崩れ落ちた。
一撃。
あまりにも簡潔すぎて、二人は口を開けたまま固まった。
「べ……ベラ……いま、何……」
「警戒対象を排除しました。先へ進みましょう」
「はぇぇぇ……」
二人は引きずられるように歩き出し、
森が開けた場所へたどり着いたその瞬間、思わず声を奪われた。
◆
そこには谷が広がっていた。
ユグラドシルから流れ出た川が深い峡谷を刻み、
両側の崖に沿ってエルフの里が築かれている。
木々はユグラドシル周辺の透明さを少し残しつつ、
半分は通常の木肌、半分は半透明。
そのまだら模様が風を受けると、光の粒が散った。
生き物もまた鮮烈だった。
翅の先に小さな光を宿す昆虫が飛び交い、
尾羽に幾何学模様を持つ鳥が宙を横切る。
宙に浮いた石の塊――その上に根を張る木、
さらにその上に建つ小さな建物。
建造物が重力を忘れたかのように層を成している。
そして谷の中央には、
ユグラドシルほどではないが見上げるほどの大樹がそびえ立っていた。
葉を揺らすたびに細い光がこぼれ、
谷全体がかすかに脈打つようだった。
その大樹から左右の丘へ伸びる長い桟橋があり、
里の中心へ続いている。
ピコと甲州は同時に喉を鳴らした。
「……え、エルフって……こんな……」
「俺のイメージしてたやつと……何か違ぇ……
いや、想像より千倍すげぇ……」
近づくと、見張り台から三人の見張りが現れた。
全員が長い耳と白金の髪。
整然とした制服と、無駄のない動き。
その視線がピコと甲州に向いた瞬間――
ほんの一瞬だけ、三人の眉がかすかに動いた。
驚き、とまどい、わずかな緊張。
だが、彼らはすぐに無表情に戻った。
ピコが小声で甲州の袖をつかむ。
甲州も眉を寄せる。
見張りの一人が前に出た。
「ここはエルフの領域。
来訪の目的を述べよ」
ベラが礼儀正しく答える。
「お二人が探している人の行方を確認したく、
通行を求めます」
見張りは一瞬だけ二人の顔を見つめ、それ以上は何も言わず、
「……まずは長老の許可を得る。
見張り小屋で待機せよ」
とだけ告げた。
その視線が“何かを知っている”気配を残した。
ピコと甲州は案内されるまま、小屋の中へ。
木のベンチに腰を下ろすと、
外へ戻っていく見張りの背中に目が吸い寄せられた。
ピコが低く囁く。
「……なぁ甲州…………」
甲州は拳を握りしめた。
「……ああ。」
小屋の外では、
透明な葉の影が揺れ、
谷を吹き抜ける風がかすかに光を運んでいる。
二人が胸の奥のざわつきを抱えながら待っていると、
遠くで桟橋をわたる足音が響き、
見張り1人がどこかへ向かったのが分かった。




