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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編  第12章 大規模侵攻と二国連合戦

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第92話 それぞれのざまぁ

最終話まで後3話!

 戦の音が止んだあとって、耳が変になる。

 鼓膜の奥で、まだ警鐘が鳴っている気がして。呼吸を整えようとしても、うまく息が入らない。


 私は簡易会議室の隅で、手袋を外した。

 指先に残った魔力の熱が、じわりと薄れていく。


「アリア」


 低い声に顔を上げる。

 セイジュが扉のそばに立っていた。ローブの裾には、乾ききらない泥。銀の瞳だけが、いつも通り冷たく澄んでいる。


「終わった、のよね」

「終わった。少なくとも、今日の分は」

「今日の分、って言い方」

「現場はいつもそうだ」


 淡々とした返事。だけど、私の肩にかけられた外套は、ちゃんと温かい。

 彼は私の前にしゃがみ、無言で私の手を取った。指先を確かめるみたいに、ゆっくり握る。


「……震えてる」

「寒いだけです」

「嘘だな」


 言い切るのが腹立たしい。

 でも否定できないのがもっと腹立たしい。


 そこへ、扉が控えめにノックされた。


「失礼します。報告を」


 入ってきたのはユリウスだった。

 いつもなら冗談の1つも混ぜて場を動かす人なのに、今日は紙束を抱えたまま、目の下の隈が隠せない。


「座ってください」

「いや、要点だけ。君の時間を奪うのは趣味じゃない」


 その言い回しにだけ、いつものユリウスが戻っている。


「旧貴族派の中心人物、拘束した。今回の妨害魔術と、外部の工作員の線もつながった」

「……会議場の、逆結界」

「そう。あれを仕込んだのは、アストリア内部の連中だ。君を黙らせて、条件提示を潰して、救援の主導権を王家側に戻すつもりだった」


 私は息を吐く。

 あのとき感じた、式が反転する嫌なざらつき。思い出すだけで口の中が苦い。


「幼稚ね」

「幼稚だが、死人が出る種類の幼稚さだ。だから潰す」


 ユリウスは紙束の1枚をセイジュに渡し、私にも別の1枚を差し出した。


「罰は?」

「爵位剥奪。資産没収。幽閉。加えて、第3国との接触の証拠が固まれば、国際条約違反で追加制裁だ」

「私は、何も言っていないのに」

「君が言わなくても、世界が怒る。今回はそういう規模だよ」


 私は紙に視線を落とす。

 そこに並ぶ名前の中に、見覚えのある姓があった。


「……この人、私が王宮にいたころ、結界の報告書を握りつぶしてた官僚」

「覚えてるのか」

「覚えますよ。私の睡眠時間を削った人です」


 セイジュが小さく息を漏らした。

 笑い、というより、喉の奥で鳴った音。


「左遷先は?」

「北の山脈沿い。瘴気が濃い。君なら地図を見ただけで嫌な顔をする場所だ」


 私は嫌な顔をした。

 ユリウスが満足そうに頷く。


「……ざまぁ、ってこういうのを言うのかしら」

「君が口にすると、妙に物騒だね」

「自覚はあります」


 ユリウスが扉へ向かいかけて、思い出したように振り返った。


「それと、君に直接の謝罪を申し出ている者が山ほどいる。王宮の侍女、文官、学者、ついでに元気な貴族夫人も」

「元気な貴族夫人は余計です」

「だろう? だから全部、保留にした」

「ありがとうございます」


 そう言った瞬間、私の胸の奥に、薄い膜が剥がれる感じがした。

 怒りでも、快感でもない。ただ、重りが落ちた感覚。


 ユリウスが去ると、部屋に静けさが戻った。

 外では負傷兵の声、遠くの指揮所の怒鳴り声。生きている音がする。


 そのまま私は、少しだけ廊下に出た。

 血と薬草と鉄の匂いが混ざる空気。ここが戦場の後ろ側だと、鼻が教えてくる。


 曲がり角で、護衛騎士たちに囲まれた男とすれ違った。

 高価そうな外套、汚れた裾。腕は縄で縛られ、顔だけが妙に上を向いている。


「……レインの娘か」


 私を見つけた瞬間、男の目が獣みたいに光った。

 旧貴族派の黒幕。名前より先に、そう理解した。


「国を売った裏切り者め。異国の犬に尻尾を振りおって」

「犬なら、あなたみたいに噛みつきません。躾がいいので」


 自分でも思う。

 戦後の私、口が悪い。


 男が唾を吐こうとして、護衛の1人に口を押さえられた。

 セイジュが、私の横に立つ。


「発言は許可されていない」

「貴様……」

「許可されていない」


 同じ言葉を、同じ温度で繰り返す。

 それだけで男は黙った。怖い。私の婚約者、怖い。


 男が連れて行かれる。

 廊下の先で鎧が擦れる音が遠ざかって、私はやっと肩の力を抜いた。


 会議室へ戻る途中、別の伝令が小走りでやって来た。

 アストリアの制服。今は連合軍の連絡係だ。


「アリア様。ええと、その……処分の通知が届いております」

「処分?」

「王宮の侍女と文官の配置転換です。国として、まず被害地の復興に回す、と」


 差し出された紙に、私は視線を滑らせた。

 地方左遷。現地の避難所の雑務。復興の帳簿整理。どれも、地味で、逃げられない仕事ばかり。


 その中に、私の髪を結いながら、背後で笑っていた侍女の名前があった。

 私が寝ずに結界図を直している横で、茶を冷ましたまま放置した、あの人。


「……謝りたい、とも書いてある」

「ですが、本人は面会の許可が下りず……『謝る資格すらない』と」

「資格って」


 私は鼻で笑いそうになって、やめた。

 ざまぁの形が、こんなに薄くて粘るとは思わなかった。


「伝えて。仕事をしなさい、と」

「それだけで?」

「それだけでじゅうぶんです。私の人生に、もう入れないで」


 伝令が深く頭を下げて去る。

 私は紙を机に置き、掌を開いて閉じた。


「アリア」

「はい」

「君は、望んでいたか」


 セイジュの問いは短いのに、刺さる。

 私は少し考えてから、正直に答えた。


「望んでない。誰かを不幸にして満足する趣味はないもの」

「だが、軽くなった」

「……はい。少しだけ」


 少しだけ。

 その言葉に、罪悪感が混ざる。

 私はずるい。正義面をしながら、結果を受け取っている。


「それでいい」


 セイジュは私の手を放さずに言った。


「君が背負わされていた分、世界が回収しているだけだ」

「言い方が冷たい」

「事実だ」

「でも、そう言ってくれるのは……助かる」


 照れたのが悔しくて、私は視線を逸らした。

 すると机の端に、通信水晶が置かれているのが見えた。薄青い光が揺れている。


「新しい連絡?」

「さっき届いた。レオニアから」


 セイジュが顎で示す。

 私は水晶に触れ、起動の合図を送った。


 光が揺れ、映像が立ち上がる。

 そこに映ったのは、年配の学者だった。白髪、震える手、そして、見覚えのある顔。


 昔、私の論文を机の端に置いて、読まずに却下した人だ。


「……アリア・レイン殿」


 彼は、画面の向こうで頭を下げた。

 深く、長く。


「あなたの理論を、私が理解できなかった。いや、理解しようとしなかった。あれは私の怠慢だ」

「今さら、どうしたんですか」


 口調が冷たくなったのは、私のほうだ。

 セイジュの手が、私の指を軽く叩いた。落ち着け、という合図。


「戦場の観測記録を見た。あなたの結界は、理論通りに世界を救った。……私の研究室は、あなたの論文を、正面の棚に掲げ直した」

「掲げ直した、って」

「はい。学生たちに見せるために。2度と同じ過ちを繰り返さぬように」


 学者の声は震えている。

 後悔。恐怖。尊敬。いろいろ混ざっている。


 私は、思わず笑いそうになった。

 こんなに遠回りして、ようやく読んだのだ。

 国が傾いて、世界が巻き込まれて、それでやっと。


「謝罪は受け取ります」

「……ありがとうございます」

「ただし、私の時間は戻りません。なので、あなたの学生たちの時間を守ってください」


 自分で言っておいて、偉そうだなと思った。

 でも、それでいいと思った。

 誰かの耳に届くまで、何度も黙って耐える人生は、もう終わったから。


 通信が切れる。

 光が消える。

 私は水晶から手を離し、机に額を軽く当てた。


「疲れた?」

「……今のは、別の意味で疲れました」

「甘いものを用意させる」

「戦場で甘いものって、どこの貴族ですか」

「君の婚約者だ」

「急に権利を主張しないでください」


 言い返しながら、私は笑ってしまった。

 ほんの少しだけ、笑える。


 扉の外から、別の伝令が走ってくる気配がした。

 また次の仕事。たぶん、山ほどある。


 でも、今日は違う。

 背中に張り付いていた過去の影が、少し薄い。


「アリア、アストリア側が面会を求めている」

 ユリウスの部下の声が廊下に響く。

「王城に戻る前に、形式だけでも」

「断って」


 私は即答した。

 セイジュが眉を動かす。珍しい反応だ。


「理由は」

「約束したから。私は、あの国の土を踏まない。これは感情じゃなくて、境界線です」

「空からなら?」

「空からなら、会える。顔だけ、声だけ。……それでじゅうぶん」


 じゅうぶん。

 自分に言い聞かせるみたいに、私は言った。


 セイジュが立ち上がり、私の額に軽く指を当てた。

 熱はない。なのに、その触れ方が妙に優しい。


「なら、君の距離でやれ。俺は隣にいる」

「ええ。逃げませんよ」

「逃げても追う」

「物騒です」

「事実だ」


 この人は本当に、事実しか言わない。

 だから、信じられる。


 私は外套の襟を正し、立ち上がった。

 次は、さよならのかわりに。

 地上ではなく、光の膜の向こうから。


 私の結界の、私の言葉で。

 ここまでお読みいただきありがとうございます。


 第92話はざまぁを大声で叫ぶ代わりに、静かに境界線を引く回でした。アリアが失った時間は戻らない――だからこそ、これからは自分の距離で幸せを掴みにいきます。次話、空の面会で誰が何を言うのか。


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