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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編 第9章 結界崩壊の兆候

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第66話 屈辱の勅命

 あの夜の風は、冷たかった。

 王城のバルコニーで見上げた空には、はっきりと、ひびが走っていた。

 ガラスみたいに、細く、白く。

 その奥から、黒い雲がにじんでくるのを、俺は見てしまった。


 父上は何も言わず、ただその光景を見上げていた。

 そして、低い声で命じた。


「……アリア・レインのもとへ、使者を出せ」


 その名前が口に出された瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。

 俺が、自分で捨てた女の名前だ。

 いや、捨てた、なんて言葉で済ませていいのか。


 背後で、王宮魔導師長が息をのんだ。

 俺は、返事もできずに立ち尽くした。


 翌朝。

 執務室へ呼ばれた俺は、廊下を歩きながら、何度も拳を握り直していた。

 窓の外では、王都の鐘が普段より早い時間に鳴っている。

 民が不安になれば、あの鐘はすぐ鳴る。

 それを知っているのに、胸の奥がざわついて落ち着かない。


 扉の前に立つと、近衛が緊張した顔でうなずいた。

 俺は、ノックもそこそこに入った。


 執務室の空気は、重かった。

 机の上には、報告書が山のように積まれている。

 それだけで、嫌な予感がした。


「レオン」


 父上は、俺の名を呼ぶだけで、机を叩かなかった。

 その代わり、紙を1枚、指先で押し出した。


「北方の中規模都市が、消えた。結界ごとだ」


 俺は、反射的に目をそらした。

 消えた、という言い方が、妙に生々しい。

 崩壊、とか、損壊、とか、まだ言葉を選べるのに。

 父上は選ばなかった。


「魔物の流入も増えている。瘴気の濃度は、過去の記録と照合して最悪だ。王都のひびは、前兆ではない。始まりだ」


 父上の声は冷たかった。

 けれど、その冷たさは怒りではなく、恐怖に近い。


「……魔導師長は、何と言っている」


 俺は視線だけで、魔導師長を探した。

 部屋の隅に立つ老魔導師が、深く頭を下げる。


「殿下。過去の周期から見て、これは寿命切れです。修復は、局所なら可能。しかし、国土全域を覆う大結界の維持は……」


 魔導師長の声が震えた。


「設計者がいない限り、不可能に近い」


 そのひと言が、俺の背中を殴った。


 父上が言った。


「だからだ。レオン。アリア・レインに助力を乞え」


 その言葉が、勅命だと理解した瞬間、喉の奥が熱くなった。

 俺は、思わず言ってしまった。


「俺が、あの女に?」


 自分で言っておいて、胸が痛んだ。

 あの女、と呼べるほど、俺は彼女を知らなかったのに。


 父上の視線が、鋭く刺さる。


「おまえはまだ、そこにいるのか」


「……父上」


「国民を見ろ」


 父上は、声を荒らげなかった。

 だから余計に、逃げ場がなかった。


 父上は机の横の窓を開けた。

 冬の冷気が流れ込む。

 外の音が、執務室に飛び込んできた。


 遠くで泣く声。

 怒鳴る声。

 荷車の軋む音。

 鐘の余韻。


 王都は、静かではなかった。

 俺が見て見ぬふりをしてきただけだ。


「北の街から避難民が流れ込んでいる。王都の門前には、すでに列ができている。あの者たちが、誰のために、何のために、ここへ来たのか。おまえは答えられるか」


 俺は、答えられなかった。


 あのとき。

 玉座の間で、俺は声高に言った。

 婚約を破棄する、と。

 そして、彼女に言った。

 2度とこの国の土を踏むな、と。


 自分の言葉が、今、国を締めつけてくる。


「……分かりました」


 口に出すだけで、歯が軋んだ。

 俺が、誰に頭を下げるのか。

 何を頼むのか。

 想像するだけで、胃がねじれる。


 それでも。


「特使団を編成します。レイン伯爵も呼びます。魔導師長も同行を」


 父上は、ようやく小さくうなずいた。


「よい。手ぶらで行くな。誠意を形にしろ。国として、恥をさらす覚悟で行け」


「……はい」


 返事は、乾いていた。


 執務室を出ると、廊下の空気が少しだけ軽い。

 それが余計に、俺を苛立たせた。

 俺だけが息をしやすくなってどうする。

 窓の外では、白い冬空の向こうに、昨日のひびの残像がちらつく気がした。


 王太子の私室に戻る途中、すれ違う侍女たちが頭を下げる。

 その目が、いつもより低い。

 俺が何かを知っていると思っている。

 俺が守ると思っている。


 守る。

 簡単に言える言葉だったはずだ。

 だが、今は重い。


 扉を閉め、背中を預けると、ようやく息が漏れた。


「……俺は、何をしていた」


 独り言が、情けなく響く。


 机の上には、王都の地図。

 北方の街道に印が増えている。

 避難民の流れ。

 崩壊地点。

 瘴気の濃度。


 紙の上の線が、血管みたいに見えた。

 そこを黒いものが流れていく。

 そんな錯覚に、吐き気がした。


 ノックがあった。


「殿下。リリアナ様がお見えです」


 返事をする前に、扉が静かに開いた。

 リリアナが、青白い顔で入ってくる。

 いつものふわふわした雰囲気はない。

 目が赤い。

 泣いたのだろう。


「レオン様……」


 彼女はそう呼んで、言葉を探すみたいに唇を噛んだ。


「聞いたか」


「はい。……街が、崩れたって」


 震える声。

 俺は、言い返せなかった。

 俺だって、昨夜からずっとその言葉に追い回されている。


 リリアナは、俺の机の上の地図を見た。

 そして、息をのむ。


「これ……全部、結界が弱くなった場所ですか」


「ああ。魔導師長は、寿命切れだと言った」


「寿命……」


 彼女は小さく首を振った。


「結界って、ずっとあるものだと思っていました。だって、誰も……誰も、教えてくれなかった」


 それは違う、と言いかけて、俺は黙った。

 教えなかったのは、王家だ。

 便利な盾がいる限り、隠した方が都合が良かった。


 そして俺は、その都合の中で眠っていた。


「父上から勅命が出た」


 俺は、できるだけ平らに言った。

 自分の声が他人みたいに聞こえる。


「アリアに助力を乞え、って」


 リリアナの肩がびくりと震えた。


「アリア様に……」


 彼女がその名を口にした瞬間、胸がさらに痛んだ。

 俺は、口の中が苦くなるのを感じながら言う。


「俺が、だ」


 リリアナは俯いた。

 そのまま、しばらく沈黙した。

 俺は待った。

 彼女が、俺を責めるのか。

 泣いて止めるのか。

 それとも、俺のプライドを守るために、軽い言葉をくれるのか。


 どれも、今はいらなかった。


 リリアナは、やがて顔を上げた。


「レオン様。私も、行きます」


 俺は、目を見開いた。


「何を言っている。危険だ。外交の場でも、俺たちは……」


「危険なのは分かっています。でも、王都の外で泣いている人たちを見ました。朝、窓から。あの列に、子どもがいました」


 彼女は、自分の手を握りしめた。


「私、アリア様に酷いことをしました。直接手を下したわけじゃなくても、私がここにいることが、あの方を追い詰めた。だから……お願いしたいんです。命だけは守ってくださいって」


 その言葉が、胸に刺さった。

 リリアナは、俺よりも先に、そこに立った。

 自分の罪を見つけて、引き受けようとしている。


 俺は、唇を噛んだ。

 誇り、体面、王家の威厳。

 そういうものを守ってきたはずなのに、守るべきものは最初から別にあった。


「……俺は、間違っていたのかもしれない」


 口に出した瞬間、背骨が抜けるような感覚がした。

 俺が王太子として積み上げてきたものが、音もなく崩れていく。


 でも、崩れたあとに残るものがある。

 残さなければいけないものがある。


 リリアナが、1歩近づいた。

 俺の前に膝をつくわけでもなく、ただ、真っ直ぐに見上げてくる。


「私も、間違っていました。だから、今度は……逃げたくありません」


 俺は、視線を落とした。

 彼女の目に、怯えだけじゃなく、決意がある。


 俺は、初めて理解した。

 王妃に必要なのは、綺麗な涙でも、清らかな言葉でもない。

 泥の中で、誰かの手を取れるかどうかだ。


 その手を、俺は取れるのか。


 息を吸って、吐いて。

 喉の奥の苦さを飲み込んで、俺は言った。


「……いっしょに来てくれるか」


 リリアナの目が、ほんの少しだけ潤んだ。

 けれど、泣かなかった。


「はい」


 短い返事。

 それだけで、背中に重りが乗った気がした。

 逃げられない重りだ。

 でも、今はそれが必要だった。


 机の上の地図に、俺は指を置く。

 西。

 隣国ガルディアの方向。


 あの女のいる場所。

 いや。


 アリアのいる場所だ。


 俺は、ようやくその名を心の中で呼んだ。


 次に会うとき、俺は何を言えるのだろう。

 謝罪か。

 懇願か。

 それとも、ただの命乞いか。


 分からない。

 分からないままでも、行くしかない。


 窓の外で、鐘がまた鳴った。

 その音は、俺の背中を押すというより、追い立てるように響いた。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!

ついにレオンが「アリアのもとへ行く」と決め、物語は次で大きく動きます。再会の一言は謝罪か、交渉か、それとも――大結界の真実が暴かれるのか。

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