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南端への派遣準備

森の夜明けは、いつもより色が濃かった。

空を満たすミストラの粒が、淡い光の筋となって大地へ降りてくる。

その下で、エルフの里はまるでひとつの巨大な心臓のように脈打ち始めていた。


戦支度の朝である。


家々の前に灯されたミストラ燈が連なる道には、

普段目にしないほど多くのエルフが行き交っていた。

老いた者も若い者も、役職の差なく動いている。


革鎧が鳴る。

鍛冶場の石火が散る。

巫女舎の屋根から祈祷煙が立ちのぼる。


里全体が二百年ぶりの「本格的な出陣」に向けてざわめいていた。


広場では、駆鳥くちょうが並べられていた。

真っ白い羽毛は朝の光を受けて銀に近く、

羽先は玉虫色に輝き、薄くミストラが流れているようにも見える。

背に取り付けられた鞍具は軽く、空気を裂くための滑らかな形状だった。


調練担当がひと声かけると、

駆鳥たちは一斉に首をもたげ、喉奥から低い鳴き声を重ねる。

それは戦う準備を察した獣の声というより、

まるで士気を鼓舞する円陣の声のようだった。


「急がせろ、南岸までは距離がある。」

団長リュシアンが短く指示を飛ばすと、

周囲の戦士たちが即座に応じて動き出す。


吸血族の戦士たちも到着していた。

深紅の外套を翻しながら、静かに、規律正しく整列する。

彼らの気配は獰猛さよりも、“躾の行き届いた刃物”に似ている。

カーミラはその先頭に立ち、夜明けの光を背負いながら淡々と状況を確認していた。


「エルフ側、魔弓隊十。守護騎士七。

 吸血族側は……八名。少数精鋭ですね。」

部下が報告すると、カーミラは短く頷いた。


「質で足りる。――問題は時間。」


その一言に、周囲の空気がまた引き締まる。


広場の中央に、巫女舎があった。

その扉が開き、静けさが一瞬だけ街を覆う。


エリュナが姿を現した。


白い衣をまとい、腰までの銀髪を流し、

古代の巫女にだけ許された透明な面紗をかけている。

面紗越しに覗く瞳が、ミストラ灯の光を吸い込み揺れた。


太鼓の始まりを知らせる一打が響く。

里の空気が、それだけで神聖へと変わる。


エリュナは、舞いながら祈りを捧げ始めた。


軽やかに、しかし重みを持って足を運び、

袖が風をはらむたびにミストラの光が散る。

その姿は、戦の前触れとは思えないほど清らかで、

まるで“森そのものの代弁者”のようだった。


祈祷の詞が紡がれ、

彼女が掲げた御枝が青白い輝きを帯びる。


「我らの矢が精霊に届き、

 我らの盾が森を傷つけず……

 帰還すべき者が道を失わぬよう。」


声は柔らかく、しかし森全体に染み渡るように強かった。


レティアは一歩下がった位置から、その光景を見ていた。

胸の奥を何かが締め付ける。

自分たちが向かうのは“戦場”だ。

だがこの祈りは、戦いのためでなく、「帰すため」にある。

そのことが、彼女の背筋を静かに震わせた。


祈りが終わると、巫女たちは次々と兵たちに小さなお守りを手渡した。

薄く輝くレオの葉を編んだ護符。

かすかに温かく、胸元に忍ばせると静かに脈打つ。


カーミラも一つ受け取り、

面紗の向こうから覗くエリュナが微笑む。


「あなた方にも、森は道を示します。」


「……祈り、確かに受け取ったわ。」


カーミラは短く返し、隊列に戻る。


太鼓が再び鳴る。

やがてそれは“出陣”を告げる連打へと変わった。


駆鳥たちが地を蹴る。

戦士たちの弦が張られる。

吸血族の外套が風に揺れ、

レティアが静かに深呼吸をする。


森の朝が震える。


――世界が動き始めた。

それも、誰も望まぬ形で。


出陣の列が南へ向かって走り出したその時、

ユグドラシルの高みで、ミストラの粒子がかすかに色を変えた。

誰も気づかない、小さな共鳴。


それは、サガたちの覚醒と呼応するような、

ほんのわずかな揺らぎだった。

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