第80話 影の妨害者
休会の鐘が鳴った瞬間、会議場の空気がふっと軽くなった。
重たい視線と、言葉の刃。あれを数時間浴び続けるのは、さすがに結界より消耗する。
「アリア、顔が冷えてる」
背後から低い声が落ちる。
振り向くと、セイジュが私の肩に上着を掛けた。いつもの黒い外套だ。体温が移る距離が、少しだけずるい。
「冷えているのは、議論のほうです」
「おまえの皮肉は、今日は鋭い」
そう言いながら、セイジュは私を廊下の窓際へ誘導した。
会議場は中立都市レオニアの中心にある巨大なホールだ。各国代表の控室が環状に並び、廊下は迷路みたいに長い。
私は紙束を胸に抱え直す。
次の議題は、結界技術の管理体制と、アストリア救援の条件整理。ここで曖昧にすれば、世界は同じ失敗を繰り返す。
「次、私の番ですね」
「そうだ。だから休め」
「その言い方だと、命令に聞こえます」
「命令だ」
即答だった。私が笑うより早く、彼の視線が廊下の先へ滑る。
その瞬間、私の耳の奥で、金属が擦れるような音がした。
きい、と。
結界の鎖が軋む音だ。
足が止まる。呼吸が止まる。
会議場を守る結界は、レオニアの中立維持の象徴でもある。ここが揺れるのは、あり得ない。
「今、聞こえました?」
私が小声で問うと、セイジュは頷いた。
「おまえの結界感応ほどじゃないが、嫌な音だ」
そのとき、廊下を駆けてくる足音。
ノエルだ。首から小さな携帯計測器をぶら下げ、髪が跳ねている。
「主任、団長! これ、変です!」
彼は息を切らしながら計測器を差し出した。
薄い板状の魔導具の上に、数値と簡易地図が浮かび上がっている。
会議場中心の結界強度は正常。けれど周縁のある角だけ、波形が歪んでいた。
「局所的な外部ノイズ……?」
私は数字を追う。乱れの周期が、不自然に整っている。
偶然の乱流ではない。式だ。
「通信帯にも干渉が入ってます。今、各国の連絡魔導具、ちょっと遅延してるはずです」
「休会中に?」
「はい。次の発言の直前に、もっと強くなる可能性が……」
ノエルの声が震えた。
つまり、私の発言を潰すための準備。議論の主導権を奪い、アストリアに都合のいい流れを作る。やり方が小賢しい。
私は息を吸って、頭の中で式の輪郭を組み立てる。
結界を壊すのではなく、結界に寄生する。会議場の結界を逆流させ、通信の流れだけ詰まらせる。
「逆結界……」
思わず呟くと、セイジュが即座に反応した。
「上に張ってあるな」
「天井ですか」
「おまえの視線が上を見た。つまり、そこだ」
セイジュは短い詠唱で、廊下の空気に細い杭のような魔力を刺した。
それが風の糸になり、天井へ、さらに会議場の内部へと伸びていく。
「ノエル、位置は絞れる?」
「今、追います! ……この角! 会議場の北側控室のさらに外、保守用回廊です!」
私は紙束をノエルに渡し、代わりに小さな結界札を取り出す。
細工があるなら、相手は結界術師。ここで瞬きほどでも隙を見せたら、逃げられる。
「アリア、俺が前」
「はい。私が後ろで、痕跡を拾います」
言い終える前に、セイジュの手が私の手首を掴んだ。
強い。けれど痛くない。言葉より早い合図。
「離れるな」
「離れません」
廊下の角を曲がると、空気が冷えた。
人気のない保守回廊。壁には古い石がむき出しで、灯りの魔導具も最小限。
そして、足元に薄い霜みたいな光が散っていた。
魔力の粉。
誰かが、ここで式を展開した。
「痕跡が新しい。数分前」
私が言うと、ノエルが頷く。
「波形、まだ生きてます。主任の結界なら逆追跡できるはずです」
「できます。けど、相手もそれを警戒している」
私は指先を床に触れ、魔力をほんの少し流した。
すると霜光が、糸になって走る。足跡みたいに、先へ先へ。
その糸が、壁の隙間へ潜り込んだ。
「……外だ」
セイジュが窓のない壁を睨む。
私は頷いた。会議場の外周、さらに外。つまり、警備の薄い場所。
セイジュは扉を蹴破るように開け、外周の狭い足場に出た。
高所だ。眼下には中庭。遠くにレオニアの石造りの街並み。
風が強い。
その風の中に、別の魔力が混じっている。
甘い香料みたいな、鼻につく魔力。
アストリア式でもガルディア式でもない。第3国の癖だ。
「混ざってる」
私がそう言うと、セイジュの瞳が細くなった。
「面倒な匂いだな」
「ええ。旧貴族派だけなら、まだ単純でした」
「外の手が入ったなら、話が変わる」
足場の先、保守用の小さな塔。
その陰に、人影が見えた。黒い外套。顔は見えない。だが、魔力の波形が同じだった。
私は結界札を空中に投げた。
札は光の輪になり、相手の逃げ道を塞ぐ。
「止まってください。ここは中立都市の会議施設です」
私は声を張った。
相手は瞬きほどだけ振り返った。
その手には、紋章の刻まれた小さな金属片。アストリアの古い家の印……に見える。
けれど、外側に異国の符号が重ね書きされている。
彼は笑ったように見えた。
次の瞬間、足場の石を蹴って、影のように飛び退く。
「逃がしません」
私は結界を縮め、輪を絞った。
だが同時に、頭上で、ぎし、と大きな軋みが鳴った。
会議場の天井。逆結界が、起動を早めた。
空気が重くなる。
通信魔導具の波が、詰まっていく感覚。
「主任! 今、遅延が強く!」
ノエルが叫んだ。
私は歯を食いしばる。
これは2択だ。目の前の工作員を捕まえるか、会議場の逆結界を潰すか。
どちらが、世界の損失を減らせるか。
「セイジュ」
私が名を呼ぶと、彼はもう理解していた。
「俺が天井を潰す。おまえは痕跡を取れ」
「はい。証拠だけは残します」
私が相手の残した霜光を掌に集め、魔力の指紋を封じる。
その間に、セイジュが1歩、会議場の外壁へ足を踏み出した。
そこから先は、私の視界から少し外れる。
だから、ここからは彼の話だ。
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俺は、空に手を伸ばした。
天井に張られた逆結界は、薄い膜だ。
壊すだけなら簡単。だが、下にいる人間を巻き込めば意味がない。
アリアの結界は、守るためにある。
俺の魔術は、壊すためにある。
だから、合わせる。
「……杭、3本」
短い詠唱で、俺は空気に杭を刺す。
杭は光らない。音もしない。だが、逆結界の式だけを貫くように調整した。
次に、杭を繋ぐ。
線。3つの頂点。簡潔な図形。ガルディア式の基本だ。
俺の背後で、アリアの魔力がふっと伸びた。
結界が、フィルターになる。下への影響を最小にするための壁。
頼もしい。腹が立つほど有能だ。
「……行く」
俺が指を鳴らすと、杭が同時に起動した。
空の見えない場所で、膜が裂ける音がした。
ぱきん。
その瞬間、会議場の天井が淡く光った。
誰の目にも見える形で、逆向きの魔方陣が浮き上がる。
あまりに露骨だ。つまり、隠す気のない工作。
「やっぱり、外の符号だな」
俺は吐き捨てた。
逆結界の中心に、異国の符号が絡みついている。
そこを焼き切る。だが、燃やし尽くすと証拠が消える。
「アリア、見えるか」
俺は通信魔導具に魔力を流した。
今はもう遅延がない。つまり、こちらが勝った。
返事は即座だった。
「見えます。式の写し、取れました。ノエルも記録しています」
「よし」
俺は最後に、杭を少しだけ強めた。
逆結界は、光の粉になって消えた。
天井の模様も、静かに溶ける。
下の会議場から、ざわめきが上がる。
誰かが気づいた。誰かが怯えた。誰かが、黙るだろう。
それでいい。
敵が魔物だけではないと、全員が理解する。
足場に戻ると、アリアが小さな結界札を握っていた。
掌の中に、霜光の粒。魔力痕跡の封印だ。
「逃げられました」
彼女が言う。
悔しそうではない。冷静だ。だから余計に、俺の中の苛立ちが燃える。
「逃がした。だが、痕跡は取った」
「はい。つながりも、匂いました」
「旧貴族派か」
「それだけではありません。外の符号が混ざっています」
俺は頷いた。
そして、彼女の手を自分の手袋で覆った。冷えている。
「次の発言、邪魔はさせない」
「それは頼もしいですね」
「頼れ」
「もう頼っています」
彼女の返事は、短くて、ずるい。
遠くで鐘が鳴った。
休会が終わる合図だ。
会議場へ戻る途中、俺は思った。
今日の妨害は、前触れに過ぎない。
相手がここまで焦って動いたなら、アストリア本国でも何かが起きている。
結界の寿命は、議論の速度より早い。
アリアが、足を止めた。
通信魔導具が震えたからだ。
彼女は光の面を見つめ、静かに言った。
「……来ます」
その1言で、俺の背筋が冷えた。
次の鐘が鳴る前に。
世界が、こちらに答え合わせを叩きつけてくる。
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休会の裏で仕掛けられた逆結界——会議そのものが揺さぶられ、敵は姿を見せずに逃走しました。次話は、残された痕跡から黒い糸がどこへ繋がるのかへ。
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