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動き出す準備

評議会室を出た瞬間、シーラは小さく息を吐いた。

他の長老たちがまだ議場で言い争いを続けている音が背中に遠く響く。


「……また明日に持ち越し、か。」


呟きは静かだったが、その目の奥はすでに“次の手”を見ていた。


屋敷に戻ると、空気が変わる。

壁にはミストラの文様を刻んだ古い兵装、

棚には乾燥保存された野草、

そして戦用具として使われる“道具”がずらりと並ぶ。


呼び鈴を鳴らすと、

扉の向こうからきびきびした足音。


「呼ばれましたか、長老。」

ヴァーナが姿を見せた。


「……始めるわよ。以前の計画を動かす。」


ヴァーナの目がわずかに鋭く変わった。


「ついに、ですか。」


「吸血族に先を越されるのは気に入らないの。

彼らの言葉をそのまま信じて動く気はないけれど……

森の変調は、もう“待っていられる段階”じゃない。」


シーラは棚の奥から、

布に包まれたケースをひとつ取り出す。


「物資の点検を。

例の《滑走砂》と《脚力符あしじからふ》は前線用に回して。

食料は《陽乾きパン》と《月霧の茶葉》。

これだけあれば三日はもつ。」


ヴァーナは即座にメモを取りながら頷く。


「第一戦線部隊にも共有を?」


「いいえ。

広めすぎると、あの三人がまた調子に乗って“試す”でしょう。」


ふっと、シーラの表情が和らいだ。


──あの日。


フィオレンが好奇心に負けて《滑走砂》を床に撒いた。

一歩踏み出した瞬間、

ミュレルとリアンまで巻き込んで

三人まとめて滑り台のように飛んでいった。


「長老!長老ぉおおッ止まらない止まらない!!」

「誰か!森の靴ぅぅ!!」

「フィオレンお前ぇぇ!!」


それを見たとき、

シーラは叱責しながらも──内心では腹がよじれるほど笑っていた。


「……あの子たちは、好き勝手に動くから。」


懐かしさと微かな優しさが声に滲む。


ヴァーナは微笑んだ。

「彼ら、意外と素直で良い子ですよ。」


「わかってるわ。」

シーラは苦笑する。

小さく首を振った。


「あの三人を巻き込むと、状況が二倍速でややこしくなるわ。」


フィオレン達の顔を思い浮かべて、

わずかに口角が上がる。


ヴァーナは黙って頷いた。



彼女の視線が窓の外へ向く。

遠く、南の森に濃い霧がかかっていた。


「……リュシアンはじきに動くわね。

その前に、私たちが準備を整えておく。」


吸血族に“踊らされる”形になるのは、

シーラの誇りが許さない。


「万が一、明日の会議がまた停滞したら──

こっそり偵察隊を先に出すわよ。」


ヴァーナは拳を胸に当て、静かに礼をした。


「承知しました。すぐ手配します。」


その瞬間、外の風が一瞬だけ強く吹き抜け、

ミストラの揺らぎが窓辺で青く光った。


シーラはぼそりと呟く。


「……森が、急かしている。」


そして机の引き出しにある小さな木札に触れた。

そこには、古い盟約の言葉が刻まれている。


“森を守る者が、森に遅れることなかれ。”


その言葉を胸に、

シーラは静かに、しかし確実に、

準備の段取りを書き始めた。


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