第85話 王都外縁の攻防
瘴気の霧が、平原の草を黒く濡らしていく。
俺は前線の土を踏みしめ、盾列の間を走った。王都ルクスリアは背中にある。ここを抜かれたら、あとは門と壁しか残らない。
「間を詰めるな! 突進は結界で受ける! 受けたら横から削れ!」
怒鳴ると、ガルディアの兵はすぐ動く。問題はアストリアの騎士だ。
よろいが立派で、動きが固い。守り方が壁寄りすぎる。
「貴殿ら、前へ出ろ! ここは城壁じゃない!」
俺が叫ぶと、相手の隊長が一瞬だけ顔をしかめた。だが、次に頷く。
今は揉めている暇がない。
耳飾りが熱を持った。上から声が落ちてくる。
「カイル、北西。群れが厚い。右へ回して」
短い。余計な感情がない。けれど、俺の背中を押す声だ。
「了解! 第2小隊、右へ! 走れ!」
見上げると、空に浮遊艇がいる。甲板の端に、小柄な影。アリアだ。
その周りで、結界が淡く光っている。見せびらかす光じゃない。必要な分だけの、冷たい光。
前方で、セイジュ団長が魔物の群れへ踏み込む。
静かで、怖い。怖いのに、味方だと思うと背筋が伸びる。
魔物が結界にぶつかった。膜が鳴る。
俺は盾列へ手を振った。
「受けろ! 押し返すな! 耐えろ!」
次の瞬間、地面が震えた。角のある巨体が、結界へ突っ込んだのだ。
光が走る。ひびみたいな線が一瞬だけ見えた。
「まずい…!」
俺は無意識に空を見た。アリアが甲板に膝をつき、何かを必死に掴んでいる。
頼む。切れないでくれ。俺たちの前線も、王都の命も、あの膜に繋がっている。
*
足元が揺れるたび、胃の奥がふわりと浮く。私は今、アストリア王都ルクスリアの上空にいる。
正確には、ガルディアが持ち込んだ浮遊艇の甲板の上だ。下を見れば、城壁の外に広がる平原。さらにその向こう、瘴気の霧がうねり、黒い点が波のように押し寄せてくる。
王都の空は、昔より軽い。
私が抜けてから、国の魔力の流れが痩せた。皮肉なくらい分かりやすい。
「アリアさん、外周リング、北西が下がってます! 歪み率、今…」
ノエルが計測器の盤面を叩き、私の方へ突き出す。数字と細い光の線が、地図の上で赤く脈打っていた。
「分かってる。南側から魔力を回すわ」
私は目を閉じ、遠隔で結界の流れを掴む。大地に刻まれた古い式と、私が上空から投げ込んだ新しい殻。その継ぎ目が、きしむ音みたいに鳴った。
ノエルの計測器は、結界の歪みを数で見せてくれる。
私は逆に、数の裏側にある感触を拾う。薄いところは冷たい。厚いところは、温かい。
「セクターB7、流量を12上げる。代わりにD2を3落として」
「了解! えっと、D2って南門の…」
「そう。今は余裕がある。人の流れも落ち着いてる」
私は通信耳飾りに触れた。
「カイル、北西。外縁の草地、群れが厚い。右へ回して」
『了解!』
返事がすぐ返ってくる。よし。現場が動くと、結界も楽になる。
次に、別の回線が割り込んだ。声の主は、アストリア側の指揮官だ。よろいのこすれる音まで聞こえる。
「ガルディアの方式は横に広すぎる。城壁に近づけ、守りを固めるべきだ」
お堅い。しかも、今それを言う。
「固めたら押し潰されます。外で受けて、薄いところで削る。結界は、壁の代わりじゃないんです」
私は丁寧に、でも切り捨てるように答える。
「…あなたが、アリア・レインか」
「はい。土は踏みません。なので、通信だけで失礼します」
「今は感情論を言っている暇はない」
「同意します。だから、命令は受けてください。北西へ2小隊、回して」
沈黙。次の瞬間、低い返事が落ちた。
「了解…!」
よし。今はこれで十分。
私は結界をもう1層、厚くする。
外周、緩衝、内側保護。3つの層を重ね、衝撃を分散させる。膜が空気を押し、遠くで光が揺れた。人々は見上げるだろう。けれど、私は見せたいわけじゃない。守るために張っているだけだ。
瘴気の霧が裂けた。
先頭の魔物が、結界にぶつかる。ガラスを爪で引っかくような音。膜が歪み、ノエルの盤面の線が跳ね上がった。
「歪み率、31! 上がってます!」
「まだ耐える。衝撃、外殻で受けて、緩衝層へ流す…」
私は意図を定め、魔力を水路みたいに組み替える。北西へ、北西へ。余裕のある南門から、細い流路を通して魔力を送る。
結界は生き物じゃない。でも、私の中では、ちゃんと血管みたいに感じる。
地上では矢が飛び、魔術の光が走る。
ガルディアの隊列魔法が、波のように発動する。前列の簡易結界が魔物の突進を受け止め、中列の属性攻撃が削り、後列の補助が支える。その隙間を縫うように、アストリアの騎士が剣で切り込んだ。
やればできるじゃない。私は心の中でだけ呟く。
「リゼット、負傷者が出たら内側に引き込んで。結界の第3リングに誘導して」
私は別の通信へ切り替える。
『了解。幻術で道を作るわ』
リゼットの声は、いつも通り明るい。戦場でそれがどれだけありがたいか、私は知っている。
彼女の幻術が、平原に淡い光の道を作った。
魔物はそれに引っかかり、わずかに進路をずらす。そこへカイルが突っ込み、横から切り払う。
『アリア、もう少し外殻、押せるか!』
カイルの叫び。
「押せる。でも、押しすぎると内側が薄くなる。代わりに、こっちを開ける!」
私は結界の一部を形として変える。膜をただの円じゃなく、扇にする。群れの勢いを、斜めへ流す。
戦況が、少しだけ見える形になった。
ノエルの計測器が、空中に光の地図を投影する。赤い線の内側に、青い点がまとまっている。青が味方。赤が歪み。紫が瘴気の濃度。
「うわ、紫が増えてます! これ、普通の魔物の群れじゃ…」
「分かってる。だから、焦らないで。数を読む」
次の瞬間、空気が重くなった。
群れの後ろから、ひときわ大きな影が突き出す。角が何本も生えた、岩みたいな魔物。走るたび大地が揺れ、瘴気が濃くなる。
「来る…!」
あれが結界に当たれば、歪みが跳ねる。私は甲板に片膝をつき、浮遊艇の刻印に魔力を繋いだ。ここが揺れれば、私の制御がぶれる。ぶれたら、結界は薄くなる。
巨体が突っ込んだ。
轟音。結界が弾ける寸前まで膨らみ、私の歯が噛み合う。盤面の赤い線が一気に濃くなる。
「歪み率、46! 限界に近い!」
「分かってる!」
私は緩衝層を一瞬だけ薄くして、外殻を強化する。衝撃を、横へ流す。横へ。横へ。まるで巨大な力を、丸い器の縁で受け止めるみたいに。
それでも、結界の表面にひびのような光が走った。
私は息を呑む。あの光は、過去に見た。崩落の予兆だ。
通信耳飾りが、すぐに震えた。
「無茶をするな」
セイジュの声が、いつもより低い。
「無茶じゃない。設計通り」
「設計に、おまえの心臓は入っていない」
「…入れておけばよかった」
言ってから、後悔した。戦場で言う台詞じゃない。
でも返事は、もっと危険だった。
「帰ったら、抱きしめる。逃げるな」
「え、今それ言う?」
「今しか言えない」
ノエルが咳払いをした。聞こえてた。最悪。
「セイジュ! 今、外殻に傷! その個体、止めて!」
私は話を切った。切らないと私が燃える。
「了解」
返事が短い。次の瞬間、地上の空気が割れた。
セイジュの魔法は、いつも音が少ない。
静かに、杭みたいな魔力の光が空中に散り、地面に突き刺さる。私は結界の表面に、細い通路を開ける。杭だけ通して、瘴気は通さない。人も通さない。
「通すわよ。今!」
「見ている」
杭が一斉に起爆した。
光が走り、爆風が結界の外側だけを舐める。巨体の魔物が、悲鳴も出せずに崩れ落ち、群れの先頭が焼けて消えた。
その爆風に合わせて、私は結界をすこしだけ前へ押し出す。
熱と瘴気を、膜の外へ押し流す。内側に残したら、兵が倒れる。
通信鏡の中で、リゼットが負傷兵の肩を支え、幻の壁を立てた。
そこへ治癒の光が落ちる。彼女の魔術は派手じゃない。でも、地味に強い。戦場は、そういう人が勝つ。
『結界の内側へ! 走れ!』
カイルが叫ぶ。私の作った避難路へ、兵が流れ込む。
外ではまだ戦っている。
でも、内側に引き込むべき時がある。これを判断するのが、私の仕事だ。
「ノエル、北西、歪みは?」
「35まで戻りました…! でも、紫が…上がり続けてます」
「分かった。次は数じゃなく、質が来る」
私は平原の奥を見た。
霧の向こうに、黒いものが揺れている。魔物の影とは違う。輪郭が曖昧で、霧そのものが立ち上がったみたいな形。
そして、変なのはそれだけじゃない。
結界の一部が、攻撃を受けていないのに、ゆっくり歪んでいる。脈みたいに。
「ノエル、これ…衝撃じゃない歪みが混ざってる」
「え…? 確かに。ノイズが、規則的です。誰かが…触ってる?」
「触ってる。外から。嫌な手つきで」
背筋が冷えた。これはただの大軍じゃない。
私は通信耳飾りを握りしめる。
「セイジュ。群れの奥に、霧が立ってる。普通の魔物じゃない。それと、結界に外部干渉がある」
「…見えた。近づくな」
「近づかない。私は上空担当だもの」
「その言い方、やめろ」
私は小さく笑って、結界の糸を張り直した。
次の波が、もう来ている。今度は、ただ守るだけじゃ足りないかもしれない。
それでも私は、アストリアの土を踏まない。
あの国が私に言った言葉を、私が守る。皮肉で、因果で、それが一番安全だから。
「さあ。戦いの続きよ」
ここまでお読みいただきありがとうございます!
外縁での攻防戦、そして衝撃ではない歪み――いよいよ敵の質が変わってきました。アリアの結界は守りであり、同時に誰かに狙われる弱点にもなり得ます。次話は、結界への外部干渉の正体と、セイジュの「近づくな」の真意が動き出します。
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