第75話 開会の辞と糾弾
大ホールの天井は高い。高すぎて、声が上に吸われていく気がする。
それでも今日は、ここに集まった国の数だけ、言葉が落ちてくる。
中立都市レオニア。
学術と交易で生きるこの街が、こんな空気を抱える日が来るとは思わなかった。
議長席の縁には、翻訳用の小さな水晶がずらりと並んでいる。
各国の言葉は違う。けれど今日だけは、違いが盾にならないように、すべてが同じ音に揃えられる。
皮肉だ。言葉が通じるほど、罵声もよく刺さる。
私は議長席に立ち、手元の魔導具を軽く叩いた。
青い光が走り、場内のざわめきが少しだけ沈む。
「国際安全保障会議、開会する」
儀礼的な拍手が起きる。だが、音は乾いていた。
各国代表の席には、軍服も礼装も混じり、誰もが笑顔を作る余裕を失っている。
理由は単純だ。
魔物が増えている。
瘴気が広がっている。
そして、その始まりの名を、誰もが知っている。
「発言は議長の許可制とする。時間は各国、原則5分。互いの侮辱ではなく、事実と提案を述べてほしい」
「……理想論に聞こえるだろうが、ここは戦場ではない。戦場を増やさないための場だ」
何人かが鼻で笑った。だが反論は出ない。
戦場を増やせば、今度は自分の国境が割れる。
私は目を伏せ、用意された報告書を開いた。
淡々と読む。感情を混ぜれば、火に油だ。
「北方山脈沿い、過去半年で襲撃件数は前年同時期比で2.4倍。村落の放棄が7件」
「南方海路、瘴気濃度上昇により航路の閉鎖が3本。海魔の目撃情報が増加」
「内陸部でも、小規模裂け目の発生が確認され、局所結界の応急展開が常態化」
ページをめくるたび、ホールの温度が下がる。
数字は、誰の言い訳も許さない。
最後に、私は一文を置く。
ここから先は、政治だ。
「以上の一連の連鎖の発端として、アストリア王国の大結界システム不全が、複数の観測網で示唆されている」
空気が、ぴしりと割れた。
視線が一斉に、中央列の一角へ向かう。
アストリア代表席。
そこには、王家の象徴色をまとった男がいる。
レオン殿下。
その隣に王妃リリアナ。さらに少し後ろに、レイン伯爵。
彼らは、今日ここに立つために、どれほどの罵声を浴びてきたのだろう。
私には想像がつく。中立都市の議長として、そしてただの人間として。
沈黙を破ったのは、北方小国連合の代表だった。
若い女外交官、エルナ・ヴァイス。
席を立つ動きが速い。怒りに慣れた人間の速さだ。
「議長、発言を求めます」
「許可する」
彼女は、書類の束を机に置いた。音が大きい。
「我々の国境は、ずっと前から魔物と隣り合わせでした。だから綺麗事は言いません」
「だが、今回の増加は異常です。アストリアの大結界が揺れた瞬間から、風向きが変わった」
エルナの視線は鋭い。矢じりのように、まっすぐレオン殿下へ刺さる。
「我々は毎年、結界維持のために交易税を上乗せしてきた。大結界の恩恵を受けていると信じて」
「それが崩れて、被害だけがこちらに流れ込む。これは、誰が責任を取るのですか」
拍手は起きない。だが、同意の頷きが連鎖した。
弱小国は、声を上げる機会が少ない。だからこそ今、刃にする。
続けて、東の大国の代表が立った。
豪奢な衣の男で、口調だけは丁寧だ。
「アストリアは結界技術を独占し、他国の共同研究を拒み続けてきた」
「今回の事態を受け、技術の公開と監査を義務付けるべきだ。違反した場合は制裁も」
制裁。という単語が出た瞬間、アストリア席の空気がさらに沈む。
レイン伯爵の手が、机の縁を強く掴んだ。白くなるほどに。
ガルディア宰相ユリウスが、静かに手を挙げた。
顔には笑みがある。だが、その笑みは刃物の薄さだ。
「議長、議題整理を」
「責任の所在と、今後の枠組みは切り分けるべきです。混ぜれば、合意が遠のく」
私は内心で小さく息を吐いた。
場が燃えすぎる前に、燃料を別の場所へ移す。政治家の手つきだ。
南方海商国家の代表、ロドリゴ・マレスが手を挙げた。
彼はいつも口元に笑みを浮かべるが、今日はその笑みが薄い。
「議長、うちも発言を。海はね、壁がないんだ。瘴気が流れ込むと商売が死ぬ」
「死ぬと困るのは、うちだけじゃない。皆さんの塩も香辛料も、届かなくなる」
軽口に聞こえる言い回しだが、内容は重い。
ロドリゴは扇子を畳み、真顔になった。
「だから、責任追及も必要だ。でもそれだけじゃ、海は待ってくれない」
「アストリアが崩れるなら、次はどこが受け皿になる? ガルディアか? 北方か? それとも、全員で沈むか?」
私は喉の奥がきしむのを感じた。
議長の仕事は、喧嘩の火花を管理することだ。
燃やし尽くさず、消しすぎず、次の言葉につなぐ。
「発言は順に受け付ける。だが、本日の第一議題は責任追及ではない」
「大結界の現状把握と、今後の安全保障体制だ」
そう言った瞬間、会場の後方から低い声が飛んだ。
「責任を曖昧にして、また同じことを繰り返す気か」
誰だ。と視線を走らせると、古い式服の老人が立っていた。
アストリア旧貴族派の一人。名は覚えているが、今はあえて呼ばない。
彼の背後で、レイン伯爵が一瞬だけ目を閉じた。
そして、王妃リリアナの指が、小さく震える。
レオン殿下は、席を立った。
動作が遅い。だが、迷いはない。
椅子が引かれる音が、なぜだかやけに大きく響く。
「議長。発言を許していただきたい」
「許可する」
殿下は、ホールの中央へ進み出た。
そこは、本来なら勝者が立つ場所だ。今日は違う。
彼は、深く息を吸い。
そして、膝を折った。
ざわめきが消える。
誰かが息を呑む音だけが残った。
「アストリア王国を代表し、ここに謝罪する」
「我々の慢心と怠慢が、大結界を衰えさせ、各国に被害を及ぼした」
頭が床に近づくほど下がる。
礼ではない。服従でもない。ただの、現実だ。
「どれほど非難されようとも、受け入れる」
「それでも、国民が死ぬのを見捨てるわけにはいかない」
言葉の端が、わずかに震えた。
それが演技か、本音か。議長の席からは判断できない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
この場にいる誰もが、アストリアが崩れれば次は自分の番だと理解している。
私は視線を動かした。
傍聴席の一角。ガルディア代表団の近くに、若い女性が座っている。
アリア・レイン。
元アストリアの結界技師であり、今はガルディア国境結界プロジェクト主任。
彼女は拍手もしない。
嘲笑もしない。
ただ、静かに指先を組み、殿下の頭の下がった背を見つめていた。
その表情が、私には読めなかった。
優しさなのか。怒りの残り火なのか。それとも、もう別の次元で物事を見ているのか。
彼女の少し前方、学者席に座る男が、喉を鳴らした。
ドロセル・ハイン。レオニアの結界理論家。
かつて彼女の論文を冷たく退けたと聞く。
今日の彼は、誰よりも落ち着きがない。
私の知る学者の傲慢ではなく、訂正の機会を待つ人間の緊張だ。
隣に立つガルディア魔導師団長、セイジュ・グランツは、アリアを半歩だけ囲う位置にいる。
護衛というより、癖だ。離れない、という癖。
レオン殿下が顔を上げた。
額に汗が光っている。貴族の場に似合わないほど、露骨な汗だ。
「議長。各国の叱責を、私は受ける」
「だが、今この瞬間も、大結界の裂け目の向こうで人が死んでいる。……それだけは、忘れないでほしい」
言い切ったあと、殿下は再び頭を下げた。
今回は、さっきより浅い。人に向けた頭ではなく、事実に向けた頭だ。
私は一拍置いて、槌を鳴らした。
音が、次の段取りを呼び戻す。
「謝罪と受諾を記録する」
「そして次に進む。専門家の現状分析を行う」
ホールの視線が、再び動く。
今度は、傍聴席の女性へ。
アリア・レインが立ち上がった。
小さく深呼吸して、歩み出す。
その背中を見ながら、私は思う。
この会議は、国の数で動くのではない。
彼女の一言で、世界の形が変わる。
だからこそ、今日の糾弾は必要だった。
責任を曖昧にしたままでは、未来の合意は作れない。
アリアが演壇の前に立つ。
彼女の指先が、壇上の魔導具に触れる。
光が走る直前。
私は、もう一度だけ槌を鳴らした。
「次席、アリア・レイン。発言を」
そして世界は、彼女の声を待った。
ここまでお読みくださりありがとうございます!
国際会議が開き、ついにアリアが演壇へ。謝罪と糾弾の後、彼女が示す結界の真実で各国の立場も恋の距離も一気に動きます。
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