表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編  第12章 大規模侵攻と二国連合戦

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/98

第87話 王城防衛線

 王城の鐘が、今日だけで何回鳴っただろう。

 鳴るたびに、空気が薄くなる。人の声が細くなる。祈りが増える。

 そして、結界の外からは、獣とも風ともつかない唸り声が押し寄せてくる。


 私は王妃として、避難区画の入口に立っていた。

 鎧を着た騎士たちが、子どもを抱えた母親を導く。神官が、震える手で光の札を配る。魔導師たちは汗だくで、壁に刻まれた簡易陣へ魔力を流し続けている。

 ここは王城の地下へ続く最後の通路だ。ここを守れなければ、王都の心臓が潰れる。


 ……いいえ。もっと正しく言えば。

 ここを守れなければ、私が選んだ王の国が終わる。


 外では、連合軍が王都外縁で戦っている。ガルディアの黒いローブと、アストリアの青い外套が混じって走る姿が、遠目でも分かる。

 その中心には、彼がいるはずだ。

 ガルディアの魔導師団長、セイジュ。

 そして――彼と並んで、彼女も。


 アリア・レイン。

 かつて、この国の王太子の婚約者だった女性。

 私が、奪ってしまったと噂される女性。

 でも本当は、私たちが奪ったのは婚約だけではない。国の盾そのものだった。


 地面が、どん、と揺れた。

 誰かが悲鳴を上げ、次の瞬間、上から砂埃がぱらぱら落ちてくる。


「崩落じゃない、外壁だ! 北門側が抉られた!」


 伝令の声が跳ねた。私の背中に冷たい汗が流れる。


「避難の列を止めないで。負傷者を先に、次に子ども。荷物は最小限で」

「王妃殿下、あなたは――」

「私はここにいます。今いなくなったら、みんなの足が止まる」


 言い切ってから、口の中が乾いているのに気づいた。

 怖い。逃げたい。泣きたい。

 でも、逃げられない立場を選んだのは私だ。


 通路の脇では、治療係が床に毛布を敷き、負傷者を寝かせていた。

 血の匂い。瘴気に焼かれた皮膚の匂い。消毒の薬草の匂いが混ざって、目の奥が熱くなる。


「大丈夫です。深く息をして。……はい、そう。今、痛みを薄くします」


 私は回復の魔術を重ねる。光が指先に集まり、傷の縁に沿ってゆっくり広がった。

 術は得意ではない。けれど、いま目の前の命を落とすわけにはいかない。


「王妃様……外が、黒い……」


 若い騎士が、唇を震わせた。

 彼の視線の先、通路の奥の換気孔から、微かに紫がかった霧が流れ込んでくる。

 瘴気だ。大結界が健在なら、ここまで匂いは届かない。


 私は喉の奥で、苦いものを飲み込んだ。

 大結界は絶対だと、私は信じていた。

 信じたかった。

 そう信じれば、私の罪が軽くなる気がしたから。


 階段の上から、足音が乱れて降りてきた。

 鎧の音に混じって、息を呑むような静けさが1瞬だけ広がる。


 レオン様が現れた。

 王太子ではなく、国王代理としての装い。マントの端が裂け、頬に煤がついている。


「リリアナ。ここは?」

「避難は続いています。けれど、瘴気が……」

「分かっている。上はもっと酷い」


 彼は短く言って、拳を握った。

 目が、揺れている。数年前の夜会で見るような、きらびやかな自信はない。


「……俺が、言ったんだ」


 聞き返す前に、レオン様は続けた。


「2度とこの国の土を踏むな、と。あの時、あの子に」

「……」


 この場で、過去を掘り返す余裕はない。

 でも、彼の声はひどく弱かった。謝罪にすらなれない、独白の形。


「今は、命を優先する。そう決めた。だから、ここを頼む」

「はい。陛下にも、そう伝えます」


 レオン様は頷いた。私の手を取りそうになって、やめた。

 そのためらいが、余計に痛い。


「リリアナ。……すまない」

「謝るなら、生きてからにしましょう。私たち、まだ役目が残っています」


 言った私の声が、思ったより震えていた。

 レオン様は何か言いかけたが、背後でまた衝撃が起き、舌打ちして駆け上がっていった。


 また、衝撃。

 今度は近い。石が擦れる音がして、天井の奥で何かが割れた気配がした。


「王宮魔導師隊、上へ! 城壁結界を補強しろ!」

「殿下はバルコニーへ下がれ、と陛下から――」

「私は下がりません。……でも、陛下には伝えて。避難区画の状況は維持できています、と」


 伝令の少年が頷き、走り去る。

 その背中が、小さすぎて胸が痛い。


 通路の入口に、白髪の老魔導師が現れた。

 王宮魔導師の長老だ。普段は儀式にしか出てこない人が、今日は泥まみれで、息を切らしている。


「王妃殿下。上が、持たん。……外側から、何かが結界を喰っている」

「喰う?」

「瘴気だ。魔物だけではない。黒い塊が、膜に張り付いて削っている」


 私は、凍ったように頷いた。

 昨日まで、こんな敵はいなかった。

 結界を壊すために生まれたような、嫌な意思を感じる。


「それなら、結界の層を厚く……」

「厚くするだけでは追いつかん。喰われる速度が速い。……まるで、穴を開けることだけを狙っている」

「誰かが、誘導しているのですか」

「分からん。ただ、あれは瘴気そのものが形を持ったように見える。切っても焼いても、粘る」


 ぞくりとした。

 魔物より、瘴気の方が怖い。目に見えないものは、人の心を食べる。


 そのときだ。


 音が変わった。


 これまでの轟音は、石を叩く音だった。

 今は、もっと細い。金属が軋むような、鎖が擦れるような――胸の内側を直接引っ掻く音。


 老魔導師が、顔を上げた。

 皺だらけの瞳が、驚いたように見開かれる。


「……来た」

「何がですか」

「魔力の流れが、逆だ。外から……外から、殻が被さる」


 通路の上、王城の中心へ向かって、淡い光が走った。

 私は見ていないはずなのに、見える気がした。

 巨大な輪郭。多重の円。星のような連結。古い王都の刻印の上に、まったく別の式が重なる。


 それは、王城の内側から立ち上がる結界ではない。

 空に描かれた式が、地上の古い式に1瞬だけ噛み合って、上から殻を被せる。

 そんな、ありえないやり方。


 次の瞬間、空気が軽くなった。


 瘴気の匂いが、薄い膜に弾かれる。

 泣いていた子どもが、きょとんとして息を止め、そして小さく咳をした。

 誰かが、ぼそりと呟く。


「……あったかい」


 その言葉が、胸に刺さった。

 この国の結界は、あったかいのだと。

 そう感じさせていたのは――ずっと、彼女の魔力だったのだと。


 老魔導師は、膝をついた。

 祈るように、床に手を当てる。


「この感触……あの子だ。アリアだ」

「……っ」


 私は声を失った。

 助けが来たという安堵と、助けが彼女だという痛みが、同時に押し寄せる。


 奪った。

 追い出した。

 いらないと言った。


 それでも彼女は、外からこの城を包んだ。

 私たちの命を、私たちの都合で守ろうとしている。


「王妃殿下」


 老魔導師が、震える声で言う。


「この結界は、王宮の陣とは違う。作り手の手癖がある。……この国は、あの子の手の中で息をしていたんだ」

「……はい。分かっています」


 分かっている。

 分かっているのに、私はあの日、彼女を見ないふりをした。


 外の衝撃が、また来た。

 でも、先ほどと違う。ぶつかっているのに、壁が割れない。

 結界が、受けている。受けて、逃がしている。緩衝層が働いている。


 王城のどこかで、歓声が上がった。

 誰かが泣きながら笑っている。


「持つぞ! 結界が戻った!」

「外からだ! 空から降ってきた!」


 私は、唇を噛みしめた。

 空から降ってきた結界。

 つまり、彼女はここに来ていない。

 約束を守っている。かつて私たちの王が吐いた、残酷な言葉を。


 私の指先が、震えた。

 助けられているのに、謝れない。

 感謝すべきなのに、顔を上げるのが怖い。


 そのとき、老魔導師が耳飾り型の通信魔導具に手を当てた。


「……聞こえるか。外部結界の術者へ。王城内部の避難は――」


 通信の向こうは雑音だらけで、言葉は途切れ途切れだった。

 でも、最後の1音だけが、妙に鮮明に届いた。


「……予定通りだ。内側は守れ」


 低い、短い声。

 セイジュの声だと、私は分かった。

 つまり、彼の隣で、彼女が結界を回している。


 私は少しだけ、上を見上げる。

 地下の天井越しに、淡い光が見える気がした。


 その光の外側で、何かが動いた。


 冷たい気配が、肌を撫でる。

 獣の声ではない。風でもない。

 濃い闇が、形になってこちらを殴りに来る感覚。


「来ます!」


 誰かが叫んだのと同時に、結界がきしんだ。

 光が歪み、空気が鳴る。見えない爪が、膜を掻く。


 老魔導師が立ち上がり、杖を構えた。


「全員、内側へ! 避難区画の結界を2重にしろ!」

「殿下、こちらへ!」


 私は、列の最後に残っていた母親の手を引く。

 泣きそうな目の子どもが、私を見上げた。


「だいじょうぶ……?」

「大丈夫よ。……大丈夫にする」


 言った瞬間、結界の外側が、どん、と叩かれた。

 さっきまでの衝撃とは比べものにならない。

 光と闇がぶつかり、世界が1瞬だけ白くなる。


 膜が、耐えた。

 でも、その音は、まだ続いている。

 叩かれるたび、光が薄くなる。闇が少しずつ染みてくる。


 まるで、城そのものが歯を食いしばっているみたいに。


 私は胸の奥で、名前を呼んだ。

 声にはしない。呼ぶ資格がない。


 それでも、祈るしかない。


 アリア。

 どうか、あなたの結界が、今夜だけでも持ちますように。


 そして次の瞬間、遠くの城壁の上で、別の魔力が立ち上がった気配がした。

 懐かしいのに、強い。

 大地に根を張るような、防御の回路。


 老魔導師が、呟いた。


「レイン伯爵が、上にいる。……血は、まだ尽きておらん」


 光と闇が、もう1度ぶつかる。

 きしむ音が、鎖のように王城を締め付けた。


 私は歯を食いしばって、次の避難者の手を取った。

 ここまでお読みいただきありがとうございます!


 王城を包んだ“外からの結界”――助けに来たのは、追放された彼女でした。次話、闇の塊の正体と、セイジュの決断が動き出します。


 続きが気になったら、ブクマ&評価で応援していただけると励みになります。感想も大歓迎です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編掲載中!
よろしければ応援お願いします!
婚約破棄?上等、封印証拠で公開監査し監査公爵と溺愛契約
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ