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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編 最終章 アリアの選んだ未来

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第95話 そして、未来へ

 求婚の翌日から、私は奇妙なくらい穏やかな日々を過ごした。

 戦場の白い光も、空を裂く瘴気の音も、まだ耳の奥に残っているのに。

 目の前にあるのは、メイド長マリアナが並べた布と紐とピンと、侍女たちの真剣な顔だけだった。


「動かないでくださいませ。結界より難しいんですから」

「どちらがですか」

「どちらもです」


 真顔で言い切られて、笑うしかない。

 肩に落ちる白い布地は軽いのに、背中を押す視線は重い。


「アリア様、泣くなら今です。式が始まったら禁止です」

「禁止の根拠は」

「私の胃です」


 私が理屈を探す前に、リゼットが扉から顔を出した。


「まだかかりそう? 広場の外がすごいよ。祝福の光が過剰で、幻術隊が仕事してる」

「祝福の光を制限するという発想はないの?」

「ないね。だって今日は、団長の暴走を止める理由がない」


 その名前を出した途端、廊下の向こうが静かになった。

 足音がひとつ。無駄がなくて、まっすぐで、私の方へ向かってくる。


「……来た」


 マリアナが小さく頷き、扉を開ける。

 セイジュは正装の上に団長紋章をつけていた。いつもより髪が整っている。だから余計に、銀の瞳が刺さるように見えた。


「逃げないな」

「逃げる先がありませんので」

「違う。逃げないでくれるのが、うれしい」


 たったそれだけで、胸の奥の何かがほどけた。

 戦場で私を抱きかかえた腕が、今は指先だけで私の手を取る。

 怖いくらい丁寧だった。


「セイジュ」

「何だ」

「今日は、結界の話をしません」

「了解した。代わりに、妻の話をする」


 私は咳払いで誤魔化した。リゼットが肩を震わせ、マリアナが遠い目をした。


「さあ。行きますよ、主任」

「その呼び方はやめてください」

「無理。癖」


 扉の外は、祝福の騒音だった。

 ガルディア王都の大広場。石畳が磨かれ、旗が風に鳴り、空には安全確認済みの小さな光の結界が舞っている。

 その中央に、簡易祭壇が組まれていた。大げさな神殿ではない。研究塔が設計した、魔術師のための誓約台だ。


 最前列には、ガルディア王アレクシスと宰相ユリウスが並んでいる。

 その横にレイン家。父は相変わらず背筋がまっすぐで、母は私より先に目を潤ませていた。


「泣かないって言ったのに」

「母としての規則です」


 規則なら仕方がない。

 私は笑って、視線を泳がせた。


 遠い、さらにその奥。

 各国代表の席の端に、アストリアの紋が見える。

 そこに、レオンとリリアナがいた。


 こちらを見ていた。

 近づいてこない。声もかけない。

 ただ、祝福の場を壊さない距離で、静かに頭を下げる。


 胸の中に、ほんの少しだけ痛みが生まれる。

 でも、それはもう刃じゃない。

 古い痣に触れたときの、鈍い感覚に近かった。


 ユリウスが、小さく咳払いをして場を整えた。

 あの人の咳払いは、会議場でも戦場でも、世界を静かにさせる。


「本日は、ガルディア王国と、そして大陸各国の未来のために。二人の誓約をここに認める」

「堅いですね」

「公文書に残るので」

「なるほど。なら、私は科学的に誓います」


 私が口にした瞬間、あちこちで笑いが起きた。

 セイジュが私の横で、ほんの少しだけ眉を動かす。


「アリア・レイン」

 アレクシス王が私の名を呼んだ。

「あなたは、あなたの選択でここに立っているか」

「はい」

「誰かに押しつけられた立場ではなく」

「はい」

「なら、ガルディアはそれを祝福する」


 その言葉は、王が臣下に与える恩寵というより、対等な一人に送る敬意だった。

 私は、息を吐く。


 次に、セイジュが私を見た。

 戦場で魔力が同調したときの、あの目だ。

 逃げ場がない。けれど、逃げたくない。


「アリア」

「はい」

「おまえが働く場所も、眠る場所も、泣く場所も。全部、守る」

「……欲張りですね」

「足りないのは嫌いだ」


 私の指に、指輪がはめられる。

 ただの宝石ではない。細い刻印は結界の式だ。魔力の回路が、互いを穏やかに繋ぐ。

 私は笑ってしまった。


「それ、研究塔の規格ですよね」

「実用が一番だ」

「ロマンは」

「後で、こちらが用意する」


 後で、の言い方がずるい。

 私は自分の指輪を持ち上げて、彼の手を取った。


「セイジュ・アルバート。私は、私の意思であなたを選びます」

 声が震えそうで、私は少しだけ意地悪を混ぜた。

「ただし、仕事の邪魔をしたら結界で閉じ込めます」

「歓迎する」

「歓迎しないでください」

「なら、邪魔はしない。代わりに、休ませる」


 周囲の拍手が広場を揺らす。

 魔導師団が、普段の訓練みたいな声量で祝福を叫ぶ。

 リカルドが先頭で腕を振り回していた。


「団長ー! 主任ー! いや、奥様ー! お幸せにー!」


 その叫びに、私の頬は確実に熱くなる。

 横でセイジュが、小さく勝ち誇った顔をした。腹立つ。


 式が終わると、今度は祝宴だ。

 私は父と向き合い、母に抱きしめられ、弟妹たちに押しつぶされそうになった。


「姉上、結界の式より難しいのは、こういうのですか」

「そうね。反論できない」


 リゼットが酒杯を持って近づいてくる。


「おめでとう。今日くらいは、責任とか世界とか忘れなよ」

「忘れたいのに、周りが忘れさせてくれません」

「それは団長が原因だね」


 視線の先で、セイジュが各国代表に囲まれていた。

 政治の質問と、結界の質問と、私への質問が混ざっている。

 彼は眉ひとつ動かさずに捌いているのに、私の方を見る頻度だけは明らかに多い。


 不意に、ノエルが私の横に滑り込んだ。

 背伸びして、私の耳元に囁く。


「師匠。さっきの指輪、魔力同調の安定化がすごいです。つまりですね」

「今はやめて」

「つまり夫婦です」

「やめて」


 私は額を押さえた。隣でリゼットが腹を抱えて笑う。


 それでも、私は思った。

 こういう騒がしさは、悪くない。


 祝宴の端で、アストリアの席が静かに立ち上がるのが見えた。

 レオンとリリアナが、こちらへ向かう……ことはない。

 ただ、もう一度だけ頭を下げて、去っていく。


 私は追わなかった。

 追う必要がないからだ。

 私の物語は、もう彼らの反応で決まるものではない。


 数日後。

 研究塔の最上階は、いつもの匂いを取り戻していた。

 紙とインクと金属と、微かな魔力の残り香。

 私は机に地図を広げ、ノエルの観測網データを重ねる。


「世界結界ネットワーク構想、正式名称どうします?」

「正式名称は政治が決める」

 ユリウスがさらっと言い切る。

「私は予算を取る。あなたは、動く理屈を作れ」

「理屈なら、任せてください」


 セイジュが後ろから覗き込み、私の髪を指で払った。


「まずは、大陸の要所に中継核を置く。魔力の流路を、一本の鎖じゃなく網にする」

「鎖、って言葉は嫌いです」

「分かった。網だ。……捕まえるための」

「捕まえないでください」


 夫婦になっても、会話の癖は変わらないらしい。

 変わったのは、言葉の裏にある確信の量だ。


 扉がノックされ、マリアナが顔を出した。


「来客です。グラナから」

「また修理依頼?」

「違います。……子どもです」


 小さな足音が、床を叩く。

 国境都市グラナで、私の結界を見てはしゃいでいたあの子だ。今度は泥ではなく、きちんと靴を履いている。


「アリアさま!」

「こんにちは。よく来たね」

「これ、みせてほしいの」


 差し出されたのは、紙に描かれた歪な魔方陣だった。

 丸が3つ、線が4本。たぶん、本人は結界のつもり。


「ぼく、まどうしになる。アリアさまみたいに」

「……なるほど」


 私はしゃがんで、紙の上に指を置いた。


「ここをこう繋げるとね。風が逃げなくなる」

「ほんと?」

「ほんと。結界は、守るための形だから」


 子どもの目が丸くなる。

 背後でノエルがうずうずしているのが分かった。セイジュは腕を組んで、静かに見守っている。


 私は、笑った。

 世界が怖いから結界を張るのではない。

 世界を好きでいるために、結界を張る。


 窓の外には、王都の空。

 以前よりも透明に見えた。たぶん、私の目が変わっただけだ。


 私はかつて、自分が捨てられたのだと思い込んでいた。

 けれど本当は、私は自分の手で未来を選び直した。

 そして今、選び続けている。


 セイジュが私の肩に手を置く。


「アリア」

「はい」

「次は、どこを守る」

「世界です。……でも、今は」

「今は?」

「今は、ここ。あなたの隣」


 彼は少しだけ目を細めた。

 その表情が、私の最強の結界だった。


 そして、未来へ。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます!


第3部「結界崩壊と国際会議編」最終話まで、アリアとセイジュの歩みを見届けていただけたことが、作者として何よりのご褒美です。婚約破棄の痛みから始まった物語が、ただの「ざまぁ」ではなく、守りたい人と場所を見つけて“未来へ選び直す”話として着地できたのは、読んでくださる皆さまの熱量があってこそでした。


もし少しでも「続きを追ってよかった」「この二人の距離感が好き」「結界×恋愛の組み合わせが刺さった」と感じていただけたら、ブックマークや評価でそっと背中を押していただけると、とても励みになります。感想も一言だけでも大歓迎です(好きな場面・推し台詞・気になった点など何でも!)。いただいた反応は次の更新の燃料になります。


この先は、結婚式の裏側や指輪の刻印の秘密、世界結界ネットワークの試運転で起きる小さな事件、そしてセイジュの独占欲が平時にどう暴走するのか……甘くて少し笑える番外編も書いていく予定です。アリアが「守る側」から「共に生きる側」へ変わっていく姿も、もう少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。


最後まで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。ありがとうございました!


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