第73話 招集される諸国
机の上に広げた大陸地図は、やたらと静かだった。
静かすぎて、逆に不気味だ。
私はペン先を整え、白い招請状を3枚、机の中央へ並べた。
宰相ユリウス・グランデ。肩書きの重さで腕が太くなるなら、私はもう怪物だろう。
隣の窓の外では、ガルディア王城の夜警が灯を揺らしている。
平和に見える。けれど今、あの空の向こうで、結界が剥がれている。
「……名称はこれで押し切る」
私は独り言のつもりで口にした。
大結界崩壊に伴う国際安全保障会議。
名目は防衛だ。吊るし上げではない。
もちろん、実態は吊るし上げに近い。世界は優しい顔で牙をむく。
扉が2回、短く鳴った。
「入れ」
入ってきたのは国王アレクシス陛下だった。寝間着ではなく執務服。つまり、眠れていない。
陛下は机の端に視線を落とし、招請状の題名を読んで、鼻で息を吐いた。
「ずいぶんと硬いな」
「硬くないと、割れます。今の大陸は」
陛下は短く笑った。笑いの形をしているだけで、目は笑っていない。
「アストリアは受けるか」
「逃げ道を塞げば、受けざるを得ません。拒否すれば、各国は救援の義務も理由も失う。国王レオン殿は、そこまで愚かではないでしょう」
陛下は椅子に腰を下ろし、私の手元を見た。
「文面に、アリア・レインの名は出すな。あの子を餌にするな」
「承知しています」
ただし、出さなくても全員が知る。
今や大陸で結界を語るなら、避けて通れない名だ。
扉がまた鳴り、今度は黒いローブの男が現れた。
セイジュ・アルバート。宮廷魔導師団長。私の胃に優しくない男。
「警備配置を更新した。招請状の発送に合わせて、会議都市周辺の結界も先に押さえる」
「相変わらず早いな」
私が言うと、セイジュは淡々と頷いた。
「遅いと、刺される」
その言い方だと、比喩ではなく本当に刺される。
陛下も同じ感想だったらしく、眉をひそめた。
「アリアは」
「研究塔にいる。今は寝かせている」
セイジュの声が、ほんの少しだけ低くなる。
あの男の中で、アリアに関する感情だけは理屈より先に動く。分かりやすい欠点で、そして分かりやすい強さだ。
「彼女の条件……アストリアの土を踏まない件、文書化は済んだのか」
陛下が問うと、私は頷いた。
「国際会議の議題に組み込みます。救援は、会議の合意と引き換え。アリア殿は技術顧問としてのみ参加。立場を曖昧にしない。曖昧にすると、必ず誰かが彼女を所有物に戻そうとします」
私はペン先を紙に落とした。
宛名は北方小国連合、南方海商国家、そして中立都市レオニア議会。
言葉は刃だ。切れ味を調整しないと、こちらの指が落ちる。
私はまず北方へ向けて書いた。
大結界の崩壊は、瘴気の波として山脈を越え、あなた方の国境を直撃する可能性が高い。
よって参加はあなた方自身の生存のためである。
冷たい。だが嘘はない。
次に南方へ。
交易路の安全は海だけでは成立しない。陸が崩れれば、港は飢える。
あなた方の商隊が求めるのは、感情ではなく安定だろう。
そしてレオニアへ。
中立都市として、学術都市として、世界の知を集める責務を果たしてほしい。
議長席を守るのがあなた方の誇りなら、今こそ出番だ。
私が書き終えると、セイジュが小さく顎を引いた。
「これで、集まる」
「集めるんだよ」
言い返した瞬間、背後の気配が増えた。
柔らかな足音。香り。研究塔の紙とインクの匂いが混じる。
「ユリウス様。起きてしまいましたか」
アリア・レインが、扉の隙間から顔を覗かせた。薄い上着に髪はゆるく結われ、目の下にうっすら影がある。
寝かせていると言った男が、視線を逸らした。なるほど。
「起こしたのは私のせいではない。君のせいだ、セイジュ」
「……音を立てていない」
「存在がうるさい」
アリアが小さく笑い、セイジュが無言で敗北する。そういう夫婦未満の空気だ。
陛下が咳払いをした。
「アリア、無理はするな」
「大丈夫です、陛下。……それより、招請状ですか」
アリアは机の上を見て、すぐ理解した顔をした。
「国際会議。私の条件を、世界の条件に変えるための場所」
「その通りだ」
私は彼女を見た。彼女は私を見返す。目が落ち着いている。
この状況で落ち着ける女は、信用できる。たぶん、人間としてはあまり健康ではない。
「アリア殿。会議で、あなたは技術者として話す。政治の殴り合いは私がやる。セイジュ殿は盾だ。あなたが気にするのは、結界の寿命と、救える範囲だけでいい」
アリアは短く頷いた。
「救える範囲を、曖昧にしない。……そこが1番、嫌われますよね」
「嫌われ役は、宰相の嗜みだ」
私が言うと、アリアがまた小さく笑った。
セイジュはその笑いに反応して、アリアの肩にそっと手を置く。触れ方が不器用で、やたらと慎重だ。
「……約束を守れ」
セイジュが言った。
「守ります。私はアストリアに戻らない。土も踏まない。だから、あなたも勝手に燃え尽きないでください」
アリアが淡々と返すと、セイジュは言葉を失った。
魔物には勝てるが、恋人には弱い。大陸の不思議である。
私は咳払いで空気を戻した。
「では、返信が来た順に処理する。明朝、通信室を押さえておけ」
翌日、私の机は紙ではなく、魔導具の光で埋まった。
まず北方からだ。
山脈に張り付くような小国の代表が、映像水晶の中で腕を組んでいた。
「ガルディア宰相。招集は理解した。だが、条件を言え。アストリアの尻拭いに兵を出すほど、我々は裕福ではない」
「出さなくていい。欲しいのは合意だ。結界の国際管理と、観測網の共有。兵は、必要になった時にだけ出せ」
男の目が細くなる。
「……ガルディアは、結界技術を握るつもりか」
「握らない。握ると、また同じ失敗を繰り返す。特定の家と特定の国に依存した結果が、今のアストリアだ」
私が言うと、男は少しだけ口角を上げた。
「いい答えだ。参加する。アストリアには、遠慮なく石を投げさせてもらう」
「石は会議場の中で投げろ。外で投げると戦争になる」
次は南方。
海商国家の代表は、にこやかな顔で来た。笑顔ほど信用できないものはない。
「宰相殿。会議の開催、誠に結構。ですが我々は商人です。参加の見返りは」
「安定だ。港に届く麦と、病を運ぶ瘴気を減らすこと。それ以上の見返りが欲しいなら、アストリアに請求しろ」
「王国に請求書を送れと」
「送ればいい。今のアストリアは断れない」
代表は楽しそうに笑った。
「さすがガルディア。では、参加。護衛船も出しましょう。念のため」
「ありがとう。ただし、会議都市は中立だ。武装の程度は議長に従え」
最後はレオニア。
水晶の中に現れたのは、白髪の老人だった。学者らしい細い指で、議長章を弄ぶ癖がある。
「グランデ宰相。招請状、確かに受け取った。……ついにこの日が来たか」
老人は、遠い目をした。
結界研究者の集まる都市が、世界の裁判所になる日。学術の名を借りた現実の場だ。
「議長。都市の中立を守るため、我々も協力する。だが会議の議題は、剣呑だ。アストリアは血を流すかもしれん」
「流れるのは血ではなく、面子です。流してもらいます。血を流すより、安い」
老人は小さく笑った。
「なるほど。君らしい。会議場は用意しよう。日程は……7日後に設定する。各国に通達する」
7日。
短い。だが結界のひびは、こちらの都合で待ってくれない。
「助かる。議長、1つだけ。会議場の結界は、こちらが補強していいか」
「好きにしろ。どうせ君らがやらねば、誰かが壊す」
老人はそう言って、水晶の光から消えた。
私は椅子の背にもたれ、息を吐いた。
大陸が、こちらを見ている。見られる側はいつだって疲れる。
机の端で、アリアが静かにメモを取っていた。セイジュはその背後に立ち、目だけで周囲を警戒している。
この2人が並ぶと、政治の汚れが少しだけ薄まる気がする。錯覚でもいい。宰相の心は乾きやすい。
「ユリウス様」
アリアが顔を上げた。
「7日後、ですね。間に合いますか」
「間に合わせる。間に合わないなら、間に合わせる方法を作る。君がいつもやっているだろう」
アリアは苦笑した。
「私の悪い癖を、政治に持ち込まないでください」
「いい癖でもある。君の悪い癖が、世界を救うなら安いものだ」
セイジュが低い声で言った。
「安くない。命を値切るな」
アリアが横目で見上げる。
「値切ってません。守ってます」
言葉が短いのに、間に熱がある。
私はその間に割り込まない。宰相には空気を読む権利がある。時々だけ。
私は立ち上がり、窓の外を見た。
夜の王城は静かだ。けれど静けさの向こうで、世界が動き始めている。
「会議が始まれば、誰も逃げられない。アストリアも、我々も」
私が言うと、陛下が低く答えた。
「逃げるための会議ではない。守るための会議だ」
「ええ。守るために、まず責任を言葉にする」
私は机の招請状を束ね、封蝋を落とした。
赤い封蝋が冷えて固まる。
その音が、どこかで結界の鎖が軋む音に似ていて、私は笑いそうになった。
世界はいつも、皮肉でできている。
そしてその皮肉を、今回はこちらの武器にする。
7日後、レオニアで。
私は自分に言い聞かせるように、最後の文を心の中で結んだ。
ようこそ、国際会議へ。
逃げ場のない場所へ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
国際会議が動き出し、責任と救済の綱引きがいよいよ本格化します。アリアの「条件」が世界の「常識」になるのか――そしてセイジュの独占欲が、次にどんな形で彼女を守るのか。次話は会議前夜の火種を一気に拾います。
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