第78話 責任と代償
会議場の空気が、ほんの少しだけ薄くなった気がした。
私が提示した三つの選択肢は、どれも救いであり、同時に刃だ。
アストリアが生き残るには、誇りを削って骨だけになる必要がある。
円形の大ホール。石造りの壁に、各国の紋章が等間隔に掲げられている。
中央の演壇から下りた私は、ガルディア席へ戻り、椅子に腰を下ろした。
隣のセイジュが、何も言わずに私の手首に指を添える。
確認するみたいな触れ方で、でも離さない。
セイジュ 息は。
私 吸えてる。たぶん。
セイジュ ならいい。
たぶん、が気に食わないという顔をされた。
相変わらずこの人は、心配を命令形で言うのが得意だ。
議長席の前で、白衣の若い魔導師が書記として走り回っている。
レオニア学院の補助員だ。目がきらきらしていて、世界の終わりが近い会議なのに、なぜか嬉しそうに見える。
拍子木の乾いた音が鳴った。
議長 次の議題に移ります。アストリア王国を国際安全保障上のリスク国として認定する件。
言葉は淡々としているのに、場内の気配が一段重くなる。
リスク国。つまり、この国の結界崩壊は、周辺国の命に直結すると世界が公式に認めるということ。
私は視線を上げ、アストリア代表席を見た。
レオン様の背筋は、折れてはいない。けれど、硬い。
隣のリリアナ様は、唇を噛んでいる。泣きそうな顔をして、泣かない。
そして、さらにその隣。
父がいる。
レイン伯爵。私の父。
いつも無口で、謝るときだけ余計に言葉が少ない人だ。
議長の手元で、決議文の羊皮紙が広げられる。
魔導具の光が、文字を壁面に投影した。
大結界崩壊の予測時期、波及範囲、瘴気の拡散経路。
私がさっき説明した数字と同じ内容が、法律の言葉に翻訳されていく。
世界って、こういうふうに動く。
理屈だけでは動かない。けれど理屈がないと、もっと悲惨に壊れる。
各国の代表が、順番に発言を求めた。
南方代表ロドリゴ 商船が通る海路に瘴気が流れ込めば、食料も薬も滞ります。これは慈善ではなく、商売の話です。だからこそ、管理が必要だ。
北方小国代表 我々は兵も魔導師も少ない。隣国が崩れるだけで冬を越せなくなる。今のアストリアに単独維持は不可能だ。
利害の言い方が違うだけで、結論は同じ方向へ集まっていく。
アストリアは、もはや一国の問題ではない。
議長が静かに頷いた。
議長 異論がなければ、認定は可決とします。
反対の声は上がらなかった。
上げられなかった、のほうが近い。
次に示されたのは、代償だ。
救うなら、世界は要求する。要求しない救援は、次の災厄を生む。
議長 条件案を読み上げます。第一、レイン家への公式謝罪と名誉回復。第二、結界技術に関する情報開示。第三、結界管理体制の国際監督下への移行。第四、被害国への経済的補償。
第一の項目で、場内の視線が一斉に私へ向く。
名誉回復。たった四文字なのに、胸の奥に硬いものが残っているのが分かる。
私は名誉が欲しくて結界を張っていたわけじゃない。
でも、名誉がないまま切り捨てられたのは、ちゃんと痛かった。
議長が続ける。
議長 この項目について、当事者の意見を求めます。ガルディア王国、セイジュ・アルバート魔導師団長。
セイジュ ガルディアとしては賛成だ。技術者への責任を明文化することは、次の犠牲を減らす。
淡々。だけど、私の手首を掴む力が少し強くなる。
名誉回復の話で、私の感情が揺れると分かっている。
そして議長が、アストリア代表席へ目を向けた。
議長 アストリア王国、レイン伯爵。発言を。
父が立ち上がった。
背は昔より少しだけ丸くなった気がする。そう見えるだけかもしれない。
場内の空気が、彼の一挙手一投足を待っている。
レイン伯爵 ……私が、話す。
短い。いつも通りだ。
レイン伯爵 アストリア王国の代表として。まず、謝罪する。
レイン伯爵 国の盾を担っていた者を、軽んじた。守るべき者を、守れなかった。
レイン伯爵 娘を……捨てた国の代表として、心より謝罪する。
そこで父は、深く頭を下げた。
勢いよくではない。逃げない角度で、ゆっくりと。
視界が一瞬揺れた。
ああ、これは涙だ。胸が熱い。喉がきしむ。
私の中には、父への怒りも、国への諦めも、全部混ざっている。
それを整理できないまま時間だけが過ぎて、今日ここへ来た。
父が頭を上げる。
レイン伯爵 名誉回復を求めるのは、娘のためだけではない。技術者を道具と扱う国は、必ず次も同じ過ちをする。
レイン伯爵 だから、ここで改める必要がある。……それが遅すぎたことも、理解している。
会議場の誰かが、息を呑む音がした。
私は、父の言葉の中にある二重の謝罪を聞いた。
国としての謝罪。
父としての謝罪。
その場で立ち上がりたい衝動があった。
でも私が立ち上がれば、この場は個人の感情に引っ張られる。
私は技術顧問としてここにいる。私の涙が、決議の価値を下げるなら、それは嫌だ。
だから、私は息を整えて、視線だけで父に答えた。
見ている。
聞いている。
今さら遅い、と言うつもりはない。けれど、忘れもしない。
セイジュが私の手を包み込んで、指先を折りたたむみたいに握った。
逃げ道を塞ぐ握り方だ。泣くのを止めろではなく、逃げるな、という意味。
私 ……ありがとう。
セイジュ 礼を言う相手が違う。
私 違わない。ここで私が崩れたら、あなたが困るでしょう。
セイジュ 困る。だから支える。
ずるい。こんな言い方をされたら、私は踏ん張れてしまう。
議長が続けて、第二の項目へ移る。
議長 結界技術の情報開示について。アリア・レイン技術顧問、補足を。
視線が戻ってくる。
泣きそうな顔のまま立つわけにはいかない。私は立ち上がった。
私 結界技術には、公開できる部分とできない部分があります。危険な術式は、公開そのものが武器化につながります。
私 ただし、管理の枠組みを作ることは可能です。例えば、術式の要点は監督機関が保管し、現場の施工は複数国の認証を経る。単独で改変できない仕組みにする。
私は淡々と、でもなるべく分かりやすく言葉を選ぶ。
大結界は、魔術であり、インフラであり、兵器にもなり得る。
だから設計思想だけは、世界で共有しないといけない。
若い補助員の魔導師が、夢中でメモを取っていた。
目が合って、彼女が小さく頷く。
ああ。次の世代はこういう目をしている。ちゃんと未来はある。
議長が頷いた。
議長 では、監督機関の設置と、技術情報の段階的開示を決議案に組み込みます。
決議が固まっていく。
言葉が形になる速度は遅いのに、ここまで来ると雪崩みたいに止まらない。
そして議長は、もう一度だけ第一項目へ戻った。
議長 名誉回復について、本人の意思を確認します。アリア・レイン。あなたは、レイン家の名をどう扱いますか。
その質問は、決議の文章には存在しないはずのものだった。
でも、必要だ。私は当事者で、象徴になってしまっている。
名誉回復を受け入れることは、アストリアの歴史に私の名前が残るということ。
拒めば、私は完全に他国の魔導師として生きる。
どちらも私の自由だ。自由だから、重い。
私は一瞬だけ、セイジュを見た。
彼は頷かない。答えを渡してくれない。
代わりに、目だけで言う。
好きにしろ。だが、おまえは一人じゃない。
私は息を吸って、議長を見返した。
私 レイン家の名誉回復は、必要です。技術者を守る前例になります。
私 ただし、私はアストリアの臣下ではありません。レイン家の当主が誰に忠誠を誓うかも、私が決めることではない。
言いながら、父の横顔を見る。
父は表情を変えない。けれど、ほんのわずかに肩が下りた。
それが何よりの返事だった。
議長が頷く。
議長 承知しました。名誉回復は決議案に記載します。レイン家の立場と権利の回復を、各国が保証する。
保証。
その言葉が、妙に胸に引っかかった。
国が守らなかったものを、世界が保証する。
皮肉で、でも救いでもある。
会議は次の議題へ進む。
経済的補償。被害の算定。監督機関の構成。
数字が飛び交い、条文が積み上がる。
私は、頭の片隅で別のことを考えていた。
アストリアはここで折れる。
でも、折れたままでは終わらない。
折れた骨は、治る。治り方次第で、もっと歪む。
さっきから、アストリア代表団の後方にいる旧貴族たちの視線が刺さっている。
怒りと恥と恐怖が混ざった、濁った魔力の匂い。
ああ、やる気だ。何かをやる。
セイジュが、私の視線の先を一瞬で追い、低く言った。
セイジュ 気配が悪い。
私 うん。会議の外で、誰かが息をしてない感じ。
セイジュ 護衛を増やす。ユリウスにも言っておく。
私 お願い。……あと、今日は少しだけ、帰ったら抱きしめてください。
セイジュ 少しでは足りない。
私 じゃあ、足りるまで。
言ってしまった。
会議場で言う台詞じゃない。たぶん。
でも、セイジュの口元がわずかに緩む。
その一瞬だけで、私はまた理性を取り戻せた。
父が席に戻るとき、私と目が合った。
言葉はない。
けれど、あの人の目は、昔と同じだった。
おまえの選んだ道を、否定しない。
ただ、遅れてでも背中を押したい。
私は頷いた。小さく。
会議場の誰にも気づかれないくらい、小さく。
そして議長が宣言する。
議長 本日の決議案をまとめます。明日、各国署名のうえで正式採択とする。
拍子木が鳴り、ひとまず会議は閉じた。
立ち上がる人々の波の中で、私は深呼吸した。
責任と代償。
責任を果たす者が、代償を払う。
でも今日、代償を払ったのは、国だけじゃない。
父も、私も、たぶんレオン様も。
そしてきっと、次に払わされるのは。
これを認めたくない人たちだ。
私はセイジュの腕に指を絡めた。
逃げないために。逃がされないために。
明日から、会議の裏側が動き出す。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
名誉回復の決議は終わりではなく、次の火種の始まりでもあります。会議の外で動き出した思惑に、アリアとセイジュはどう対処するのか――次話で一気に波が来ます。
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