第62話 援助か、傍観か
貴族院の議場は、今日に限って空気が重い。いつもなら、誰それの領地の税率だの、舞踏会の席順だの、どうでもいいことで喉を枯らす連中だ。
だが今は違う。
アストリア大結界の崩落。
瘴気の流入。
魔物の群れ。
そして避難民。
どれも、国境の向こうの話で終わるなら楽だった。だが、結界というのは大陸規模の流れで繋がっている。ひびが広がれば、次に割れるのは、こちらの空だ。
私は壇上の脇、議長席の近くに立ち、ざわめく議場を見渡した。宰相として、ここをまとめるのは私の仕事だ。できれば、暴動の火種にならない形で。
「人道、だと?」
最前列の老侯爵が鼻を鳴らした。
「我々は、あの国に何度裏切られたと思っている。国境でどれだけ血を流した。今さら助けろとは、笑わせる」
「助けろとは言っていない。放っておけば、瘴気がこちらへ来る」
若い辺境伯が机を叩く。
「現地に結界を張り直せば、被害は抑えられる。今動かないのは、愚策だ」
「いや、むしろ好機だ」
別の男が、薄い笑みで口を挟んだ。
「アストリアが弱れば、交易路も鉱山も、こちらの手で……」
議場のあちこちで、賛同と嫌悪が混ざったざわめきが立つ。
大雑把に分ければ3派だ。
助けるべき派。
利用すべき派。
放置すべき派。
そして、もう1つがある。声にならない派。怖くて、何も言えない者たちだ。
その沈黙が、いちばん危うい。
私は指を1本立て、議長に合図した。議長が小槌を鳴らす。
「秩序を。議論は、順に」
私の声は、いつも通り冷たく響く。冷たい方がいい。熱に飲まれた会議は、死体の山を作る。
目の端で、王の側近がこちらを見ているのが分かった。アレクシス陛下は、今日、貴族院の上階の小さな席に座っている。国王が出てくる事態、それ自体が異常だ。
私は深く息を吐いた。
ここで大事なのは、正義でも恨みでもない。結果だ。
助ける。
ただし、条件付きで。
その筋書きを頭の中で組み立てていると、議場の扉が小さく開いた。
出入りの多い日ではない。視線が集まる。
銀に近い淡い髪。薄紫の瞳。背筋の癖まで、こちらの空気に合わせて無駄がない。
アリア・レインだ。
彼女は、議場の端の通路を静かに歩き、傍聴席の後ろへ向かった。目立つのに、目立たない歩き方をする。あれは才能だ。
ざわめきが、少しだけ変質した。
恨みと期待が、同じ匂いで混ざる。
彼女に気づいた貴族の何人かが、わざとらしく咳払いをした。
別の者は、露骨に視線を逸らした。
彼女を追い出した国の噂が、風に乗ってこちらにまで届いているのだろう。
私は席を離れ、休憩の名目で議場の外へ出る合図をした。議長も察し、短い休憩を宣言する。
貴族たちが、ぞろぞろと廊下へ溢れた。
私は人の流れを避けるように歩き、議場横の細い回廊で立ち止まった。
少し遅れて、アリアが来る。彼女もまた、人波を避けたのだろう。視線が合う。
「宰相閣下」
彼女は礼をして、淡々と口を開く。
「議場、騒がしいですね」
「騒がしくない貴族院など、ただの置物だ」
私は肩をすくめた。
「だが今日は、笑えない種類の騒がしさだ。君の耳にも、内容は届いているだろう」
「援助か、傍観か」
アリアが短く言う。言葉が刃のように軽い。
「どちらでも、私の仕事は増えますね」
「君がそう言うと思った」
私は笑いそうになって、やめた。彼女の冗談は、いつも現実と同じ硬さをしている。
廊下の窓から、冬の薄い光が差す。遠くの空は澄んでいる。澄みすぎていて、不吉だ。
結界が健在なうちは、空の異変など誰も気にしない。壊れてから、空を見上げる。
「君は、どうしたい」
私はあえて、政治ではなく本人に問う。
アリアはほんの少し、睫毛を落とした。
迷いではない。計算だ。彼女は自分の感情を、いつも最後に回す。
「私はアストリアのためではなく、世界の安定のために動きます」
彼女は、はっきりと言った。
「助けるかどうかは、ガルディアが決めればいい。ただ、放置は危険です。数字で示せます」
「数字」
私は頷く。
「君のその言い方は、議場の連中には毒にも薬にもなる。だが、私には薬だ」
アリアは、少しだけ口元を緩めた。ごく短い間だ。
きっと、誰にも見せない表情だろう。私が宰相だから見えた。いや、単に距離が近いからか。
「条件を付けるなら、技術と現場の裁量を最優先にしてください」
アリアが続ける。
「感情で現地を振り回されると、死にます。向こうの貴族がどうとか、王家の面子がどうとか。そういうのは、結界の前では無価値です」
「分かっている」
私は、ため息の代わりに言葉を落とした。
「だが政治は、無価値なものを価値があるふりをして扱う技術でもある」
アリアが、私を見上げる。
「宰相閣下らしいですね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
私は視線を横に滑らせた。廊下の先、護衛が数人、距離を取って立っている。彼女の護衛だろう。セイジュの配下か、王城の者か。
いずれにせよ、彼女はもう、誰かの所有物ではない。ガルディアの戦力であり、同時に独立した魔導師だ。
「君が世界のために動くなら」
私は声を落とした。
「政治は、それに見合う対価を用意するだけだ。君が損をしない形でな」
アリアが眉をわずかに動かした。
「対価、ですか」
「そうだ。援助は慈善ではない。条約だ」
私は、廊下の壁の地図を指でなぞった。王都、国境都市グラナ、その向こうの山脈。そして、さらに東。
「アストリアに手を出すなら、他国も黙っていない。北の小国群は恐れているし、南の海商国家は怒っている。彼らも巻き込まねば、後で足を引っ張られる」
アリアの瞳が、わずかに細くなる。彼女はすぐに理解する。
「国際会議、ですね」
「察しがいい」
私は頷いた。
「中立都市レオニアで、各国を集める。技術の議論も、責任の所在も、補給の分担も、すべてまとめて処理する。そうしないと、結界の裂け目は政治の裂け目にもなる」
アリアは、小さく息を吐いた。
「面倒ですね」
「面倒だ。だから宰相がいる」
私は言い切った。
「君は、君の式で世界を縫え。私は、言葉で政治を縫う」
少しだけ沈黙が落ちた。
遠くで、貴族たちの笑い声が聞こえる。空虚で、薄い音だ。彼らはまだ、空が割れる音を知らない。
「宰相閣下」
アリアが、ふと真面目な声で言う。
「私は、アストリアに戻りません」
私は、その言葉に驚かない。昨日の会談で彼女は同じことを言った。
だが、確認のように言っている。自分に。
「戻らないでいい」
私は即答した。
「君が戻った瞬間、彼らは君を再び便利屋にする。あの国の癖は、直らない」
アリアの肩が、ほんの少しだけ緩んだ。
安堵ではなく、許可を得たような緩みだ。彼女は、責任に許可を求める。奇妙な人間だ。
「私が動くのは、ここが私の国境だからです」
彼女は静かに言った。
「グラナの壁の向こうに、もう瘴気を入れたくない。あの街の人たちを、守りたい」
私は頷いた。理屈の芯が、ようやく感情に繋がった。
それなら強い。彼女は、守りたい場所がある時に最も強い。
「よろしい」
私は言う。
「では、君は技術案をまとめろ。私は議場をまとめる。助ける。だが条件付きで、だ」
「条件は?」
アリアが問う。
「簡単だ」
私は薄く笑う。
「アストリアは頭を下げる。責任を認める。口先ではなく、条約と資源で示す。そして、君に対しては……2度と命令しない」
アリアが、ほんの少し目を見開いた。
その反応で分かる。彼女は、まだ自分が命令されることに慣れている。そういう生き方をしてきたのだ。
「……分かりました」
アリアは、ゆっくり頷いた。
「必要な資料、今夜までに出します。数値と、修復の優先順位も」
「助かる」
私は短く言った。感謝を長く言うのは、私の役目ではない。
休憩の終わりを告げる鐘が鳴る。
議場へ戻る時間だ。
アリアは軽く礼をして、廊下の奥へ消えていった。背中が、いつもより少しだけ軽い。
そして私は、議場の扉の前で立ち止まる。
この扉の向こうには、過去への恨みと、未来への恐怖と、目先の利益が渦巻いている。
それらを、1本の線に束ねて、政策にする。それが宰相の仕事だ。
私は扉を開けた。
「諸君」
声を張る。議場が静まる。
「援助する。だが、条件付きだ」
無数の視線が、私に刺さった。
恐れと期待が混ざる中で、私は淡々と続ける。
「ガルディアは、感情で動かない。国境と大陸の安定のために動く。技術の主導は我々が握る。資源の分担は国際会議で決める。責任の所在も、そこで明らかにする」
誰かが立ち上がりかけ、誰かが舌打ちをし、誰かが息を呑む。
だが私は止めない。止めるのは言葉ではない。筋書きだ。
議場の上階、王の席に視線を投げる。
アレクシス陛下が、ゆっくり頷いた。
決まった。
助ける。だが、こちらの条件で。
そして、アストリアは必ず、頭を下げに来る。
私は机の上の書類に目を落とす。
次に開くべき会議の場所は、中立都市レオニア。
世界が、ここから少しだけ動き出す。
その中心に、あの魔導師が立つ。
好むと好まざるとにかかわらず。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。援助か傍観か——議場は揺れましたが、ついに「条件付き援助」と国際会議が動き出します。
次回、レオニアで各国の思惑が激突し、アリアの“技術”が政治の刃にさらされることに……。
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