第92話 それぞれのざまぁ
最終話まで後3話!
戦の音が止んだあとって、耳が変になる。
鼓膜の奥で、まだ警鐘が鳴っている気がして。呼吸を整えようとしても、うまく息が入らない。
私は簡易会議室の隅で、手袋を外した。
指先に残った魔力の熱が、じわりと薄れていく。
「アリア」
低い声に顔を上げる。
セイジュが扉のそばに立っていた。ローブの裾には、乾ききらない泥。銀の瞳だけが、いつも通り冷たく澄んでいる。
「終わった、のよね」
「終わった。少なくとも、今日の分は」
「今日の分、って言い方」
「現場はいつもそうだ」
淡々とした返事。だけど、私の肩にかけられた外套は、ちゃんと温かい。
彼は私の前にしゃがみ、無言で私の手を取った。指先を確かめるみたいに、ゆっくり握る。
「……震えてる」
「寒いだけです」
「嘘だな」
言い切るのが腹立たしい。
でも否定できないのがもっと腹立たしい。
そこへ、扉が控えめにノックされた。
「失礼します。報告を」
入ってきたのはユリウスだった。
いつもなら冗談の1つも混ぜて場を動かす人なのに、今日は紙束を抱えたまま、目の下の隈が隠せない。
「座ってください」
「いや、要点だけ。君の時間を奪うのは趣味じゃない」
その言い回しにだけ、いつものユリウスが戻っている。
「旧貴族派の中心人物、拘束した。今回の妨害魔術と、外部の工作員の線もつながった」
「……会議場の、逆結界」
「そう。あれを仕込んだのは、アストリア内部の連中だ。君を黙らせて、条件提示を潰して、救援の主導権を王家側に戻すつもりだった」
私は息を吐く。
あのとき感じた、式が反転する嫌なざらつき。思い出すだけで口の中が苦い。
「幼稚ね」
「幼稚だが、死人が出る種類の幼稚さだ。だから潰す」
ユリウスは紙束の1枚をセイジュに渡し、私にも別の1枚を差し出した。
「罰は?」
「爵位剥奪。資産没収。幽閉。加えて、第3国との接触の証拠が固まれば、国際条約違反で追加制裁だ」
「私は、何も言っていないのに」
「君が言わなくても、世界が怒る。今回はそういう規模だよ」
私は紙に視線を落とす。
そこに並ぶ名前の中に、見覚えのある姓があった。
「……この人、私が王宮にいたころ、結界の報告書を握りつぶしてた官僚」
「覚えてるのか」
「覚えますよ。私の睡眠時間を削った人です」
セイジュが小さく息を漏らした。
笑い、というより、喉の奥で鳴った音。
「左遷先は?」
「北の山脈沿い。瘴気が濃い。君なら地図を見ただけで嫌な顔をする場所だ」
私は嫌な顔をした。
ユリウスが満足そうに頷く。
「……ざまぁ、ってこういうのを言うのかしら」
「君が口にすると、妙に物騒だね」
「自覚はあります」
ユリウスが扉へ向かいかけて、思い出したように振り返った。
「それと、君に直接の謝罪を申し出ている者が山ほどいる。王宮の侍女、文官、学者、ついでに元気な貴族夫人も」
「元気な貴族夫人は余計です」
「だろう? だから全部、保留にした」
「ありがとうございます」
そう言った瞬間、私の胸の奥に、薄い膜が剥がれる感じがした。
怒りでも、快感でもない。ただ、重りが落ちた感覚。
ユリウスが去ると、部屋に静けさが戻った。
外では負傷兵の声、遠くの指揮所の怒鳴り声。生きている音がする。
そのまま私は、少しだけ廊下に出た。
血と薬草と鉄の匂いが混ざる空気。ここが戦場の後ろ側だと、鼻が教えてくる。
曲がり角で、護衛騎士たちに囲まれた男とすれ違った。
高価そうな外套、汚れた裾。腕は縄で縛られ、顔だけが妙に上を向いている。
「……レインの娘か」
私を見つけた瞬間、男の目が獣みたいに光った。
旧貴族派の黒幕。名前より先に、そう理解した。
「国を売った裏切り者め。異国の犬に尻尾を振りおって」
「犬なら、あなたみたいに噛みつきません。躾がいいので」
自分でも思う。
戦後の私、口が悪い。
男が唾を吐こうとして、護衛の1人に口を押さえられた。
セイジュが、私の横に立つ。
「発言は許可されていない」
「貴様……」
「許可されていない」
同じ言葉を、同じ温度で繰り返す。
それだけで男は黙った。怖い。私の婚約者、怖い。
男が連れて行かれる。
廊下の先で鎧が擦れる音が遠ざかって、私はやっと肩の力を抜いた。
会議室へ戻る途中、別の伝令が小走りでやって来た。
アストリアの制服。今は連合軍の連絡係だ。
「アリア様。ええと、その……処分の通知が届いております」
「処分?」
「王宮の侍女と文官の配置転換です。国として、まず被害地の復興に回す、と」
差し出された紙に、私は視線を滑らせた。
地方左遷。現地の避難所の雑務。復興の帳簿整理。どれも、地味で、逃げられない仕事ばかり。
その中に、私の髪を結いながら、背後で笑っていた侍女の名前があった。
私が寝ずに結界図を直している横で、茶を冷ましたまま放置した、あの人。
「……謝りたい、とも書いてある」
「ですが、本人は面会の許可が下りず……『謝る資格すらない』と」
「資格って」
私は鼻で笑いそうになって、やめた。
ざまぁの形が、こんなに薄くて粘るとは思わなかった。
「伝えて。仕事をしなさい、と」
「それだけで?」
「それだけでじゅうぶんです。私の人生に、もう入れないで」
伝令が深く頭を下げて去る。
私は紙を机に置き、掌を開いて閉じた。
「アリア」
「はい」
「君は、望んでいたか」
セイジュの問いは短いのに、刺さる。
私は少し考えてから、正直に答えた。
「望んでない。誰かを不幸にして満足する趣味はないもの」
「だが、軽くなった」
「……はい。少しだけ」
少しだけ。
その言葉に、罪悪感が混ざる。
私はずるい。正義面をしながら、結果を受け取っている。
「それでいい」
セイジュは私の手を放さずに言った。
「君が背負わされていた分、世界が回収しているだけだ」
「言い方が冷たい」
「事実だ」
「でも、そう言ってくれるのは……助かる」
照れたのが悔しくて、私は視線を逸らした。
すると机の端に、通信水晶が置かれているのが見えた。薄青い光が揺れている。
「新しい連絡?」
「さっき届いた。レオニアから」
セイジュが顎で示す。
私は水晶に触れ、起動の合図を送った。
光が揺れ、映像が立ち上がる。
そこに映ったのは、年配の学者だった。白髪、震える手、そして、見覚えのある顔。
昔、私の論文を机の端に置いて、読まずに却下した人だ。
「……アリア・レイン殿」
彼は、画面の向こうで頭を下げた。
深く、長く。
「あなたの理論を、私が理解できなかった。いや、理解しようとしなかった。あれは私の怠慢だ」
「今さら、どうしたんですか」
口調が冷たくなったのは、私のほうだ。
セイジュの手が、私の指を軽く叩いた。落ち着け、という合図。
「戦場の観測記録を見た。あなたの結界は、理論通りに世界を救った。……私の研究室は、あなたの論文を、正面の棚に掲げ直した」
「掲げ直した、って」
「はい。学生たちに見せるために。2度と同じ過ちを繰り返さぬように」
学者の声は震えている。
後悔。恐怖。尊敬。いろいろ混ざっている。
私は、思わず笑いそうになった。
こんなに遠回りして、ようやく読んだのだ。
国が傾いて、世界が巻き込まれて、それでやっと。
「謝罪は受け取ります」
「……ありがとうございます」
「ただし、私の時間は戻りません。なので、あなたの学生たちの時間を守ってください」
自分で言っておいて、偉そうだなと思った。
でも、それでいいと思った。
誰かの耳に届くまで、何度も黙って耐える人生は、もう終わったから。
通信が切れる。
光が消える。
私は水晶から手を離し、机に額を軽く当てた。
「疲れた?」
「……今のは、別の意味で疲れました」
「甘いものを用意させる」
「戦場で甘いものって、どこの貴族ですか」
「君の婚約者だ」
「急に権利を主張しないでください」
言い返しながら、私は笑ってしまった。
ほんの少しだけ、笑える。
扉の外から、別の伝令が走ってくる気配がした。
また次の仕事。たぶん、山ほどある。
でも、今日は違う。
背中に張り付いていた過去の影が、少し薄い。
「アリア、アストリア側が面会を求めている」
ユリウスの部下の声が廊下に響く。
「王城に戻る前に、形式だけでも」
「断って」
私は即答した。
セイジュが眉を動かす。珍しい反応だ。
「理由は」
「約束したから。私は、あの国の土を踏まない。これは感情じゃなくて、境界線です」
「空からなら?」
「空からなら、会える。顔だけ、声だけ。……それでじゅうぶん」
じゅうぶん。
自分に言い聞かせるみたいに、私は言った。
セイジュが立ち上がり、私の額に軽く指を当てた。
熱はない。なのに、その触れ方が妙に優しい。
「なら、君の距離でやれ。俺は隣にいる」
「ええ。逃げませんよ」
「逃げても追う」
「物騒です」
「事実だ」
この人は本当に、事実しか言わない。
だから、信じられる。
私は外套の襟を正し、立ち上がった。
次は、さよならのかわりに。
地上ではなく、光の膜の向こうから。
私の結界の、私の言葉で。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第92話はざまぁを大声で叫ぶ代わりに、静かに境界線を引く回でした。アリアが失った時間は戻らない――だからこそ、これからは自分の距離で幸せを掴みにいきます。次話、空の面会で誰が何を言うのか。
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