歩く帰り道
夕暮れの森道は、ミストラが風に乗ってさざめき、木々の影がゆっくりと揺れていた。
学術院を出たレティアの隣で、エリュナが跳ねるように歩く。
「でさぁ、レティアちゃん。
ほんっとに芽、出てないの?」
唐突に顔へ手が伸びてきて、レティアの頬をむにむに押し上げた。
「……やめて」
わずかに眉を寄せると、エリュナはケラケラ笑って手を離す。
「だってさぁ、ミストラの芽なんて、もう伝説じゃん?
もしレティアに出てたら、絶対世界変わるよ」
「……出てないの」
「知ってるよー。何千年も里で出てないんだもん。でも一応触っとかないと。
歴史に残る瞬間を逃したくないからね!」
その“軽さ”が、逆にレティアには心地よい。
だからこそ、ほんの少しだけ打ち明ける勇気が出る。
「……ねえエリュナ。
ミストラの芽の巫女って、本当は何者だったの?」
エリュナは歩く足を止め、森の奥へ視線を向けた。
おどけた表情がふっと消え、巫女代理の顔になる。
「伝説の巫女──《フレイミア》。
あれは二千五百年前の話。
ユグドラシルの鼓動が今みたいに静かじゃなかった頃」
ミストラが空気ごと震え、レティアの耳に柔らかな音として届く。
「フレイミアはね、ミストラを“炎”に変えて戦ったんだって。
あり得ないエネルギー変換。
森の守護竜と対峙して、
たった一人で暴走を止めた……そういう話」
「竜を……一人で?」
「そう。
でもそれは“力”の話じゃないんだよ」
エリュナの言葉は優しいのに、心の奥を突く。
「フレイミアが残した最後の言葉、知ってる?」
レティアは首を横に振る。
エリュナは夜風に歌を乗せるみたいに囁いた。
「『力は森のもの。
選ばれた者は、ただ一度だけ“皆の未来”を背負う』」
レティアの胸が、静かに締め付けられる。
「ミストラの芽ってね、
単なる能力じゃなくて“森が本当に必要な時だけ”現れる印。
……だから、もし誰かに芽が出たなら」
エリュナはレティアの目を真っすぐ見て、
巫女らしい凛とした声で続けた。
「その人は、エルフの歴史全部を背負う覚悟を持たなきゃいけない。
力を持つ意味は、責任そのものなんだよ」
言い終えると、彼女はまたいつもの笑顔に戻り、
レティアの肩を軽く小突いた。
「ま、レティアちゃんに芽が出たら……私がぜーんぶ支えるけどね!」
レティアは小さく笑い、森の奥へ目を向けた。
──サガの角が脳裏に浮かぶ。
ミストラの芽の伝説と、あの異様な結晶化した角。
その二つがどうしても切り離せない。
エリュナには言えない。
まだ言葉にしてはいけない。
ただ、ミストラが風で囁く。
(選ばれし者──そんな存在が、本当に戻ってきたのだろうか)
二人の足音だけが、静かな森に続いた。




