静寂の間──ピコと甲州の目覚め
ユグドラシルの根元に沈んだスペースシップは、夜になると息をしていないような静寂に包まれる。
天井の裂け目から細雪のようにミストラ粒が降り注ぎ、機内の淡い照明に反射して揺れていた。
音はない。
けれど、その静けさが逆に“何かが起きている最中”のようにも感じられる──そんな不穏を孕んでいた。
やがて、その静寂の海に小さな波紋が生まれる。
ピコの指先が、かすかに動いた。
ぴくりと跳ねるように震え、腕が重さを思い出すようにわずかに上がる。
ゆっくりと瞼が開き、視界が滲んだまま天井の光を捉えた。
しばらく焦点が合わず、世界の輪郭が曖昧なまま漂う。
喉がひりつき、呼吸がぎこちない。
思い出そうとしても、記憶が薄い霧の向こうに逃げていく。
自分の名前ですら、はっきりと掴めない。
胸だけがざわついていた。
理由のない不安と、理由のない焦り。
あの日、何があった?
そもそも──ここはどこだ?
ピコが薄く息を吸ったその瞬間、隣のベッドでももうひとつの影が動いた。
甲州だ。
深呼吸するように胸が大きく上下し、彼もゆっくりと目を開く。
苦しげに眉を寄せ、低く喉を鳴らすように一言だけ漏らした。
「……ここは?」
二人の思考はどちらも霧の中で、状況に追いつけない。
まるで“気づいた時にはもうここにいた”ような感覚だけが残っていた。
機械脚の軽い音が近づく。
顔半分が露出したAIロボ──ベラがそっと二人を覗き込み、安堵の色を浮かべた。
「お二人とも……目覚めたんですね。
体力はまだ戻っていません。説明は後ほどで構いませんね。
まずは休んでください。」
優しい声。
だけどその奥に、わずかな“隠しているもの”の緊張があった。
ピコも甲州も、それに気づくほどの余裕はまだなかったが──
胸の奥のざわつきは、彼女の言葉で消えるどころか強まる。
そのときだった。
ピコが隣を向き、甲州の額をじっと見た。
甲州も同じようにピコを見返した。
「……お前さ。額、それ……何ついてんの?」
「そっちこそだよ。なんか……角みたいなのが……」
二人の声が同時に震えた。
言われて触れてみると、確かに異質な感触がある。
皮膚とも骨とも違う、透明でひんやりした“何か”。
理解が追いつかないまま、ただ不安だけが実感を持ち始める。
外では、気づかれないほど微かな振動が船内に伝わっていた。
遠い谷の向こう、火の匂いと怒号と獣の唸り。
戦いの波が、この大樹の根元まで静かに忍び寄ってきている。
二人はそれに気づかない。
だが、ベラだけが一瞬だけ視線を外へ向けた。
──間に合わないかもしれない。
そう言いたげな沈黙をまとわせて。
降り注ぐミストラの粒が、いつもよりわずかに輝きを増し、
空気そのものが二人の覚醒に反応しているようだった。
星の鼓動と、世界の揺らぎが重なる。
その共鳴が、未来の大きな転換点を小さく告げるように、
静謐な船室に淡く瞬いていた。




