第77話 提示された三つの選択肢
会議場の空気が、まだ冷えている。
私が示した瘴気拡散の投影図は、天井近くの魔導灯に映され、赤い波紋みたいに広がったままだ。
どの国の代表も、さっきまでの「糾弾の熱」とは別の種類の顔をしている。計算と恐怖と、ほんの少しの諦め。
その中で、ひとりだけ立ち上がった。
「アリア・レイン殿……」
震えた声。年配の学者だ。数年前、私の論文を「机上の空論」と笑った人。
その手が、まるで重い石でも抱えているみたいに揺れている。
「あなたは先ほど、放置すればアストリアは持たない、と。10年も持たない、と言った。……あれは、脅しなのか。それとも」
脅し。
この場でその言葉が出るのか、と少しだけ笑いそうになった。
私は深く息を吸って、口角を上げないまま答える。
「脅しではありません。計測値と構造上の寿命から導いた、ただの推定です」
「推定……!」
学者の目が泳ぐ。
その向こうで、アストリア代表席のレオンが微かに肩を強張らせた。リリアナは唇を噛んでいる。
「推定と言っても、幅があります。最短で数年。最長でも10年程度」
私は手元の指輪型魔導具に魔力を流した。
投影図が切り替わり、青い線で大結界の輪郭が浮かび上がる。
そこに、蜘蛛の巣みたいな細い亀裂が走った。
「結界は布ではなく、骨格です。骨格が折れれば、上に積んだものは崩れます」
私は淡々と続ける。
「アストリアの大結界は、過去の設計のまま、延命だけを繰り返してきた。しかも、魔力供給の要が偏っている。だから、崩れるときは部分では済みません」
学者が、縋るように問いを重ねる。
「なら……中枢を作り替えればいい。新しい制御陣を――」
「地下の地脈が、すでに摩耗しています」
私は即答した。
「陣だけ新しくしても、土台が持ちません。今ある骨格を使いながら、負担を散らすか、範囲を減らすしかない」
ざわ、と会場が揺れた。
議長が木槌を軽く鳴らし、静粛を促す。
私は学者に目を戻す。
「質問に答えます。あなた方が今、すべきことはあります」
私は少し間を置いて言った。
「選ぶことです」
その瞬間、セイジュが私の隣で椅子の背に手を置いた。
視線は前。声は出さない。
でも、そこにいるだけで、背中の筋がまっすぐになる。
私は演壇の端を歩き、投影図の前に立った。
「アストリアが取り得る道は、3つあります」
数字を口にしただけで、空気がさらに硬くなるのが分かった。
三択。しかも、どれも甘くない三択。
「1つ目」
私は投影図の外縁をなぞる。
「大結界を縮小します。国土の一部を切り捨て、残る範囲の結界だけを作り直す」
会場のあちこちから、小さな息が漏れた。
投影図が変わり、青い輪がひと回り小さくなる。
外側の都市や街道が、赤い影で塗りつぶされた。
「縮小は、技術的には最も分かりやすい。守る面積が減れば、必要な魔力量も減ります。修復も早い」
私は、あえて淡々と説明する。
「ただし、切り捨てた地域の住民は、移住が必要です。期限付きの大避難になります」
レオンの喉が動いた。
彼は何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。
「さらに言えば、国境線が後退します。周辺国への影響も変わる。領土問題は必ず起きる」
私は視線を会場全体に向けた。
「これを選ぶなら、アストリアは政治的に出血します。最短で結界は立て直せても、国は揺れます」
南方海商国家の代表、ロドリゴが肩をすくめて笑った。
軽い声なのに、内容は重い。
「なるほど。守りは作れても、商いは死ぬってやつだな。港から逃げる人間、山ほど出る」
笑いが起きるはずの言い回しなのに、誰も笑えなかった。
私が頷くと、ロドリゴは唇を結んだ。
「2つ目」
私は指を鳴らし、投影図に複数の光点を浮かべる。
「多国の魔導師を受け入れ、共同結界へ移行します。魔力供給と制御を、国単位で分散する」
ここで、会場の反応が少し変わった。
人は「自分の国が関わる話」になると、目の色が変わる。
「共同結界は、結界の鍵を複数にします。例えば、アストリア単独では制御できない仕組みにする」
私は言い切った。
「そうすれば、偏った魔力供給が解消できます。寿命も延びる。領土を切り捨てずに済む可能性が高い」
学者が、今度は希望を見るような顔をした。
でも、その希望に、私は冷たい水をかける。
「ただし、主権は薄まります。結界の中枢に他国の魔力が流れます。情報も漏れます」
私はロドリゴではなく、アストリア席を見た。
「あなた方は、他国に国の心臓を触らせる覚悟が要ります」
北方小国の代表が、硬い声で口を挟んだ。
「中枢に他国の手を入れれば、工作の温床になる。共同結界など、結界を人質に取られるだけだ」
「だからこそ、監査と遮断が必要です」
私は即座に返す。
「誰かが無理に魔力を流した場合、自動で遮断する安全機構を組み込みます。過負荷のときは外側だけを落として内側を守る。そういう設計なら、脅しが脅しになりません」
私は投影図に、小さな鍵の紋章を並べた。
「鍵は複数。監査は常設。緊急停止の決定権も複数国で持つ。面倒ですが、それが『共同』です」
北方代表は苦い顔をしたが、否定はできなかった。
リリアナが、震える息を吐く。
彼女の隣のレオンが、やっと小さく頷いた。覚悟、というより、受け入れの動きに見える。
「3つ目」
私は投影図を大きく切り替えた。
アストリア大結界の輪郭の外側に、もう1つの網が現れる。
ガルディアがここ数年で整備した、新しい国境結界網。多重構造と分散制御。
会場が、ざわっと大きく揺れた。
「自国単独維持を諦め、ガルディア主導の新システムに組み込まれます」
私は、言葉を曖昧にしない。
「技術的には、これが最も安定します。既に稼働している仕組みに接続し、設計思想ごと更新するからです」
セイジュの気配が、少しだけ強くなる。
当然だ。これは彼の国の話でもある。
「ただし、これは救済ではなく、編入です」
私はゆっくりと言った。
「結界の管理はガルディア、あるいは国際管理へ移る。アストリアは、自分の盾を自分で握れなくなる」
レオンが顔を上げた。
その目に浮かんだのは怒りでも悲しみでもなく、たぶん、恐怖だった。
私の胸が、少しだけ痛む。
それでも、私は止めない。
「あなたが昔、私に言いました。2度とこの国の土を踏むな、と」
私は声を低くしない。高くもしない。ただ、事実として置く。
「私はその言葉を守ります。だから、助けるとしても、私は外からしか関われません。あなた方が選ぶのは、あなた方の責任です」
会場のどこかで、椅子がきしむ音がした。
議長が私を見て、短く頷く。
ここから先は、政治の時間だ、と言うみたいに。
私は最後に、3つの光点を並べた。
縮小。共同。編入。
「この3つは、どれも苦い選択です」
私は両手を下ろす。
「でも、苦い薬でも飲まないと、命は助かりません」
沈黙。
その沈黙の中で、レオニア学院の若い魔導師が、補助席から私に水差しを差し出してくれた。
ミレイユ。目が、真剣で、少しだけ憧れを含んでいる。
「……ありがとうございます」
私は小さく礼を言い、水を少しだけ飲む。
喉が潤うと同時に、自分がどれだけ緊張していたかを思い知った。
セイジュが、私の肘にほんの瞬きほど触れる。
触れたかどうか分からないほど短いのに、心臓が落ち着く。
「付け加えます」
私は言った。
「どの道を選んでも、過去は帳消しにはなりません」
レオンの肩が揺れた。
リリアナの目に、涙が浮かんだ。
私はそこで、少しだけ声を柔らかくする。
「ただ、未来は変えられます。守れる命の数も、減らせる犠牲も」
私は演壇の縁に手を置き、頭を下げた。
「以上が、技術顧問としての所見です」
椅子に戻る途中、背中に視線が突き刺さる。
賞賛も、怒りも、計算も。
そしてその全部の中心に、アストリアの代表席がある。
席に着くと、セイジュが囁いた。
「よくやった」
「……まだ、終わってません」
私が答えると、彼は短く息を吐いた。
「終わらせるのは、お前じゃない。選ぶのは、あいつらだ」
その言葉が、妙に優しかった。
議長が木槌を鳴らす。
「ここからは、各国代表の発言を求める。アストリア王国は、今提示された3案について、立場を明確にせよ」
レオンが立ち上がろうとして、止まった。
喉が動いているのに、声が出ない。
ユリウスが静かに立ち、議長へ耳打ちをする。
次の議題が何か、私はもう分かっていた。
責任と代償。
そして、誰が頭を下げ、何を差し出すのか。
私はレオンの横顔を見つめながら、胸の奥で小さく呟く。
さあ。
選んで。
過去を捨てた国が、未来を選び直す瞬間だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「三つの選択肢」を突きつける回でしたが、次話はいよいよ誰が責任を負い、何を差し出すのか”が動きます。アリアの覚悟と、セイジュの静かな独占欲もじわっと濃くしていく予定です。
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