第83話 救援部隊、発進
会議都市レオニアの空は、冬の紙みたいに薄かった。
薄いくせに、胸を押す重さだけは本物だ。
会議場から戻る途中、通信石が鳴った。
小さな震えのはずなのに、全員の背筋が同時に固くなる。
「映像をつなげ」
俺が言うより早く、アリアが結界式の補助盤を開いた。
空中に投影されたのは、アストリア王都ルクスリア近郊の地図。
大結界の光の輪に、黒い欠けが走っている。
欠け、ではない。
裂け目だ。
「……ひどいな」
隣でノエルが息をのむ。
リゼットが唇を噛み、カイルが珍しく黙ったまま拳を握る。
アリアは無表情だった。
ただ、指先だけが白い。
「来たね」
独り言みたいな声。
だが、その一言で、俺の腹の底に火が入った。
俺たちが今ここで決めた救援は、紙の上の正義じゃない。
間に合わなければ、国が一つ、文字通り削れる。
そして。
あの女は、約束を守る。
アストリアの土を踏まないまま、外から結界を張る。
無茶の匂いしかしない。
「ガルディアへ戻る。最短でだ」
俺が告げると、アリアが小さく頷いた。
「転移塔を使えるよう、ユリウス様に連絡を」
「もう飛ばしてる」
リゼットが肩をすくめた。
こういう時の宰相は、魔術より速い。
救援部隊は、今、発進する。
そう決まった瞬間から、世界は容赦なく進む。
ガルディア王城の玉座の間は、夜でも明るかった。
火灯りではない。
魔力灯だ。
戦時の明るさは、人を眠らせないためにある。
アレクシス王は玉座に座ったまま、俺たちを迎えた。
儀礼の言葉は短い。
「状況は共有した。結論も、会議で出た。ならば後は、現実に落とし込むだけだ」
王の視線が、俺に刺さる。
次に、アリアへ移る。
その順番が、もう答えだった。
「セイジュ。現場指揮はおまえが執れ。政治の責任は私が取る」
「承知しました」
俺が頭を下げると、王は頷き、今度はアリアに向けて言った。
「アリア・レイン。あなたは、あなたの条件を守れ。あなたが誰の臣下でもないことを、世界に見せる」
「はい。……ありがとうございます、陛下」
アリアが礼をした。
その声音は落ち着いているのに、空気の端が少し震えた気がした。
俺はそれを、見なかったことにしない。
ユリウスが横から紙束を差し出す。
「連合救援部隊の編成案です。各国からの精鋭は、すでにレオニアから転移で集結させています。ガルディア側の中核は、いつもの面々で」
いつもの面々。
言い換えれば、俺たちの、勝ち筋だ。
「リカルドは前線連携。リゼットは治癒と幻術。カイルは火力と対結界妨害。ノエルは観測と魔導具運用。……そしてアリア殿は、空中からの結界投射」
ユリウスが淡々と言う。
淡々としているから、余計に無茶が際立つ。
「空中指揮艇は?」
「研究塔の工廠が、夜通しで仕上げました。名はまだついていませんが、今は名前より速度です」
王が一度だけ笑った。
「後で祝勝の酒の席ででも、好きな名前を付ければいい。まずは生き残れ」
「当然です」
俺が答えると、リゼットが小声で囁く。
「今の、ちょっとかっこよかったわよ、団長」
「余計な感想は後だ」
言い返しながらも、背中の緊張がほんの少し緩む。
こういう冗談が出るうちは、まだ折れていない。
作戦室に移ると、巨大な地図卓が待っていた。
駒が色分けされ、結界計測器の針が不規則に跳ねている。
アリアが地図の上に手をかざした。
指先から淡い光の線が伸び、結界の流路が立体で浮かぶ。
「ここが破断点。……広がっています。多分、内部からの干渉がまだ残っている」
カイルが眉をひそめる。
「内部? 誰かが続けて結界を壊していると?」
「断言はできません。ただ、自然劣化だけなら、こんな鋭い裂け方はしない」
ノエルがすかさず計測器を覗き込み、眼鏡を上げた。
「魔力の濁り方、前に会議場で見た妨害と似てます。あの逆結界の残滓……」
あいつらは、まだ遊んでいる。
国が崩れるのを、賭けの札にして。
俺は指を鳴らした。
「余計な推理は現地で拾う。今は、王都を落とさない。それだけだ」
リカルドが地図の端を叩く。
「空中指揮艇は、まず国境線上空で待機。そこからアリアが投射し、王都周辺に臨時結界を張る。連合軍は、その内側で迎撃、外側で誘導殲滅だな」
「そう。……私は、地面には降りない」
アリアが言い切った。
その瞬間、室内の空気が少し冷える。
条件を守ることが、作戦の足かせにもなる。
誰もがそれを理解している。
だが同時に、誰も否定できない。
あれは、アリアの自由の証明だ。
俺はアリアの横に立った。
声を落として言う。
「投射の負荷は?」
「重いよ。……でも、できる」
できる、という言葉の中身を、俺は知っている。
できるまで削る、という意味だ。
「できるじゃない。やるなら、俺の範囲でやれ」
「範囲?」
「壊れる直前で止める範囲だ。俺が引き戻す」
アリアが俺を見る。
その瞳は、昔よりずっと強いのに。
昔よりずっと、無茶をする。
「……引き戻せるの?」
「引きずる。必要なら抱えてでも」
リゼットが背後で咳払いをした。
「はいはい。いちゃつきは後。団長、アリア、2人とも顔が怖い」
「いちゃついてない」
「似たようなものよ」
カイルが鼻で笑う。
「戦場で恋愛談義とは、余裕だな」
「余裕がないから言ってるの。カイルも、死ぬ気で生きなさい」
リゼットの即答に、ノエルが吹き出した。
笑いが一瞬だけ場を軽くし、その後で、静かに締まる。
出立の準備は、恐ろしく速かった。
鎧の留め具が鳴り、魔導具箱が積まれ、兵の足音が廊下を満たす。
俺は廊下の窓際で、アリアを呼び止めた。
誰もいない場所を選んだつもりだったが、王城は忙しすぎて、静寂そのものが貴重品だ。
「アリア」
振り向いた彼女の頬に、疲れの影がある。
それでも、目は逸らさない。
「怖い?」
「怖いよ」
即答だった。
逃げない女の怖さは、逃げない。
「でも、逃げない。逃げたら、あの国だけじゃなく、周りの国も巻き込まれる」
「正しい」
俺は正しい、という言葉を嫌う。
だが今は、それでしか言えない。
俺は外套を外し、彼女の肩にかけた。
ガルディア式の黒い外套だ。
俺の階級章は外してある。
「これ」
「私、荷物扱い?」
「違う。……俺の視界の中に置くためだ」
アリアが小さく笑った。
それが、今夜初めての柔らかさだった。
「セイジュ様って、たまに言葉がずるい」
「たまにじゃない。基本がずるい」
「自覚があるのが最悪」
言い合いの形にして、息を整える。
戦場に行く前の、儀式みたいなものだ。
俺は彼女の手を取った。
指先が冷たい。
「手」
「大丈夫。魔力が集中してるだけ」
「嘘だ」
「……半分だけ本当」
半分でも認めるなら十分だ。
俺はその指を、手袋の中に押し込むように包む。
「おまえが結界を張ってる間、俺は魔物を削る。おまえが倒れる前に、俺が倒れる」
「それ、順番が逆じゃない?」
「逆にするな」
アリアが息を吐く。
「分かった。じゃあ、倒れる前に、合図する」
「必ずだ」
約束は、命綱だ。
言葉で結ぶしかないものが、この世にはある。
王城の中庭に出ると、空気が金属みたいに冷たかった。
そこに浮かんでいたのは、船だった。
船と言っても海を行くものではない。
船体の下で、幾重もの魔方陣が回り、青白い光が地面を撫でている。
浮遊艇。
空中指揮艇。
俺たちの足であり、アリアの足場だ。
ノエルが目を輝かせる。
「見てください! 推進陣が2重です。これ、途中で切り替えられるやつだ」
「落ち着け。落ちたら終わりだ」
「落ちません! 多分!」
多分を混ぜるな。
整列した兵の前に、アレクシス王が立った。
夜明け前の光の中で、王の声はよく通る。
「これは慈善ではない。世界の安全保障だ。ガルディアは、逃げない」
短い。
だが、兵の背骨が揃う。
王は俺を見る。
「セイジュ。必ず戻れ」
「戻ります」
次に、アリアを見る。
「アリア・レイン。あなたの手を、世界が必要としている」
「……はい」
アリアが答えた瞬間、周囲の魔力がわずかに震えた。
彼女自身が、世界の規模で呼吸している。
浮遊艇の舷梯を上る前に、リカルドが俺の肩を叩いた。
「団長、顔が怖い。もう少しだけ人間に戻れ」
「無理だ」
「じゃあ、せめてアリアの前では戻れ。あの人、強いけど繊細だぞ」
言われなくても分かっている。
分かっているから、怖い。
俺はアリアの隣に立ち、低く言った。
「行くぞ」
「うん」
舷梯を渡る。
足元で魔方陣が回転し、船体が軽く震えた。
上昇。
王城の屋根が小さくなり、街の灯りが点に変わる。
ガルディアは外の世界だ。
だから、こういう時に躊躇がない。
通信石が再び鳴った。
今度は短く、鋭い。
映像に映ったのは、アストリア王都の外縁。
黒い波が、城壁に迫っている。
そして、その黒の上に、薄い白い線が走った。
誰かが、必死で結界を繕っている。
けれど、追いついていない。
アリアが小さく呟く。
「……間に合って」
「間に合わせる」
俺は、操舵士に命じた。
「速度を上げろ。転移塔へ直行」
「了解!」
浮遊艇が風を裂く。
この先、俺たちはアストリアを救う。
ただし、アリアは降りない。
地面に立たないまま、空から国を包む。
その前代未聞の作戦が成功するかどうかは、まだ分からない。
分からないから、面白い。
分からないから、怖い。
そして、分からないままでも、進むしかない。
救援部隊、発進だ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
裂けた大結界へ、救援部隊がついに発進しました。地に降りないまま結界を張るアリア、その負荷を背負わせないと決めたセイジュ――次話は王都上空で黒い波の正体が姿を現します。
続きが気になったら、ブクマ&評価で応援して頂けると励みになります。




