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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編  第12章 大規模侵攻と二国連合戦

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第86話 瘴気の源

 嫌な音がした。

 ガラスが割れる音に似ているのに、割れてほしくないものが割れそうな音。


「主任、来ます! 北西、霧の塊!」

 ノエルの叫びが、盤面の光と一緒に跳ねる。


 甲板の縁から身を乗り出すと、平原の波の中に、黒い柱がいくつも立っていた。

 魔物の群れが霧を引きずっているのではない。

 霧のほうが、群れを引っ張っている。


「……あれ」

 喉の奥が冷える。


 黒い柱が、こちらへ滑ってくる。

 足はない。羽もない。けれど移動している。

 霧の中に、何か硬い輪郭がちらついた。


「セイジュ」

「見えている」

 隣に立つ彼の声は落ち着いている。落ち着きすぎていて怖い。


 黒い柱が、私の多層結界にぶつかった。

 光膜が一瞬だけ沈み、次の瞬間、表面に黒い染みが広がる。


「侵食……!?」

 ノエルが息を呑む。


 歪み率の数字が跳ねるより先に、私は魔力の匂いで分かった。

 あれは魔物じゃない。正確には、生き物ではない。


「大結界の劣化で漏れた瘴気が、凝集してる。……瘴気の塊」

 口に出した瞬間、胸が少しだけ痛んだ。

 大結界の構造も、弱点も、私は知っている。

 知っているくせに、手放した。


 いや。

 手放すしかなかった。

 だから、今ここで責任を取る。


「普通に斬っても散るだけ。燃やしても、瘴気が結界に染みる」

「じゃあ、どうする」

「洗い流す」


 セイジュが眉を動かした。

 ノエルが素で言う。

「主任、結界は洗濯物じゃないです」

「分かってる。でも発想は同じ。汚れだけ外に出す」


 私は結界の外殻を触ったまま、緩衝層へ回すはずの流路を一部ねじ曲げた。

 多層結界のうち、真ん中の層を薄く伸ばす。

 膜の性質を、ただの壁から、ふるいに変える。


「フィルター層、展開。瘴気を通す。物質を止める」


 言うのは簡単だ。

 実際は、瘴気という曖昧なものを通して、人や空気や魔力は守る。

 選別する回路は、髪の毛みたいに細い。

 少しでもズレたら、守るべきものまで漏れる。


 黒い塊が結界に貼りつき、じゅう、と音がした気がした。

 染みが濃くなる。

 放っておけば、この層ごと腐食して穴が開く。


「主任、侵食係数が上がってます! 38、42……!」

「押し出す。圧をかける」


 私は外殻の一部を、ほんのわずかに内側へ湾曲させた。

 押し戻すのではない。

 圧力差を作って、瘴気だけを流す。


 空気が、結界の表面を滑る。

 黒い霧が、膜の隙間を見つけたみたいに、外へ抜けていく。


 その瞬間、霧の中心から、骨みたいな塊が露出した。

 瘴気が鎧だとしたら、あれが肉体だ。


「今!」

「分かった」


 セイジュの手が上がる。

 彼の魔力は暗くて、雷みたいに速い。

 でも、私の結界を壊さないように、ぎりぎりの角度で落としてくる。


 白い閃光ではない。

 闇を圧縮したみたいな光が、露出した核を貫いた。


 次の瞬間、骨の塊が砂みたいに崩れた。

 黒い霧は行き場を失って、私の作った流路に吸い込まれ、外へ吐き出される。


 結界の表面が、少しだけ綺麗になる。


「……成功」

 息を吐いた途端、指先が震えた。

 細かすぎる制御は、体力じゃなくて神経を削る。


「アリア」

 セイジュが私の手首を掴む。

 強い。だけど痛くない。

 温度だけが、現実みたいに伝わる。


「倒れるな」

「倒れない。まだ1体目」


 下を見れば、黒い柱は複数ある。

 次々に結界へ突っ込んでくる。

 普通の魔物の波に混ざって、瘴気の塊が、結界そのものを食べに来ている。


 これが、外部干渉の正体か。

 結界を壊すための、毒。


「カイル、聞こえる?」

 耳飾りに魔力を乗せる。


『聞こえる! 今、前線が一瞬引いた。……何だ、あれ。霧が、固い』

「近づかないで。あれは斬ると増える。触ったら装備も人も腐る」

『冗談だろ』

「冗談なら良かった」


 私は盤面に視線を戻す。

 ノエルの計測器は、結界の歪みを色で表示していた。

 黒い点が、じわじわと広がっている。


「主任、残りの塊、推定6。速度、通常魔物の2倍」

「厄介ね。セイジュ、焼ける?」

「焼くのは得意だ」

「得意とか言う場面じゃない」

「褒めてくれ」


 ほんの少しだけ、口角が上がる。

 こんな時に、そんな顔をする人がいるせいで、私はまだ息ができる。


 2体目、3体目。

 同じ手順で、瘴気を抜き、核を露出させ、セイジュが落とす。

 私はフィルター層を張り替え続ける。

 薄紙を貼っては剥がすみたいに、神経が擦り切れていく。


 5体目で、失敗しかけた。


 瘴気が抜けるはずの流路に、逆流が起きた。

 黒い霧が、フィルター層の内側へ舌みたいに伸びる。


「主任!」

 ノエルが叫ぶより早く、私の背筋が凍った。

 瘴気が結界の内側に入れば、守りたい兵と住民の肺に入る。

 それだけじゃない。結界の回路に染みて、同じ層が二度と使えなくなる。


 大結界の崩壊は、こうやって進む。

 見えない汚れが回路を腐らせ、誰かが焦って補修し、さらに歪む。

 第二部でグラナの谷で見た黒い霧と同じだ。

 あの時は小さかった。今は、国を飲み込むサイズになっている。


「戻せ、アリア」

 セイジュが、私の肩を押さえた。

「焦るな。回路が震えてる」

「震えてるのは、私の手」


 私は喉の奥で笑いかけて、笑えなかった。

 心臓がうるさい。


 深呼吸。

 意図の決定。式の選択。回路の再構築。

 魔術は手順だ。感情はノイズだ。


「ノエル、計測の基準値をずらして。瘴気の吸光でマップが嘘をつく」

「了解! 主任、あなた今、顔色が紙です」

「紙は結界の得意分野だから、たぶん大丈夫」


「たぶん禁止です!」


 やりとりの間にも、黒い霧は粘る。

 私はフィルター層の編み目を、さらに細くした。

 通すのは瘴気だけ。魔力は通さない。空気も通さない。

 その代わり、圧力で押し出す。


 ぷつん、と嫌な感触がした。

 回路が千切れたのではない。

 瘴気の鎧が剥がれた感触だ。


 核が露出する。


「セイジュ、今!」

「任せろ」


 落ちた闇の光が、核を焼き切る。

 残った瘴気は、私の作った流路へ吸い込まれ、外へ吐き出される。


 結界の内側の空気が、やっと元の匂いに戻った。


「……戻った」

「今のは冷や汗ものです」

 ノエルが本気で震えている。

「主任、次やったら私、泣きます」

「泣かないで。泣くなら後で。あと、柔軟剤の話も後で」

「柔軟剤は言ってません!」


 言ってないのに、言いそうな顔だった。


 地上からも声が飛ぶ。


『主任、今の黒いの、空気が重くなったぞ! こっちにも来るのか!』

「来ないようにしてる。だから隊列を崩さないで。怯えて走ると、隙間ができる」

『……了解。くそ、怖いな』

「怖いのは正常。正常なまま動いて」


 返事の向こうで、盾が打ち鳴らされる音がした。

 彼らは怖いまま、前へ出る。


 それがどれだけ尊いか、私は知っている。


「主任、魔力消費、想定より早いです」

「想定が甘かった?」

「主任の想定はいつも甘いです」

「……後で反省する」


 4体目を処理したところで、盤面の端が、唐突に真っ黒になった。

 黒ではない。光が、消えた。


「え」

 ノエルの声が裏返る。

「結界マップ、北東が……見えない!」


 私はすぐに気付く。

 見えないのは、穴が開いたからじゃない。

 逆だ。

 あまりに濃い瘴気が、計測の光を吸っている。


 視線を上げた。

 平原の奥、瘴気の霧が渦を巻き、その中心に、巨大な影が立ち上がっていた。


 さっきの柱の、10倍はある。

 霧が、骨格みたいに組まれている。

 まるで、結界の残骸で作った巨人。


「……大きすぎる」

 息が漏れる。


 セイジュが、短く舌打ちした。

「王都方向へ動いている」

「狙いは、内壁か……王城」


 私は無意識に、アストリアの街の配置を思い出していた。

 外縁防衛線、外壁、市街、内壁、避難区画。

 その中心に王城がある。

 あれが内壁に当たったら、避難区画ごと揺れる。


 だからこそ、私は上空にいる。

 降りない。

 でも、届かせる。


「ノエル、全層の流路を再配分。南門の余剰を全部、王城上空へ」

「はい! でも主任、あなたの負荷が……!」

「分かってる。だから、セイジュ」


 私は隣を見た。

 彼の目は、私ではなく、巨大な影を見ている。

 でも、答えは最初から決まっている顔だった。


「守る。おまえごと」


 セイジュが私の指に、自分の手袋越しの熱を重ねた。

 戦場の風で冷えた指先が、少しだけ戻る。


「手が冷たい」

「集中すると血が引くの。余計な観察をしないで」

「観察じゃない。所有だ」

「それ、言い方」


 口では突っ込めても、手は振りほどけなかった。


「……それ、今は嬉しくない」

「今じゃないと間に合わない」


 また同じことを言う。

 この人は本当に、言う時を間違える天才だ。


 巨大な瘴気塊が、王都へ向けて加速した。

 結界の光が、遠くで軋む。

 私の指先が、冷たくなる。


「来る。次は、洗い流すだけじゃ終わらない」


 私は両手を広げ、空の上から、もう一度結界の糸を張り直した。

 王都の上に、臨時の光の膜を重ねるために。


 戦いは、まだ外縁で終わらない。

 あの黒い源が、王城の喉元まで伸びようとしている。


 私がそれを、必ず止める。


 ここまでお読みいただきありがとうございます!


 瘴気の核が姿を見せ、次はいよいよ王都直撃ルート。アリアは結界を張り続けられるのか、セイジュの独占欲は戦場でどう暴走するのか…!


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