第94話 求婚の続き
最終話まで後1話!
勝った。
その事実は、戦場で見るより、王都の空のほうがずっと信じにくい。
ガルディア王都の大広場は、昼なのに星みたいに光っていた。
勝利を祝う結界灯が空気を揺らし、旗が風を切り、民の歓声が石畳を震わせる。
俺は、その真ん中に立つのが苦手だ。
魔術の陣なら、ど真ん中でも平気なのに。
隣に立つ彼女は、平然としているふりをしている。
いつも通り背筋を伸ばし、髪をまとめ、黒い外套を肩にかけているのに、指先だけが少し落ち着かない。
俺はそれを見て、息を吐いた。
「緊張しているのか」
「していません。たぶん」
「たぶんは禁止だ」
「きょうは意地悪ですね、セイジュ様」
俺の意地悪は、必要なときにしか出ない。
今日は必要だ。逃げ道を塞ぐために。
広場の演壇には、アレクシス王が立っている。
その傍らにユリウス宰相。紙束の角がやけに整っていて、いつもの顔でいつもの悪だくみをしているように見える。
こちらに気づいたユリウスが、口元だけで笑った。
「団長、段取りは確認済みです。逃げられませんよ」
「逃げるのは俺ではない」
「そうでしょうね。逃げるのは、あの方です」
「失礼だな」
背後で、魔導具を抱えたノエルが小さく咳払いをした。
結界灯の制御盤を持つ手が、なぜか誇らしげだ。
「師匠、音声増幅は完璧です。ささやきでも広場の端まで届きます」
「余計な機能を付けたんですね」
「必要ですよ。団長、恋愛耐性が薄いので」
「ノエル」
「はい、静かにします」
静かにする、と言いながら、目がきらきらしている。
こいつは戦場より、この手のイベントのほうが危険だ。
リカルドが横から肩をすくめた。
「団長。決めたなら、やるだけです。現場は俺が守ります」
「すでに守られている。……助かる」
「珍しく素直」
俺が素直になる日は、世界が燃えかけた日と、彼女の前に立つ日だ。
アレクシス王の声が広場に落ちる。
魔術で整えられた声は、鋼のように冷静で、同時に温度があった。
「ガルディア王国は、諸国と手を取り、大陸を覆う危機を退けた。だが勝利は、軍だけのものではない。技術が守り、知恵が繋ぎ、覚悟が支えた」
拍手が波になる。
俺は、その波の中で、彼女だけを見る。
「ここに、ガルディアの守護者として、そして諸国を繋いだ魔導師として、アリア・レインを讃える」
彼女の名が呼ばれた瞬間、歓声はさらに高くなった。
王都の民は遠慮がない。嬉しいときは全力で叫ぶ。
彼女はほんの少しだけ眉をひそめ、すぐに小さく笑った。
ほら、やっぱり緊張している。
演壇へ向かう彼女の歩幅は落ち着いている。
ただ、その背に乗る視線の重さは、戦場の魔物より厄介だろう。
王は彼女に、記念章を渡した。
結界紋が刻まれた銀の飾り。国境の砦に刻まれているのと同じ意匠だ。
彼女が受け取った瞬間、記念章が淡く光った。
魔力に反応しただけだ。だが、広場はまた沸いた。
俺は歩みを進める。
予定ではここからだ。
ユリウスがさりげなく俺の背中を押した。
押されたのは物理ではなく、政治だ。
俺は王に向かって礼をする。
「陛下。発言の許可を」
「許す。セイジュ・アルバート、そなたは今日、何を述べる」
俺は答えを用意してきたはずなのに、口が乾いた。
戦場で詠唱が止まったことはない。
だが今、呼吸を整えるのにほんの少し時間が要る。
彼女がこちらを見た。
銀の記念章が胸元で揺れている。
俺は、決めた通りに言った。
「アリア・レイン。君はガルディアの守護者であり、世界を繋ぐ魔導師だ」
広場が静まり返る。
耳が痛いほどの沈黙の中で、俺は続ける。
「俺は君を、誰の所有物にもさせない。国の道具にも、都合のいい神話にも」
「セイジュ様……」
彼女の声が混ざる。
その瞬間だけ、俺の胸の奥の何かがほどけた。
「それでも、俺は欲しい。君の隣を。君が選んだ未来の、すぐ横を」
俺はさらに近づき、まっすぐ告げる。
「ガルディア王国宮廷魔導師団長として、そして君を愛する男として。アリア・レイン、俺と結婚してくれ」
沈黙が弾けた。
歓声が爆発し、足元の結界灯が派手に明滅した。
ノエル、余計な演出をするな。
彼女が息を吸うのが見えた。
そこで、俺は気づく。
これ以上は、俺が語るべき場面ではない。
光の中の彼女が、何を選ぶのか。
その答えは、彼女の言葉で聞かなければ意味がない。
だから俺は、ただ見守る。
*
世界が、急に静かになった気がした。
さっきまで広場を埋めていた歓声も、結界灯のきらめきも、全部が薄い膜の向こうにあるみたいに遠い。
目の前にいるのは、セイジュ様。
黒髪と銀の瞳。あまり表情が動かないのに、いまは明らかに緊張している。
変なの。
魔物の群れの前では平気な人が、私の返事を待つだけで息を詰めている。
胸元の記念章が、まだ熱い。
たぶん、さっき私の魔力に反応して光ったせいだ。
その光は、アストリア王城前で投影を消したときの、あの光と少し似ている。
さよならのかわりに、と言った。
私は戻らない、と言った。
そして、戻らない場所があるなら、帰る場所もある。
私は視線を上げて、セイジュ様を見る。
逃げ道は、もうない。
でもそれは、怖いという意味じゃない。
好き勝手に選べる、という意味だ。
「今度は、私が自分の人生を自分で選びます」
自分の声が、思ったより落ち着いて聞こえる。
ノエルの増幅魔導具のおかげで、広場の端まで届いているのだろう。
恥ずかしい。あとで説教しよう。
「私は、ずっと誰かの期待に合わせて働いてきました。役に立つならと、便利ならと、勝手に自分を削って」
私は記念章にそっと触れた。
「でも、ガルディアで知りました。選んでいいと。頼っていいと。守ってくれる人がいるなら、守られていいと」
リゼットが下で両手を振り回しているのが見える。
泣くな、と思った。たぶん私も泣きそうだ。
「だから、はい。喜んで」
次の瞬間、広場が割れたみたいに沸いた。
拍手と口笛と、よく分からない叫び声まで混ざっている。
セイジュ様が、私の手を取る。
指先が冷たい。なのに、握り返す力は強い。
逃げない、と言われているみたいで、少し笑ってしまう。
「逃げないのか」
「逃げません。……たぶん」
「たぶんは禁止だ」
「はいはい」
笑ってしまったせいで、さらに頬が熱い。
私は必死に真面目な顔を作って、アレクシス王に向き直った。
王は、驚いた顔をしていない。
ただ、ほんの少しだけ目を細めて、頷いた。
「よい。国は人を讃えるが、人の人生は国が決めるものではない」
言葉は短いのに、背中を支えてくれる重さがある。
ユリウス宰相が、いつもの調子で口を挟む。
「では陛下。婚姻に伴う肩書と予算の整理を」
「待ってください、予算って」
「必要です。結婚は研究と同じで、資材が要る」
「政治が強い……」
セイジュ様が小さく咳払いをした。
「式の日取りは譲らない」
「まだ何も決めていませんよ」
「決める。ユリウスが」
「聞こえていますよ。すでに候補日は絞っています」
速すぎる。
私の人生の主導権を取り戻したはずなのに、周囲の主導権が強すぎる。
そのとき、ノエルが顔を出し、わざとらしく目を丸くした。
「師匠。魔力的にはもう夫婦ですよね」
「ノエル」
「はい、静かにします」
静かにしない。
リゼットがノエルの首根っこを掴み、ずるずる引きずっていった。
「ほら天才くん、空気読め。今は砂糖の時間よ」
砂糖の時間。
その言葉に、私は肩をすくめる。
「甘いものは研究の敵です」
「君は研究の敵を倒すのが得意だろう」
「……倒せません、これは」
私は、セイジュ様の外套の袖を、ほんの少しだけ掴んだ。
それは握手より弱くて、契約より強い。
セイジュ様が、私の指先に自分の指を重ねる。
「君が選んだなら、それでいい。世界でも王でもなく、君が」
「はい。私が」
広場の向こうで、結界灯がゆっくり色を変える。
あの光は、ただの祝祭ではない。
明日からの生活の、始まりの合図だ。
戦うためでも、守るためでもない。
共に生きるための、日々の始まり。
私は深く息を吸って、笑った。
「帰りましょう。研究塔へ」
「ああ。帰ろう」
この人の声が、少しだけ柔らかい。
それだけで私は、もうじゅうぶんだった。
ここまでお読みくださりありがとうございます!
求婚と承諾、ようやく二人が同じ未来を選べました。次回は結婚の裏で動く国際会議の駆け引きと、アリアの力を狙う者の正体が明らかに…。
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