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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第3部 結界崩壊と国際会議編 第9章 結界崩壊の兆候

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第62話 援助か、傍観か

 貴族院の議場は、今日に限って空気が重い。いつもなら、誰それの領地の税率だの、舞踏会の席順だの、どうでもいいことで喉を枯らす連中だ。

 だが今は違う。


 アストリア大結界の崩落。

 瘴気の流入。

 魔物の群れ。

 そして避難民。


 どれも、国境の向こうの話で終わるなら楽だった。だが、結界というのは大陸規模の流れで繋がっている。ひびが広がれば、次に割れるのは、こちらの空だ。


 私は壇上の脇、議長席の近くに立ち、ざわめく議場を見渡した。宰相として、ここをまとめるのは私の仕事だ。できれば、暴動の火種にならない形で。


「人道、だと?」

 最前列の老侯爵が鼻を鳴らした。

「我々は、あの国に何度裏切られたと思っている。国境でどれだけ血を流した。今さら助けろとは、笑わせる」


「助けろとは言っていない。放っておけば、瘴気がこちらへ来る」

 若い辺境伯が机を叩く。

「現地に結界を張り直せば、被害は抑えられる。今動かないのは、愚策だ」


「いや、むしろ好機だ」

 別の男が、薄い笑みで口を挟んだ。

「アストリアが弱れば、交易路も鉱山も、こちらの手で……」


 議場のあちこちで、賛同と嫌悪が混ざったざわめきが立つ。

 大雑把に分ければ3派だ。


 助けるべき派。

 利用すべき派。

 放置すべき派。


 そして、もう1つがある。声にならない派。怖くて、何も言えない者たちだ。

 その沈黙が、いちばん危うい。


 私は指を1本立て、議長に合図した。議長が小槌を鳴らす。


「秩序を。議論は、順に」

 私の声は、いつも通り冷たく響く。冷たい方がいい。熱に飲まれた会議は、死体の山を作る。


 目の端で、王の側近がこちらを見ているのが分かった。アレクシス陛下は、今日、貴族院の上階の小さな席に座っている。国王が出てくる事態、それ自体が異常だ。


 私は深く息を吐いた。

 ここで大事なのは、正義でも恨みでもない。結果だ。


 助ける。

 ただし、条件付きで。


 その筋書きを頭の中で組み立てていると、議場の扉が小さく開いた。

 出入りの多い日ではない。視線が集まる。


 銀に近い淡い髪。薄紫の瞳。背筋の癖まで、こちらの空気に合わせて無駄がない。

 アリア・レインだ。


 彼女は、議場の端の通路を静かに歩き、傍聴席の後ろへ向かった。目立つのに、目立たない歩き方をする。あれは才能だ。


 ざわめきが、少しだけ変質した。

 恨みと期待が、同じ匂いで混ざる。


 彼女に気づいた貴族の何人かが、わざとらしく咳払いをした。

 別の者は、露骨に視線を逸らした。

 彼女を追い出した国の噂が、風に乗ってこちらにまで届いているのだろう。


 私は席を離れ、休憩の名目で議場の外へ出る合図をした。議長も察し、短い休憩を宣言する。

 貴族たちが、ぞろぞろと廊下へ溢れた。


 私は人の流れを避けるように歩き、議場横の細い回廊で立ち止まった。

 少し遅れて、アリアが来る。彼女もまた、人波を避けたのだろう。視線が合う。


「宰相閣下」

 彼女は礼をして、淡々と口を開く。

「議場、騒がしいですね」


「騒がしくない貴族院など、ただの置物だ」

 私は肩をすくめた。

「だが今日は、笑えない種類の騒がしさだ。君の耳にも、内容は届いているだろう」


「援助か、傍観か」

 アリアが短く言う。言葉が刃のように軽い。

「どちらでも、私の仕事は増えますね」


「君がそう言うと思った」

 私は笑いそうになって、やめた。彼女の冗談は、いつも現実と同じ硬さをしている。


 廊下の窓から、冬の薄い光が差す。遠くの空は澄んでいる。澄みすぎていて、不吉だ。

 結界が健在なうちは、空の異変など誰も気にしない。壊れてから、空を見上げる。


「君は、どうしたい」

 私はあえて、政治ではなく本人に問う。


 アリアはほんの少し、睫毛を落とした。

 迷いではない。計算だ。彼女は自分の感情を、いつも最後に回す。


「私はアストリアのためではなく、世界の安定のために動きます」

 彼女は、はっきりと言った。

「助けるかどうかは、ガルディアが決めればいい。ただ、放置は危険です。数字で示せます」


「数字」

 私は頷く。

「君のその言い方は、議場の連中には毒にも薬にもなる。だが、私には薬だ」


 アリアは、少しだけ口元を緩めた。ごく短い間だ。

 きっと、誰にも見せない表情だろう。私が宰相だから見えた。いや、単に距離が近いからか。


「条件を付けるなら、技術と現場の裁量を最優先にしてください」

 アリアが続ける。

「感情で現地を振り回されると、死にます。向こうの貴族がどうとか、王家の面子がどうとか。そういうのは、結界の前では無価値です」


「分かっている」

 私は、ため息の代わりに言葉を落とした。

「だが政治は、無価値なものを価値があるふりをして扱う技術でもある」


 アリアが、私を見上げる。

「宰相閣下らしいですね」


「褒め言葉として受け取っておこう」

 私は視線を横に滑らせた。廊下の先、護衛が数人、距離を取って立っている。彼女の護衛だろう。セイジュの配下か、王城の者か。

 いずれにせよ、彼女はもう、誰かの所有物ではない。ガルディアの戦力であり、同時に独立した魔導師だ。


「君が世界のために動くなら」

 私は声を落とした。

「政治は、それに見合う対価を用意するだけだ。君が損をしない形でな」


 アリアが眉をわずかに動かした。

「対価、ですか」


「そうだ。援助は慈善ではない。条約だ」

 私は、廊下の壁の地図を指でなぞった。王都、国境都市グラナ、その向こうの山脈。そして、さらに東。

「アストリアに手を出すなら、他国も黙っていない。北の小国群は恐れているし、南の海商国家は怒っている。彼らも巻き込まねば、後で足を引っ張られる」


 アリアの瞳が、わずかに細くなる。彼女はすぐに理解する。

「国際会議、ですね」


「察しがいい」

 私は頷いた。

「中立都市レオニアで、各国を集める。技術の議論も、責任の所在も、補給の分担も、すべてまとめて処理する。そうしないと、結界の裂け目は政治の裂け目にもなる」


 アリアは、小さく息を吐いた。

「面倒ですね」


「面倒だ。だから宰相がいる」

 私は言い切った。

「君は、君の式で世界を縫え。私は、言葉で政治を縫う」


 少しだけ沈黙が落ちた。

 遠くで、貴族たちの笑い声が聞こえる。空虚で、薄い音だ。彼らはまだ、空が割れる音を知らない。


「宰相閣下」

 アリアが、ふと真面目な声で言う。

「私は、アストリアに戻りません」


 私は、その言葉に驚かない。昨日の会談で彼女は同じことを言った。

 だが、確認のように言っている。自分に。


「戻らないでいい」

 私は即答した。

「君が戻った瞬間、彼らは君を再び便利屋にする。あの国の癖は、直らない」


 アリアの肩が、ほんの少しだけ緩んだ。

 安堵ではなく、許可を得たような緩みだ。彼女は、責任に許可を求める。奇妙な人間だ。


「私が動くのは、ここが私の国境だからです」

 彼女は静かに言った。

「グラナの壁の向こうに、もう瘴気を入れたくない。あの街の人たちを、守りたい」


 私は頷いた。理屈の芯が、ようやく感情に繋がった。

 それなら強い。彼女は、守りたい場所がある時に最も強い。


「よろしい」

 私は言う。

「では、君は技術案をまとめろ。私は議場をまとめる。助ける。だが条件付きで、だ」


「条件は?」

 アリアが問う。


「簡単だ」

 私は薄く笑う。

「アストリアは頭を下げる。責任を認める。口先ではなく、条約と資源で示す。そして、君に対しては……2度と命令しない」


 アリアが、ほんの少し目を見開いた。

 その反応で分かる。彼女は、まだ自分が命令されることに慣れている。そういう生き方をしてきたのだ。


「……分かりました」

 アリアは、ゆっくり頷いた。

「必要な資料、今夜までに出します。数値と、修復の優先順位も」


「助かる」

 私は短く言った。感謝を長く言うのは、私の役目ではない。


 休憩の終わりを告げる鐘が鳴る。

 議場へ戻る時間だ。


 アリアは軽く礼をして、廊下の奥へ消えていった。背中が、いつもより少しだけ軽い。

 そして私は、議場の扉の前で立ち止まる。


 この扉の向こうには、過去への恨みと、未来への恐怖と、目先の利益が渦巻いている。

 それらを、1本の線に束ねて、政策にする。それが宰相の仕事だ。


 私は扉を開けた。


「諸君」

 声を張る。議場が静まる。

「援助する。だが、条件付きだ」


 無数の視線が、私に刺さった。

 恐れと期待が混ざる中で、私は淡々と続ける。


「ガルディアは、感情で動かない。国境と大陸の安定のために動く。技術の主導は我々が握る。資源の分担は国際会議で決める。責任の所在も、そこで明らかにする」


 誰かが立ち上がりかけ、誰かが舌打ちをし、誰かが息を呑む。

 だが私は止めない。止めるのは言葉ではない。筋書きだ。


 議場の上階、王の席に視線を投げる。

 アレクシス陛下が、ゆっくり頷いた。


 決まった。


 助ける。だが、こちらの条件で。

 そして、アストリアは必ず、頭を下げに来る。


 私は机の上の書類に目を落とす。

 次に開くべき会議の場所は、中立都市レオニア。

 世界が、ここから少しだけ動き出す。


 その中心に、あの魔導師が立つ。

 好むと好まざるとにかかわらず。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。援助か傍観か——議場は揺れましたが、ついに「条件付き援助」と国際会議が動き出します。

次回、レオニアで各国の思惑が激突し、アリアの“技術”が政治の刃にさらされることに……。

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