第82話 決断のとき
会議場の天井は高い。けれど今は、息苦しいくらい低く感じた。
中央の映像水晶に映るのは、アストリア王都ルクスリア近郊の平原。
黒い波みたいな魔物の群れが、じりじりと距離を詰めている。
結界の外縁が、ところどころ白く欠けていた。
ガラス細工の皿を落としたときみたいに、縁からぽろりと崩れていく。
私は目を細める。
あれは、想定より早い。
議長が壇上で声を張り上げた。
「緊急通信の内容は以上です。諸国代表、落ち着いてください。会議は続行します。救援の可否を、ここで決めます」
ざわめきは収まらない。
罵声、怒号、祈り。色々な音が混ざって、耳が痛い。
アストリアの代表席に視線が集まる。
レオンは立ち上がっていた。顔色は紙みたいに白い。
隣のリリアナは唇を噛み、震える手で机の縁を掴んでいる。
私は、椅子から立った。
瞬間、会議場の空気がひとつ固まる。
その圧は、昔の玉座の間に似ていた。違うのは、ここにいるのが王宮の取り巻きだけじゃないこと。
各国の王侯、宰相、魔導師長、学者。
そして、アストリアを嫌う目も、利用したい目も、助けたい目も、全部ある。
背後で椅子が擦れる音。
セイジュが、私の半歩後ろに立った。黙ったまま、ただそこにいる。
それだけで、胸の中の天秤が揺れなくなる。
私は小さく息を吸って、壇上へ向かった。
「アリア・レイン殿」
議長が名を呼ぶ。
私は深く礼をして、演壇の前に立つ。
「皆さま。今、この場で合意が得られるなら、私は救援に動きます」
ざわっ、と波が返ってくる。
「ただし、条件があります」
言い切った瞬間、レオンの肩がびくりと跳ねた。
私は映像水晶の方へ手を伸ばした。
魔物の群れの、さらに奥。紫がかった霧が渦を巻いている。
「今の崩落は、穴の大きさだけが問題ではありません。瘴気が流れ込んでいる。放置すれば、王都だけでなく大陸全体の防衛線が壊れます」
北方小国の代表が机を叩く。
「だからこそ、なぜ今まで放置した! アストリアの慢心のせいだろう!」
南方の海商国家の女宰相が冷たく言った。
「責任追及は後にして。今、交易路が死ねば全員が飢えるわ。救援するなら、いつ、どこまで守れるの?」
質問は正しい。
私は頷いた。
「今から動けば、王都周辺の第1防衛圏は間に合います。ただし、時間はありません。決定は今です」
議場のあちこちから声が飛ぶ。
「誰が指揮を取る?」
「アリア殿が行くなら、何を要求する?」
「アストリアが2度と同じことをしない保証は?」
私は、答えを用意してきた。
こうなる可能性は、ずっとあったから。
「救援部隊は、ガルディアを中心に連合として編成します。指揮権は、ガルディア王国の代表と、現場の魔導師団長に置く」
セイジュが短く頷く気配がした。
「次に、結界の条件です。アストリアは、大結界システムの管理権を国際管理へ移譲してください。中枢核への監査を受け入れ、技術と記録を開示する」
会議場がふっと無音になった。
そして、爆発する。
「国家主権への侵害だ!」
「国の秘術を差し出せと言うのか!」
「当然だ、そんな危険な独占を許すな!」
アストリア旧貴族派の代表が、椅子を蹴るように立ち上がった。
怒りで顔が赤い。
「それは脅迫だ! アリア・レイン! 貴様は祖国を売る気か!」
祖国。
その言葉は、もう私の胸を刺さない。
私は静かに答える。
「売りません。売るほどの価値が、今の体制にはないからです」
ざわり。
誰かが息を呑んだ音がした。
私は続ける。
「結界は、祈りの飾りではありません。インフラです。独占して、維持できないなら、事故が起きる。今、その事故が起きています」
議長が手を上げた。
「アリア殿。もう1つ、条件があると?」
私は頷いた。
ここが、最大の肝だ。
「私は、アストリアの土を踏みません」
会議場が凍った。
レオンが、喉を鳴らすのが見えた。
私には聞こえないのに、見える。あれは、言葉の音だ。
私は淡々と続ける。
「私の結界は外から張ります。上空、あるいは遠隔塔から、投射します。現地に降りることはしません。私が誰の臣下でもないことを、全員に分かる形にします」
南方の女宰相が眉を上げる。
「そんなことが可能なの?」
「可能です。ガルディアの観測網と、私の結界式なら」
説明すると長い。
でも、ここは説得の場だ。
「アストリアの地中基底層には、古い魔方陣が刻まれています。そこにごく短い時間だけリンクし、外側から新しい殻を被せる。必要なのは、転移塔と、連携する魔導師団の制御です」
学者席がざわついた。
面白がっている。研究者らしい反応だ。
北方小国の代表が唸る。
「外から張るなら、アストリアは軍を動かせるのか?」
今度は、レオンを見た。
レオンは立ったまま、拳を握りしめていた。
そして、深く頭を下げた。
椅子が軋む。
王の動きに釣られて、アストリアの代表団が同時に立ち上がる。
「……受け入れる」
レオンの声は掠れていた。
「条件をすべて受け入れる。どうか、救ってくれ。俺の国の民を」
その瞬間、私の記憶が勝手に跳ねる。
2度と、この国の土を踏むな。
あの言葉の温度と、吐き捨てるような目。
今の目は、違う。痛みがある。遅いけれど。
私は、心の中でひとつだけ整理する。
これは復讐じゃない。世界の修理だ。
私の役割は、ここで感情に溺れることではない。
「確認します」
私は、あえて冷たく言った。
「アストリアは、ガルディア主導の防衛システム編入を受け入れますね。結界技術の国際管理も。監査も。拒否権はありません」
「……はい」
レオンが絞り出すように答える。
旧貴族派が何か叫びかけたが、議長が槌を打った。
「よろしい。議題を採決に移します。賛成の国は挙手を」
一斉に手が上がる。
迷いがある国もある。でも、映像水晶の魔物の波が、迷いを削る。
反対は少数。
保留も少数。
「可決。多数決により、救援と条件は承認されました」
議長の声が、やっと会議場の柱まで届く重さを持った。
私は、息を吐いた。
生きている人間みたいに、会議場が少しだけ呼吸した気がする。
背後から、低い声が落ちてくる。
「よくやった」
セイジュだ。
私は振り返らずに言う。
「褒めているんですか」
「事実を言っている」
相変わらず不器用だ。
でも、今はそれがちょうどいい。
私は議長に向き直った。
「では、救援作戦を開始します。連合軍の編成、転移塔の使用許可、通信網の接続。必要な手続きを、今この場で進めましょう」
ユリウスがすぐに立ち上がった。
あの人の目は、仕事の目だ。
「各国代表、誓約書の草案はこちらで用意している。署名は順に。時間がない」
会議場は、怒号から実務の音へ切り替わっていく。
紙が広がり、印章が鳴り、通信水晶が光る。
私は演壇の横で、小さな通信石を握った。
ノエルに繋ぐ。グラナに繋ぐ。研究塔にも。
指先が少し震える。
怖いのは、魔物じゃない。間に合わないことだ。
映像水晶の中で、結界の縁がまたひとかけら、白く欠けた。
誰かが叫ぶ。
「崩落が進んでいる!」
私は目を閉じて、次の手順を頭の中で組み立てる。
外から張る。
地に降りない。
それでも、守る。
セイジュの気配が、背中を支える。
私は目を開けた。
演壇を降りるとき、レオンの視線が追ってくるのを感じた。
謝罪でも懇願でもなく、ただ、踏みつけたものを思い出した人の目だった。
私は視線だけを返して、口を動かさない。
言葉を交わせば、たぶん余計なものが混ざる。
セイジュが、私の手を取った。
指先が熱い。
「無茶はするな」
「無茶をしないで守れたら、私は今も王宮で便利屋してます」
「……帰ってこい」
たったそれだけで、胸の奥が少しだけ柔らかくなる。
私は小さく頷いた。
机の列では、各国の代表が次々と署名している。
アストリア旧貴族派の印章が押される音は、やけに大きかった。
悔しさで震える手。恨みの目。そういうものも全部、これからの障害になる。
でも、今はいったん、飲み込む。
守ると決めた。
だから、守る。
ここから先は、会議じゃない。
戦場だ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
会議は決着しましたが、本当の戦いはここから。アリアは「国に戻らずに守る」一手で外から結界を張り直します。鍵は中枢への一瞬のリンク、そして現地で蠢く思惑。セイジュの「帰ってこい」が約束になるのか——。
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