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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編 第10章 不要と捨てた魔導師に頭を下げに来る元婚約者

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第71話 膝を折る王子

 研究塔の会議室は、最上階の円形フロアとは違って、長い机と椅子が並ぶ、いかにも実務の部屋だった。

 けれど窓は高く、外周をぐるりと囲う魔法ガラスから、ヴァルディアの空が見える。ここがガルディアだと、嫌でも思い知らされる景色。


 机の端には、記録用の水晶が2つ。光が淡く揺れている。

 今日のやり取りは、半分は公開だ。

 言った言わないを許さないための、ガルディア式の優しさ――そして冷酷さ。


 壁際には、魔導師団の幹部が数名。記録官もいる。

 全員が、私ではなくレオン殿下を見ていた。

 王太子が、どれだけ頭を下げられるのか。

 それを世界に示す場でもあるのだ。


「顔色、悪いわよ。主任」

 隣でリゼットが囁いた。


「悪いのはいつも通りです」

「いつも通りが駄目なの」


 叱られた。

 でも、笑う余裕はある。昨日マリアナが差し入れてくれた甘い菓子と、寝る前の強制的な温かいお茶のおかげで、最低限の心臓は動いている。


 向かい側の席に、父――レイン伯爵が座っている。

 目が合うと、父はほんの少しだけ口元をゆるめた。

 その微細な変化に、胸がひゅっとなる。私はまだ、この人に弱い。


 その隣にはユリウス。

 相変わらず政治家の顔で、紙束を整えながら、面白い実験でも始まるみたいに目が冴えている。


「記録水晶、動作良好。見学の魔導師団幹部も揃いました」

 ユリウスがさらりと言う。

「では、当事者を入れましょう。……アリア、準備は?」


 準備。

 何にだろう。胸の奥を、昔の玉座の間が引っ掻く音に。

 それでも私は頷く。


「はい。……大丈夫です」


 その瞬間、椅子の背に、軽い重みが乗った。

 セイジュ様が、私の背後に立っただけだ。

 なのに、熱が戻る。魔力の温度が違う人なのに、不思議と落ち着く。


「無理はするな」

 短い声。命令に近い優しさ。


「はい」


 扉の向こうで、足音が止まった。


 次の瞬間。

 会議室の空気が、ほんのわずかに固まる。


 入ってきたのは、レオン殿下。

 その後ろに、王妃リリアナ。白い外套の裾が、床をすべる。

 さらに護衛が数名――そして、案内役のガルディア兵が距離を取ってついている。


 レオン殿下は、私を見た。

 私も見た。


 懐かしいはずなのに、まるで知らない人の顔だった。

 目の下の影。頬のこけ方。背筋だけで威厳を保とうとしている、無理のある姿勢。


 彼は、私の前まで来ると――。

 迷いなく、膝を折った。


 椅子がきしむ音すらしない静けさの中で、布の擦れる音だけが響く。

 王太子が、異国の塔の会議室で。

 かつて自分が捨てた女の前で。

 自分から頭を下げた。


 記録官の羽ペンが止まり、壁際の幹部たちが息を呑むのが分かった。

 誰もが知っている。

 彼が私に向けて放った言葉が、ただの怒鳴り声ではなく、国が人を捨てる合図だったことを。


 私は、指先を膝の上で組み直す。

 泣かないし、怒鳴らない。

 ただ、事実だけを積み上げる。

 そうやってしか、私は自分を守れないから。


 喉が、ひりつく。

 あの日の台詞が、脳の奥で蘇る。


 2度と、この国の土を踏むな。


 そう言ったのは、あなたなのに。


「……アリア・レイン」

 レオン殿下の声は、枯れていた。

「俺は、あのとき……」


 そこで言葉が詰まる。

 誇りを削る音がした。たぶん、心の中で。


 横でリリアナが、そっと1歩前に出る。

 彼女もまた、深く頭を下げた。昔みたいな演技の角度ではない。髪が乱れていて、手の甲に小さな傷がある。現場で働いた人の手だ。


「アリア様。……いえ、アリアさん。あなたを傷つけたことを、王妃としてではなく、1人の人間として後悔しています」

 リリアナの声は震えていたが、逃げなかった。


 私は、その言葉を受け取る。

 受け取って、しまう。

 憎しみだけで生きられるほど、私は器用じゃない。


 だからこそ、線引きが要る。


「レオン殿下」

 私は、椅子から立たないまま言った。

「まず確認します。これは、あなた個人の謝罪ですか。それとも、アストリア王国としての要請ですか」


 ユリウスが、にこやかに頷いた。

 あの人は、こういう場の進行が好きだ。嫌な意味じゃなく、本当に好きだ。


 レオン殿下の肩が、わずかに揺れる。

 膝をついたまま、唇を噛んで、そして答えた。


「……国として、だ」

「そうですか」


 私は息を吸った。

 窓の外の空は、今日も澄んでいる。


「私はもう、アストリアの臣下ではありません」

 言葉にした瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 何年も前、玉座の間で1度言えなかったことを、ようやく正しい場所で言えている。


「私はガルディア王国の国境結界主任で、セイジュ様の婚約者で――この国の客将です。個人の感情だけで動くわけにもいきません」


 レオン殿下は、顔を上げた。

 上げてしまった。

 膝を折っても、彼はまだ王太子の癖が抜けないらしい。


 その視線が、私の肩越しにいる人へ、ほんの1瞬だけ触れた。

 セイジュ様。

 彼の存在が、レオン殿下の中の何かを壊したのが分かる。


「……帰ってきてくれ」

 レオン殿下が、喉の奥から絞り出すように言った。

「おまえが……おまえがいないと、結界が――」


 会議室の空気が、ひやりと凍る。

 それは、助けを乞う言葉の形をした、所有の癖だった。


 次の瞬間。

 セイジュ様の声が、氷みたいに落ちた。


「下げろ」

「……っ」

「頼み事をする姿勢ではない。今のは、命乞いではなく回収だ」


 レオン殿下は、きつく目を閉じてから、もう1度ゆっくりと頭を下げた。

 床に視線を落としたまま、言い直す。


「国を守るために……どうか、力を貸してくれ」


 頼み方としては、正しい。

 ただ、遅い。あまりにも。


 私は机の上の紙束を指で軽く叩いた。

 そこにはノエルがまとめた観測値と、グラナから上がってきた報告が並んでいる。数字は嘘をつかない。


「大結界の劣化は、もう止まりません。今あなたが守りたいものは、王家の体面ですか。それとも、国民の命ですか」


 レオン殿下の呼吸が詰まった。

 その横で、リリアナが小さく首を振る。


「命です」

 リリアナが先に言った。

「殿下も、今は……」


 レオン殿下は、拳を握りしめた。

 爪が食い込むほど強く。

 それから、震える声で答えた。


「国民の命だ。……俺は、王として、それを守れなかった」


 王として。

 その単語が、少しだけ彼を大人に見せた。

 同時に、私の中の何かが冷えたまま動かないことも自覚する。


 赦しと協力は、同じじゃない。


「分かりました」

 私は、淡々と言った。

「では、あなたの願いは受け取ります。ただし、条件が必要です」


 レオン殿下の顔が上がりかけ、すぐに耐えるように下がる。

 学習したらしい。


「条件は、どんなものでも……」


「今この場で決められる範囲ではありません」


 私は、記録水晶を見た。

 淡い光が、私の声をまっすぐ吸い込んでいる。

 ここで言ったことは、もう消せない。


「これは、私とあなた2人の問題ではなく、世界の問題です」


 ユリウスのペンが、止まった。

 父の肩も、ほんの少しだけ動く。

 セイジュ様の重みが、背後で微かに強くなる。


「大結界が崩れれば、瘴気は国境を越えます。アストリアだけの災厄では終わらない。だから――」


 私は息を吐く。

 次に言う言葉は、私の人生だけじゃなく、世界の形を変える。


「国際会議を開きましょう。各国の代表と専門家を集めて、大結界システムそのものを議題にするんです」


 会議室に、沈黙が落ちた。

 理解が追いつくまでの、短い空白。


 その空白を、最初に破ったのは、膝を折ったままの王子だった。


「……国際、会議」

 レオン殿下の声は、驚きと恐怖で震えていた。

 自分の国が、世界の議題になる。その意味が分かったのだ。


 私は、頷く。


「そこで得られた合意に従うなら、私は救援に動きます。逆に言えば、合意が取れないなら――私は動けません」


 そして、ほんの少しだけ口元をゆるめた。

 悪意ではない。現実を見せるための、穏やかな刃だ。


「あなたが頭を下げる相手は、私だけじゃなくなりますよ。レオン殿下」


 レオン殿下の指先が、床の上で震えた。

 たぶん、あの日の自分の言葉が、今ようやく返ってきたのだ。


 そのとき、背後からセイジュ様の低い囁きが落ちる。私の耳だけに届く距離で。


「戻らなくていい。おまえは、ここにいる」


 私は、ほんの少しだけ頷いた。

 あの国の土を踏むかどうかは、まだ言葉にしていない。

 けれど私の中では、とっくに答えがある。

 あのとき彼が吐き捨てた命令を、私は皮肉なく律儀に守るつもりだ。

 それが私にできる、最後の距離の取り方だから。


 私が守るべき場所は、もう決まっている。

 たとえ、世界がこれから騒がしくなっても。


 次の瞬間、ユリウスが、いかにも楽しそうに息を吸う気配がした。


 ああ。

 世界が、動く音がする。

あたたかく見守ってくださり、ありがとうございます。


ついにレオン殿下が膝を折り、世界を巻き込む「国際会議」が動き出しました。アリアは過去に区切りをつけつつ、守るべき場所と人を選びます。――次話は、各国の思惑が一気に噴き出し、セイジュの“独占欲”も遠慮なく牙を出す回になる予定です。

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婚約破棄?上等、封印証拠で公開監査し監査公爵と溺愛契約
― 新着の感想 ―
結局、レオンは王なのか王太子なのか、エピソードによって違うのでそこに気を取られてせっかくの作品が台無しになってますね。 王妃は一貫しているのでやはり王でしょうか。少し前で宰相が王太子と言ってましたね。…
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