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「連載版」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編  第12章 大規模侵攻と二国連合戦

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第90話 静寂と歓声

最終話まで後5話!

 白い光が、まだ瞼の裏に残っている。

 耳の奥で、きいん、と細い音が鳴っていた。焦げた匂い。冷えた風。空中指揮艇の甲板が、ゆっくり揺れる。


 光の中心にいた記憶は、ところどころ欠けている。

 結界の式が、ぎし、と音を立てて軋んだ瞬間。私は倒れかけて、誰かの腕に引き寄せられた。


 熱い。冷たい。重い。軽い。

 相反する感覚が一斉に流れ込む。


 セイジュの魔力だった。

 圧縮された雷みたいな魔力が、私の回路に滑り込み、結界の網へと一気に広がった。怖いくらいに正確で、怖いくらいに優しい流れ方で。


 だから、私は最後に笑ってしまったのだと思う。

 こんな状況で、安心してしまった自分が、少し悔しくて。


「……アリア」


 名前を呼ばれて、私はようやく自分が誰かに抱えられていると気づいた。


「セイジュ……?」


「無理に起きるな。まだ、戻っていない」


「戻っていないのは、たぶん私の足です」


 口が勝手に軽口を吐く。つまり生きている。

 セイジュの腕は、いつもより強かった。逃がさない、というより落とさない、の方。


 ふ、と風向きが変わった瞬間。

 下から、音が来た。


 ……わああああっ。


 地鳴りみたいな歓声。

 次いで、角笛。剣の柄を打ち鳴らす金属音。泣き声まで混ざっている。


 戦場が、いきなり祭りみたいになっている。

 でも祭りの音って、だいたい哀しみも一緒に連れてくる。


「……勝った、の?」


 私が言うより先に、ノエルが転がるように駆け寄ってきた。首から下げた計測器を、私の顔の前に突きつける。


「勝ちました。たぶん。数値的に」

「たぶん、って」


 ノエルは真顔で、指先で水晶盤を叩いた。


「結界強度、安定。歪み、許容範囲。瘴気侵入度、ほぼゼロ。つまり、たぶん勝ちです」


「今の状況で、たぶんを残すの、好きね」


「嫌いです。でも、現場はだいたい、たぶんで動くんですよ」


 背後で、リゼットが乾いた笑いを漏らした。


「ノエルのたぶんは、信用していい。こいつが不安がるときは、数字が嘘をついてるときだけだ」


「やめてください。余計に怖い」


 カイルが甲板の端から顔を出した。


「団長、周辺の残敵反応はなし。ただ……瘴気の残留が北側に濃い」

「把握した。封鎖は続行だ」


 セイジュの声は、戦闘の熱をまるごと凍らせるみたいに冷静だった。

 こういうところが、前線の人たちにとっての救いなのだと思う。誰かが揺れないと、全員が倒れる。


 私は肩だけ笑いながら、甲板の縁に視線を滑らせた。

 白光が引いた空の下、平原には、黒い残骸が散っていた。さっきまで動いていたものが、動かないものになった跡。煙が、細く上にのぼっている。


 そして。


 王都ルクスリアは、そこにあった。

 壊れかけた城壁も、焼けた外郭も見える。だけど、崩れていない。

 街全体を覆うように、淡い光の輪が外側からかぶさっている。私が、外から投げ込んだ新しい殻だ。


 外殻層。緩衝層。内側保護層。

 名前を付けると急に冷たいけれど、これはただの技術じゃない。今、あの街で泣いて笑っている人たちの、薄い布団みたいなものだ。


「……ああ」


 息が、ようやく落ちた。

 胸の奥の硬いものが、少しだけ溶ける。


「見えるか」

「見えます」


 セイジュが、私の背に手を回して身体を支えたまま、城の方角を指す。

 王城のバルコニーに、人影があった。距離は遠い。けれど、ノエルが計測器の補助機能を起動すると、光の輪の内側が少し拡大された。


 王冠の影。

 そして、その隣に立つ、見慣れた姿。


「……レオン様」


 声に出してしまった瞬間、自分でも驚いた。

 嫌悪でも憎しみでもない。たぶん、名前としての習慣だけが残っていた。


 バルコニーの上で、レオンは空を見上げていた。

 きっと、私が張った光の輪を。

 頬を伝うものが、陽にきらりと光った。涙だ。


 あの人は、今さら理解したのだろう。

 守ってくれたのは、我が国の大結界ではない。

 捨てたはずの魔導師が、外から作った結界だ。


 そして私は、あの国の土を踏まない。

 そう決めたのは、私で。

 そう言い切らせたのは、彼だった。


 二度とこの国の土を踏むな。

 あの言葉は、私の足枷じゃない。私の盾になった。国が頭を下げる場所を、ちゃんと作ってくれたから。


 胸が、痛むわけじゃない。

 ただ、乾いた音がする。因果が、遅れて追いついてきた音。


「……見なくていい」


 セイジュが、低い声で言った。

 私の視界に、黒いローブの肩が少しだけかぶさる。盾みたいに。


「いいえ。見ます」


 私は、その肩越しにもう1度、バルコニーを見た。


 王も、そこにいる。背中が小さく見える。

 王は、手すりに両手をついて、長く息を吐いていた。

 その姿だけで、国の重さが分かる。


 ……私が背負う重さとは、別の種類の。


 私は結界の外側にいる。

 でも、あの街の空気の震えは、結界を通して伝わってくる。歓声の波が、光の輪に触れて揺れる。まるで水面みたいに。


 遠い地上で、誰かが空を指さした。

 たぶん、指揮艇を見つけたのだろう。

 私は、指先だけ動かして、光の輪の一部に小さな点を灯した。揺らめく星みたいに。


 届くかどうか分からない。

 でも、見上げた人の目に入ればいい。


「アリア」


 セイジュが私の額に、自分の額を軽く当てた。


「終わったか」

「戦いは、たぶん」

「ノエルの真似をするな」


「……終わりましたね」


 私が言うと、セイジュは少しだけ目を細めた。

 笑っているのか、苦いのか、いつも判断が難しい。


「終わらせた。おまえが」

「半分は、あなたです。さっき、魔力を預けてくれたでしょう」


 セイジュの喉が、わずかに鳴った。


「貸しただけだ。返せ」

「今ここで?」

「冗談だ。半分だけな」


「その言い回し、まだ使うんですね」


 その瞬間、私の身体がふらついた。

 セイジュの腕が、すぐに強くなる。


「ほら」

「……すみません」


「謝るな。働きすぎだ」

「言われたくない人ランキング、1位です」


 リゼットが、わざとらしく咳払いをした。


「団長。いちゃつくなら、あとにしてください。負傷者の回収が始まります」

「いちゃついてない」


 セイジュが即答した。私は危うく笑いそうになる。


 甲板の向こうで、救護班の合図灯が点った。

 地上では、兵士たちが動き出している。倒れた仲間を担ぎ、魔導師が簡易治癒をかけ、騎士が瓦礫をどかす。歓声は、まだ続いていた。勝利の叫びと、生き残った安堵と、失ったものの嗚咽が混ざった、ぐちゃぐちゃの音。


 私は通信の水晶を探し、胸元の小さな耳飾りに指を当てた。


「王都城壁上のレイン伯爵へ。聞こえますか」


 1拍おいて、ざらりとした雑音の向こうから父の声が返る。


『聞こえている。……よく、やったな』


 短い。だけど、父らしい。

 私は喉の奥が少しだけ熱くなるのを、無理やり飲み込んだ。


「そちらは」

『生きている。おまえの結界が、守った』


「父の盾も、守りました」

『……ふん。なら、これで貸し借りなしだ』


 貸し借りの計算で済む話じゃないのに。

 でも、父はこういう言い方でしか、優しさを出せない。


「お父様、無茶はしないで」

『おまえが言うな』


 私は小さく笑って、通信を切った。


「アリア、結界、通路を」

「はい。内側の第2層、南門方向だけ開けます」


 私は目を閉じ、魔力の流れを頭の中で地図にする。

 光の輪は、1枚の膜じゃない。緩衝層、誘導層、保護層。必要なところだけ薄くし、必要なところだけ固くする。


 南門から、救護班と補給が入る。

 北側は、まだ閉じたまま。残り火のような瘴気が、遠くの谷に渦巻いている。


「……残ってる」


 小さく呟くと、ノエルが即座に反応した。


「残ってます。瘴気の濃度、通常の3倍。核が砕けても、地形にしみた分が戻ってきます」


「つまり、油断すると、また出る」

「はい。だから、たぶん、まだ終わってません」


 私は目を開けて、セイジュを見上げた。


「……帰れませんね」

「帰る。帰らせる。今日中に、最低限の封鎖まで済ませる」


 短い言葉。けれど、私の身体の芯に、真っすぐ入ってくる。


 セイジュは自分の外套を外し、私の肩にかけた。

 黒い布が、夜みたいに熱を吸って、私の体温を守る。


「歩けます」

「歩かせない」

「過保護です」

「今だけだ。……いや、違うな。ずっとだ」


 不意打ちで言われて、私は言葉を失った。

 リゼットが背中で、あからさまに笑っている気配がする。ノエルは絶対に今、数値以外のものを計測している。


「セイジュ」

「何だ」


「……ありがとう」


 言った瞬間、自分の顔が熱くなるのが分かった。戦場で言う言葉じゃないのに。

 でも、戦場だからこそ、言うべきだ。


 セイジュは、少しだけ視線を逸らした。


「礼は、あとで」

「あとで、って」

「生きて戻ったら、好きに言え」


 ずるい。

 それ、約束みたいじゃない。


 下で、また歓声が上がる。

 王都の上空に、光の輪が静かに回っていた。風に揺れず、魔物の鳴き声にも揺れず、ただそこにある。


 私はセイジュの腕の中で、もう1度だけ深く息を吐いた。


「……終わりましたね」


 今度は、自分に言い聞かせるみたいに。


 セイジュの返事は、短かった。


「ああ」


 ここまでお読みいただきありがとうございます!


 外殻結界は張れましたが、瘴気の残り火とその裏で動いた手はまだ消えていません。過保護な魔導師団長セイジュとアリアの距離も、戦いの後ほど加速します。


 続きが気になったら、ブクマ&評価で応援して頂けると励みになります。次話:封鎖線の内側で、思わぬ証言が――。


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