サガの孤独
サガの隔離小屋の朝は、いつも静かだった。
窓の外では、細い枝に付いた“ミストラの滴”が青く脈動し、
風が吹くたびに淡く光の粒が流れていく。
だが、その景色を見てもサガの胸はほとんど動かなかった。
(……ここがどこかも、どうして自分だけ生きているのかも分からない)
焦りも混乱も、頭に埋められたHECチップに抑えられたまま曖昧な霧に溶けていく。
だからこそ、余計に孤独だった。
◆
外で衣擦れの音がした。
レティアが来たとすぐに分かった。
彼女の歩き方は静かで、でも枝葉がわずかに揺れる。
扉が開く。
「……体調は?」
レティアはいつも必要最低限の言葉しかしない。
それでも、その目だけは“気にかけている”のが伝わる。
「大丈夫。よく眠れた」
「そう……それなら」
言いかけて、レティアは少しだけ迷う。
いつもこの“間”がある。
彼女の一族は保守派に近く、
「外来者に深入りするな」と強く言われているらしい。
それでも、レティアは朝になると必ず来た。
「……気晴らしに、里を少し回ろうか?」
小さな提案だったが、サガにとっては唯一の“外”に触れる時間だった。
◆
森の道。
ミストラの薄膜が漂い、鳥の羽が虹色に反射する。
遠くで子供のエルフが木の枝を渡りながら遊ぶ声がする。
サガはぼんやり眺めていた。
「あなた、表情が動かないのね」
レティアがふいに言う。
「……そう、らしい」
「らしい?」
「自分じゃ、よく分からない」
レティアは横目でサガを見る。
「でも、何も感じていないわけじゃないんでしょう?」
サガは返答に詰まった。
不安、喪失感、焦り――
それらが混ざって、ただ処理できずにいる。
「……分からない時は、分からないでいいと思うよ」
レティアの声は淡々としているのに、不思議と温かかった。
◆
その瞬間。
横から乱暴な声が飛んだ。
「――おい、人間。昨日の続きだ」
昨日とは違う第一戦線部隊の若い戦士たちが近づいてくる。
レティアは眉をひそめた。
「また……?」
「ちょっと試したいだけだ。禁域帰りの“異常者”が、どれほどか」
「やめて。彼は――」
「大丈夫、レティア」
サガは前に出た。
むしろ、少し体を動かしたい気分だった。
エルフの戦士が木刀を構える。
「かかってこい、人間」
サガは深呼吸し、日本式の“中段の構え”を取った。
エルフ達がざわつく。
「何だ、その奇妙な姿勢は」
「型……だよ」
その瞬間、戦士が踏み込む。
◆ 木刀が空を裂き、サガの腕に叩きつけられ――音だけが響いた。
サガは一歩後退したが、皮膚にはほとんど傷がない。
(……まただ)
身体のどこかで、細い糸のようなものが一瞬だけ動いた気がした。
「なんだ、こいつ……全然効いてない……?」
戦士たちの視線が尖る。
「もう一撃だ!」
次の瞬間、別の戦士が横から飛ぶ。
レティアが止める暇もなかった。
サガの背筋を、何かが走った。
(やめろ――)
◆ “伸びた”。
指先から、透明で細い“糸状の何か”が一瞬だけ射出される。
戦士の手首に絡まり――
バチン、と硬化する。
「――ッ!? 腕が……動かないッ!」
戦士の体が空中で固定される。
その隙にサガは本能で踏み込み、
一撃だけ腹に叩き込んだ。
重い音と共に戦士が吹き飛び、砂地に転がる。
訓練場が凍りつく。
レティアも、他のエルフも、誰も声を出さない。
風さえ止まったようだった。
「……サガ……今のは……?」
サガは自分の手を見つめた。
指先から流れ落ちる微細な光の糸――すぐに霧のように溶けた。
「……分からない…」
それは“敵意”ではなく――
ただの“拒絶反応”だったのに。
しかし周囲がそう見てくれるはずもない。
訓練場には、恐怖と驚きと、
そして確信が満ちていた。
――この人間は、ただの外来者ではない。
レティアの喉がわずかに震えた。
(サガ……あなたはいったい、何者……?)
その問いは、森全体にも広がっていくのだった。




