エルフ評議会
評議会室に足を踏み入れると、
ユグドラシルの根が壁を這うように走り、
青いミストラの光が静かに脈を打っていた。
その中央に、長老五名が座す。
スヴェルは瞑想のように目を閉じ、
オルヴィンは腕を組んで仁王立ち、
イリスは祈るように手を組み、
ロークは無言で周囲を観察し、
シーラは書簡を整理しながら鋭い視線を隠さない。
レティアは末席に控え、
前方には団長リュシアン、
そして淡い笑みを浮かべた吸血族の使者カーミラがいる。
静寂を破ったのはリュシアンだった。
「──南端の集落が撤退しました。
ゴブリンの数が倍以上に膨れあがっています。」
オルヴィンがすぐさま噛みつく。
「また誇張か? 前線の者は危険を盛る癖がある。」
リュシアンの眉がぴくりと動く。
レティアは息を呑んだ。
スヴェルは静かに目を開き、
「報告書には事実のみ書かれている。盛りではない」と低く諭す。
しかしイリスがかぶせる。
「自然の増減は周期のなかの一つ。
急ぎすぎれば、かえって森を乱します。」
リュシアンが机を軽く叩く。
「乱しているのは森のほうだ。
結界付近の魔獣の動きも変調している。」
ロークが腕を組んだまま、
「……変調の原因は? 推測でもいい」と静かに問う。
リュシアンは一瞬だけ視線を逸らし、答えを濁した。
答えられない“理由”がある。
──禁域の外来者の存在。
まだ議会には出せない情報。
場が重くなったその時だった。
「原因については後で構いません。」
カーミラが柔らかく微笑しながら口を開いた。
だがその声は冴え冴えとしていた。
「吸血族領でも同じ乱れが起きています。
ミストラの流れが変わり、野生動物が落ち着きを失っている。」
オルヴィンが眉をつり上げる。
「それは貴殿らの土地の問題ではないか?」
「では南端は貴方が管理する土地ですか?」
カーミラの声は刺すように冷たかった。
議場にざわり、と小さな波が立つ。
カーミラは続けた。
「これは森全体の乱れです。
吸血族だけの問題でも、エルフだけの問題でもない。」
イリスが祈る手を強く握った。
「……しかし、動くには時期尚早です。」
「“動かない理由”ばかり探すのですね。」
カーミラはまるで優しく諭すように言った。
スヴェルが両手を組み、
「カーミラ殿。行動に出るには確証が――」
「確証を待っている間に、森は手遅れになります。」
静かに、しかし鋭い。
ロークが低く笑うように息を漏らす。
「……外の者のほうが、時に森に優しい皮肉だな。」
オルヴィンが椅子を蹴る勢いで立ち上がる。
「我らが森のことを知らぬとでも言うのか!」
カーミラは一歩も怯まず、むしろ優雅に微笑む。
「森を知ることと、“森に触れる勇気を持つこと”は違います。」
リュシアンは、議論が白熱するほど静かになった。
手を握りしめ、
感情押し殺しているのがレティアには分かった。
その向こうで、エースのナリスが目を細め、
「……会議は、相変わらず無駄が多いな」と小さく呟いた。
レティアの胸がずしりと重くなる。
議論は四方八方に散り、
「証拠が」「調査が」「慎重に」「刺激するな」
と、どれも核心から遠いやり取りが延々と続いた。
やがて、スヴェルの一言が会議に終止符を打つ。
「本日はここまでだ。
判断は急がず、明日も議論を続けよう。」
リュシアンは明らかに不満げな表情を浮かべ、
ナリスは黙って立ち上がり、
カーミラは微笑を崩さないまま、誰より静かに退室した。
レティアは席を立ち、深く息をついた。
──この森は、何かを訴えている。
ユグドラシルの奥からかすかな風が吹き抜け、
ミストラの光が揺れて見えた。
それは、まるで未来の予兆のように感じられた。




