第76話 アリアによる現状分析
会議場の裏手は、表の華やかさとは別世界だった。
石の廊下に、乾いた足音。魔導具の準備で走り回る補佐たち。遠くのホールからは、ざわめきが波のように押し寄せてくる。
私の手のひらに、冷たい金属の感触がある。
ノエルが作った携帯計測器だ。小さな盤面に、いくつもの数値が浮かび、ゆっくりと色を変えている。
まだ、大丈夫。
大丈夫だけれど、嫌な予感は薄まらない。
隣で、セイジュが腕を組んだまま壁にもたれている。黒いローブの影が濃い。
視線だけで、私の呼吸を数えているのが分かるから厄介だ。
「緊張しているか」
「していません。いつも通りです」
「なら、いつも通りに怖い顔をしているだけだな」
「それ、褒めてますか」
私が小さく笑うと、セイジュの口元がほんの少しだけ緩んだ。
「おまえが言うべきことは、言えばいい。余計なものは、俺が切る」
余計なもの。たとえば、意図的な揚げ足取り。たとえば、感情を煽る言葉。
私は頷いて、計測器を握り直す。
「ありがとうございます。でも今日は、切らなくても済むようにします。数字で殴ります」
「それが一番怖い」
会話の端に甘さが混ざると、逆に落ち着く。
私は深呼吸をして、ホールへ向かう扉の前に立った。
扉が開く。
光と熱気と視線が、一斉にこちらへ流れ込んできた。
中立都市レオニアの会議ホールは、想像以上に大きい。階段状の客席が半円に広がり、その中央に演壇がある。
各国の旗と紋章。魔導具の通信陣。記録用の水晶。天井には、音声増幅の小さな結界が薄く張られている。
そして、沈黙の中に残る、さっきまでの糾弾の余韻。
議長が、杖で床を軽く鳴らした。
「次の発言者は、ガルディア王国代表団より。国境結界プロジェクト主任、結界技師アリア・レイン」
名を呼ばれた瞬間、空気が変わった。
アストリア側の席から、息を呑む音がしたのが分かる。レオンの横で、リリアナが背筋を伸ばす。レイン伯爵は、まっすぐ前を見ている。
そして、傍らの通路の陰に、セイジュがいる。護衛というより、刃物のような静けさだ。
私は演壇へ歩きながら、妙に冷静だった。
あの日、王都の玉座の間で、私の言葉はいつも軽かった。
今日は違う。軽く見ようがない場所に、私は立っている。
演壇の横に、ノエルが準備した投影盤がある。私は指先を触れ、起動の魔力を流した。
薄い光の幕が立ち上がり、空中に立体の地図が現れる。
「皆さま、本日は時間をいただきます。結論から言います」
私は、わざと間を置いた。
「アストリア王国の大結界は、今のままでは10年持ちません。より正確には、局所崩落はもっと早く起きます。そして被害は、アストリアだけに留まりません」
ざわ、と波が立つ。
私はその波を、視線で押さえた。
「まず、大結界とは何か。仕組みを簡単に説明します」
指を弾くと、地図の上に半透明の球体が重なる。
それが、国土全域を覆う膜のイメージだ。
「外側の層は、瘴気と魔物を弾く最外殻層。次に衝撃を吸収する緩衝層。内側に、生活圏を守る保護層があります」
球体が層ごとに色を変え、断面が見える。客席の何人かが、息を飲んだ。
「そして重要なのは、地表の下です。地中基底層。古い魔方陣が大地に刻まれています。アストリアは、この基底層と王都地下の中枢核を結び、全土に魔力を送っています」
球体の中心、王都の位置に光の柱が立つ。
そこから無数の線が伸び、国土へ散る。
「分かりやすく言えば、1つの心臓で全身を動かしている構造です。効率は良い。ですが、心臓が弱れば全身が弱ります。補助の心臓がありません」
別の図を重ねる。ガルディアの防衛線だ。
要所ごとの結界が点で並び、線でつながる。
「ガルディア式は、要所防衛です。点と線で守り、壊れた場所は即時に張り替える。長期維持は苦手ですが、柔軟性があります」
さらにもう1枚。私のハイブリッド案の簡略図を出す。
リングが幾重にも重なり、余剰魔力が別の地点へ流れていく。
「私はここ数年、結界を水路のように扱う方法を研究しました。余裕のある場所から、危ない場所へ魔力を再配分する。外周が削られても、内側へ退避するほど硬くなる多重構造です」
小さなざわめき。
この反応は、批判ではない。理解しようとする音だ。
「ですが、アストリアの大結界は設計思想が違います。儀式魔術でゆるやかに維持し、大地に固定する。その代わり、改修の自由度が低い。さらに」
私は、次の言葉だけ少しだけ硬くした。
「長年、特定の魔力供給源に依存していました」
空気が、ひやりとする。
アストリア席の顔色が変わる。何人かが立ち上がりかけ、議長が手を上げて制した。
「待て!」と、どこかの代表が声を上げた。「それは誰だ。名を挙げて責任を押し付けるつもりか!」
私は、視線を逸らさない。
「名前を出す必要はありません。私は責任の話をしていません。構造の話をしています」
投影盤に、細いグラフを重ねる。
年ごとの魔力供給量。回復速度。層の厚み。
「供給が減った時期と、ひびの増加は一致しています。観測値です。嘘をつく余地がない。だからこそ、対策の議論ができます」
誰かが言い返そうと口を開いたが、隣の通路から、冷たい声が落ちた。
「続けろ」
セイジュだ。
一言だけで、雑音が引っ込む。会議場の空気が、刃物で切りそろえられたみたいに静かになる。
私は、少しだけ息を吐いた。
この場で私がやりたいのは、ざまぁではない。世界が壊れる前に、止めることだ。
けれど、真実を言えば傷つく人がいる。その覚悟だけは、背骨に入れてきた。
「繰り返します。これは非難ではありません。構造上の事実です。供給が減れば、層は薄くなり、ひびは増えます。ひびは、瘴気の入口になります」
投影盤が、別の表示に切り替わる。
地図が引きで映り、大陸全体が見える。紫がかった霧が、国境からじわじわと広がる映像。
「放置した場合のシミュレーションです。ひびが増えると、まず外縁部から瘴気が漏れます。魔物が活性化し、国境線が戦場になります。避難民が出ます」
地図の上に、小さな光点が流れる。人の流れ。
その先に、別の国の都市がある。
「次に影響を受けるのは、弱小国です。防衛力が低い国は、結界の補修速度が追いつかない。さらに海路。瘴気が濃くなると、沿岸と航路の安全が落ちます。交易が止まる」
南の海に、赤い警告が点滅する。
客席の一角から、低い唸り声が上がった。海商国家の代表だろう。
「つまり、アストリアの問題は、世界の物流と安全保障の問題になります」
私は、最後に自分の胸に指を当てた。
「私はアストリアの出身です。ですが、今はガルディア所属の結界技師です。個人的な感情に関係なく、私は一人の技師として所見を述べています」
しん、と静かになった。
沈黙の質が変わった。逃げ道のない静けさ。
私は、数値を示した。
計測器のデータと、各地の観測網。ひびの進行速度。貯金魔力の減り方。
数字は、嘘をつかない。
「結論を繰り返します。今のままでは、アストリアは10年持ちません。その前に、周辺国が崩れます。だから今ここで、対策を選ぶ必要があります」
私は一礼して、投影盤から手を離した。
光の幕がすっと薄くなる。
息を吐く。
背中に、見えない汗が流れる感覚がした。
演壇を降りる瞬間だけ、私はアストリア席を見た。
レオンは、拳を握りしめている。リリアナは唇を噛んで、泣くのを堪えているように見えた。
そして、父は。
レイン伯爵は、誰よりも深く頭を下げていた。謝罪でも、服従でもなく、ただ事実を受け止めるための所作に見えて、胸の奥が少し痛んだ。
その痛みを飲み込んだ瞬間、客席の後方から、かすれた声が響いた。
「待ってください……アリア・レイン嬢」
私は顔を上げた。
立ち上がったのは、白髪の学者だった。胸元の徽章で分かる。レオニア学術院の評議員。
数年前、私の論文を門前払いにした人物の1人だ。
彼の指先が震えている。
視線は、さっきの投影の中心点を刺すように見つめている。
「その……その計算式は。貴女がかつて提出した、結界ネットワーク理論……あれを、実用化したものなのですか」
会場の空気が、また一段、張り詰めた。
私は答えを口にする前に、セイジュの方を一瞬だけ見た。
彼は無言で頷く。
逃げない。
隠さない。
ここからが、本番だ。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
アリアの数字で殴る現状分析、刺さっていたら嬉しいです。次話では、かつて門前払いされた理論がどう実用化され、誰がどこで歪ませていたのか──核心に踏み込みます。セイジュの守り方も、少しずつただの護衛じゃなくなっていく予感。
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