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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編  第12章 大規模侵攻と二国連合戦

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第89話 最後の波

最終話まで後6話!

 空中指揮艇の床が、微かに震えている。

 風が強い。甲板の結界が風圧を散らしても、鎧みたいな冷気が肌に張り付く。


 窓の向こう、平原は黒い。

 魔物の群れが、影を重ねて波みたいにうねっている。王都の城壁はまだ立っている。だが、誰の顔にも余裕はない。勝てるかどうかではない。どこまで死者を減らせるか、そんな目だ。


 俺は作戦卓を離れ、計測器の横に立つノエルを見た。

「数値は」

「第1リング、強度47。第2リングは56。第3リングは……」

 ノエルが言いよどむ。

「主任の魔力残量、推定8。回復が追いついてない。これ、普通なら失神します」


 隣で、アリアが地図盤を見つめていた。

 指先が空中に浮かぶ結界図の線をなぞる。線が揺れるたび、彼女のまつ毛がわずかに震える。

 結界は3重。外壁を守る第1、市街を守る第2、最後の避難区画を守る第3。

 外が削られても内へ逃げ込むほど硬くする。彼女が作った設計だ。理屈は美しい。運用は地獄だ。


「北東、もう1段……薄くして、緩衝層を削って」

「それ以上削ったら、第2の内側が痛む」

 俺が言うと、アリアは笑うふりをした。

「大丈夫です。痛むのは、結界の方ですから」


 ああ、そういう言い方をする。

 自分の限界だけは、計算に入れない。


 通信魔導具が鳴った。

 カイルの声だ。前線にいる。

「団長! 北西、抜けます! あいつら、結界の薄い所だけ嗅ぎ分けて来てる!」

「嗅ぎ分けてるんじゃない。瘴気が流れてる所へ集まってる」

 俺は視線だけでアリアに確認した。

 彼女は小さく頷く。分かってる、という顔だ。


「カイル、無理に押すな。第2へ下げろ」

「下げたら民が!」

「下げなかったら全員死ぬ。選べ」

 沈黙のあと、カイルが歯を食いしばった声で返す。

「……了解。第2に誘導する。団長、主任を頼みます」

「言われるまでもない」


 外で警鐘が鳴った。指揮艇の側面を、何かが叩いた衝撃が伝わる。

 瘴気の塊だ。第88話で城壁側が弾き返したやつより、さらに重い。ぶつかった場所の空気が、一瞬だけ黒く染まった。


 リカルドの通信が割り込む。声が掠れていた。

「団長、来た。最後の波だ。今までの比じゃない。数も質も」

「分かってる。引くな。引いたら王都が割れる」

「了解。……ったく、現場の胃がもたん」


 ノエルが唇を噛む。

「主任、再配分、間に合いますか」

「間に合わせます」

 アリアは即答した。即答しすぎて、怖い。


 俺は彼女の横顔を見た。

 唇の端が白い。呼吸が浅い。指先が震えているのに、目だけは平然としている。

 その平然が、俺の神経を逆撫でする。


 次の瞬間、彼女の肩が小さく跳ねた。

 結界図の線が、ふっと暗くなる。

「……っ」

 声にならない息。膝が折れかけ、アリアの身体が前に傾く。


 俺は反射で腕を伸ばし、彼女の腰を支えた。

 軽い。こんなに軽かったか、と一瞬思ってしまうくらい。


「アリア」

「平気、です」

「その顔で言うな」


 彼女の指先はまだ空を掴もうとしている。

 結界を離したら、下が死ぬ。分かってる。だから、握り続ける。

 その強さに、腹が立つ。惚れてるから、もっと腹が立つ。


 俺の脳裏に、昔の光景がよぎった。

 国境で初めて会った時。彼女は結界の内側で、誰にも気づかれないように魔力を流し続けていた。

 俺がSランクを潰しても、彼女は自分の仕事の方が先だと言った。

 あの時から、ずっと同じだ。


「少し、預けろ」

 俺は彼女の背に手を回し、胸元の魔導核に自分の魔力を集めた。


 アリアが目を見開く。

「だめです。セイジュは、攻撃に」

「黙れ。俺の魔力は俺が使う」

「でも、あなたの魔力は破壊向きで」

「破壊向きだから何だ。整えればいい」


 ノエルが焦った声を出す。

「団長、それ、暴発したら結界ごと割れますよ!」

「割れないようにする。おまえ、流路の弁を開けろ。主任の式に合わせて」

「無茶だ……いや、無茶が標準でしたねこの2人」


 俺は短い詠唱で、自分の魔力を結界系の流路へ落とし込む。

 破壊向きの魔力を、防御に回すのは相性が悪い。普通なら弾かれて終わる。

 だが、俺たちは普通じゃない。


 何年も、同じ机で、同じ地図を見て、同じ結界をいじってきた。

 アリアの式は、俺の魔力が通れるように調整されている。

 いや、正確には。

 俺の魔力が通るように、彼女が自分を削って仕込んでいた。


 魔力が触れた瞬間、熱い痛みが腕を走った。

 拒絶じゃない。調律だ。

 俺の魔力が、アリアの魔力の波に合わせて削られていく。角が取れ、形が整い、結界の織り糸に変わっていく。


「っ……!」

 アリアが息を呑み、俺の腕を掴んだ。

 指先が冷たい。なのに、魔力だけは熱い。


「合わせるな。俺が合わせる」

「そんな、乱暴な」

「俺は元々、乱暴だ」


 俺が言うと、アリアはかすかに笑った。

 その笑いが、今の俺には救いみたいに響く。


 ノエルが計測器を叩くように見て叫ぶ。

「同調率、68……72……え、上がり方おかしい! これ、理論上の上限、超えてる!」

 彼がこちらを見る。目が妙に輝いていた。

「団長と主任、魔力的にはもう夫婦ですよね」

「今それ言うな」

「現場の士気が上がるので言います。兵の方が恋愛で燃えるんです」

「燃やす方向が違う」

「でも、燃えてます。数値が」


 アリアが赤くなりかけて、でもすぐに唇を結んだ。

 赤くなる余裕があるなら、まだ戦える。そう思う自分が嫌になる。


 外の景色が、黒で埋まっていく。

 最後の波は、単なる群れじゃない。

 瘴気が固まり、肉が絡み、いくつもの魔物が溶けて一つの塊になったみたいな、汚い嵐だ。

 あれが城壁に当たれば、押し潰す。

 結界に当たれば、削り取る。

 そして、削り取った分だけ、さらに濃くなる。


「団長、撃てますか!」

 別の通信。砲台班だ。

 俺の得意な殲滅魔術なら、あの嵐を一時的に散らせる。だが、今俺が魔力を引いたら、結界が薄くなる。


「撃たない。今は結界優先だ」

「了解……っ、くそ!」


 アリアが喉の奥で息を整えた。

「第1リング、耐えます。第2リング、薄くして……第3リングに流します」

「俺の分も使え。遠慮するな」

「遠慮ではなく、計算です」

「なら計算しろ。俺の魔力も、おまえの資材だ」


 彼女が一瞬、俺を見上げた。

 戦場の風音の中で、目だけが静かだった。

「……分かりました。借ります」

「返すな。返すなよ」

「そこは返します」


 くだらない会話をしているのに、手の中の魔力は真剣に絡み合う。

 2つの流れが、1つの太い川になる感覚。

 結界図の線が、暗い青から白へ変わっていく。

 第1リングの裂け目が塞がり、第2リングの薄い部分が滑らかに繋がる。第3リングは、最後の砦として、厚みを増した。


 指揮艇が、また揺れた。

 窓の外で、黒い嵐がこちらへ跳ね上がる。

 その瞬間、アリアが俺の胸に額を預けた。


「少しだけ……立っていられません」

「倒れるな。俺が立たせる」

「なら、支えてください」

「最初からそうしてる」


 俺は彼女の背を抱えたまま、魔力の流路をさらに開いた。

 痛みが増す。だが、痛みの向こうで、結界が鳴る音が変わる。

 軋みじゃない。整列する音だ。鎖がきしむ音が、糸が張る音に変わる。


 下の王都が、光を帯び始めた。

 城壁の上に立つ人影が、白い輪の中で小さく見える。

 レイン伯爵が、あの盾を維持しているのが分かった。あの家の魔力は、迷いがない。父の盾と、娘の殻が、同じ方向を向いている。


 黒い嵐が、結界の最外殻にぶつかった。

 音が消える。

 消えたあと、光だけが残った。


 アリアの魔力と俺の魔力が、境目を失う。

 身体の中で、心臓が2つあるみたいに脈打つ。

 怖い。気持ちいい。どっちも本当だ。


 ノエルが震える声で言った。

「主任、団長、いけます。第1リング、強度91。第2も88。第3、99……これ、都市結界の限界値ですよ」

「限界なら、塗り替える」


 俺が言うと、アリアが小さく頷いた。

 その頷きが、合図になった。


「最後の波を、押し返します」

「押し返すんじゃない。光で、上書きする」


 俺たちは同時に息を吸った。

 アリアが結界式の終端を閉じ、俺が魔力を一気に流し込む。

 流し込むというより、預ける。彼女の式に、俺の全部を一瞬だけ乗せる。


 光が膨らむ。

 白い波が、黒い嵐を飲み込む。

 視界の端から端まで、白になる。


 俺の腕の中で、アリアの体温だけが確かだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


アリアと団長が同じ光で最後の波を押し返す瞬間、書いていてこちらまで息が止まりました。

次話は――戦いの代償と、2人だけの「約束」をはっきり形にします。


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