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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第2部 ガルディア新生活と魔導師団編 第8章 国境防衛戦

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第56話 数年後の研究塔

 研究塔の最上階は、朝から戦場みたいだ。


「主任、北門の第2リング、今朝の数値です。微妙に揺れてます」

「揺れ幅は?」

「許容内ですが、昨日より0.3だけ悪いです」


 私は水晶盤を覗き込み、地図の上を走る光の線を指でなぞった。

 光は国境都市グラナを中心に、細い血管みたいに外縁防衛線へ伸びている。


「了解。北門は緩衝層を少し厚くして。南門の余剰から回していい。……誰が当番?」

「カイル班です」

「なら大丈夫ね。あと、壁の符刻は今日中に打ち直し。昨日の雨で摩耗してるはず」


 指示を飛ばすたび、机の端に積んだ報告書の山が、なぜか増える。

 紙って、放っておくと繁殖する生き物なのだろうか。


「主任、繁殖はしません。あなたが増やしてるんです」


 背後から静かな声。

 メイド長マリアナが、私の湯気の立つ茶杯を置きつつ、涼しい顔で言った。


「増やしてないです。任務が増えてるだけです」

「任務は主任が引き受けるから増えるのです」

「論理が強い」


 そこへ、長い金髪を揺らしてリゼットが顔を出す。

 研究塔の空気を読まず、明るい声で言った。


「おはよう、主任! 今日も顔色が健康的に白いわね!」

「それ、褒めてます?」

「もちろん。いつ倒れてもおかしくない白さって、ちょっと芸術よ」

「芸術で片付けないで」


 私は苦笑してペンを持ち直す。

 国境結界プロジェクトは、もう軌道に乗った。

 グラナ式多重結界は軍の正式仕様になり、現場の魔導師たちも結界を数字で語れるようになった。


 ……ここまで来るのに、いろいろあった。

 でも今は、ちゃんと回っている。


「ねえ主任。式、いつやるの?」


 唐突に来た。

 私はペン先でインクを落としそうになって、ぎりぎり耐えた。


「いつって……」

「公認婚約して何年目?」

「数えるのやめましょう」

「やめないわよ。みんな数えてるもの」


 マリアナが、さらっと追い打ちをかける。


「王城からも、今月3通目です。日取りの打診」

「王城も数えてるんですね」

「王も宰相も、数えています」


 うわぁ。

 私は椅子に深く沈み込んだ。


「仕事が落ち着いたら……」

「主任の仕事が落ち着く日は、世界が平和になった日と同義よ」

「平和を待ってたら、私は永遠に未婚で終わりますね」


 リゼットが指を立てた。


「じゃあ結論。平和と結婚は同時進行。これは科学」

「今、科学って言えば通ると思いました?」

「通る。だって主任、理系だし」

「理系に変な押しつけしないで」


 私は笑いながらも、どこか胸の奥が温かくなる。

 こうやってからかわれるくらい、ここは私の居場所になった。


 そのとき、廊下を駆ける軽い足音が近づいた。

 扉が勢いよく開き、息を切らしたノエルが顔を出す。


「主任! 新型観測網、初回の統合データが出ました!」

「おめでとう。で、あなたの顔が青いのはなぜ?」

「嬉しいのと怖いのが同時に来ました!」


 怖いのが同時に来る発表は、だいたい良くない。

 私は手を止め、ノエルが抱える薄い板状の魔導具を受け取った。


 盤面に浮かび上がったのは、大陸図と、そこを走る無数の点。

 点は色で分けられ、青が安定、黄が注意、赤が危険。

 私は反射的に、いつもの場所を見る。


 グラナ周辺は、青。

 よし。


 次に、東。

 アストリア方面。


「……ノエル」

「はい」

「これ、どの基準で色を付けたの?」

「主任が去年作った基準です! 歪み係数と瘴気侵入度と、魔力流量の変化率の合算!」

「その基準に従って、この黄は……」

「微妙に高いです。アストリア方面だけ。ほんの少し。……でも、揃いすぎてます」


 揃いすぎている、という言葉が、刺さった。

 偶然の乱れではない。

 仕組みの側から、同じ方向に傾いている。


 私は息を吸って、盤面を拡大する。

 王都ルクスリア周辺の空域に、細い黄の線が走っていた。

 まるで、髪の毛ほどのひび。


「大結界……」


 声が、勝手にこぼれた。


 アストリア王国の大結界。

 私がいなくなっても、数年は持つように、私は中枢核に貯金魔力を残してきた。

 人に言うなら、魔力の定期預金だ。

 毎日少しずつ引き出して生活を守り、時間と引き換えに安全を買う。


 でも預金には、期限がある。


「主任……?」

「うん。ありがとう、ノエル。これ、もう1度校正して。観測器側の誤差じゃないか確認したい」

「もちろんです! でも……誤差であってほしいです」


 ノエルが唇を噛む。

 彼は無邪気だけど、数字が嘘をつかないことも知っている。


 私は盤面の端に表示された推定値を、指で隠した。

 見えたままだと、ここにいる全員が黙ってしまう。


 推定残量。

 大結界の貯金魔力。

 私が想定したより、減りが早い。


 つまり。


 あの国は、思ったより早く、詰む。


「主任、セイジュ様に連絡を?」

 マリアナが、いつもより少し低い声で言った。


「……うん。今すぐじゃなくていい。まず、私が整理する」

「いつもの悪い癖です。1人で抱える」

「癖じゃなくて、手順です」

「手順の名を借りた我慢です」


 言い返そうとして、できなかった。

 マリアナは有能で、たまに私の逃げ道を塞ぐ。


「リゼット、会議室、押さえられる?」

「もちろん。宰相にも伝える?」

「まだ。数字の確度を上げてから。政治は、確定してから動く」


 私の言葉に、リゼットが真面目な顔で頷いた。

 からかい役も、切り替えが早い。


 昼を過ぎたころ、扉がもう1度ノックされた。

 今度は控えめで、でも拒否を許さない強さがあった。


「入って」


 入ってきたのは、黒髪銀眼の男。

 制服の上着を肩にかけたまま、セイジュが私の机の前に立つ。


「食事」

「……今は」

「今だ」


 短い。

 相変わらず短い。

 私は諦めて椅子から立ち上がり、彼に連れられる形で窓際へ移動した。


 研究塔の最上階の窓からは、王都ヴァルディアが見渡せる。

 日差しが街の屋根に反射して、穏やかな光を返していた。


「平和そうですね」

「見えるところだけな」


 セイジュがパンとスープの盆を置く。

 彼の視線は私の顔に固定されたままだ。


「……何かあった」

「ないです」

「嘘だ」


 否定が早い。

 私は観念して、ため息をついた。


「ノエルの観測網が完成したんです。想定より早く、良いデータが取れました」

「それで顔が硬い」

「良いデータほど、怖いときもあります」


 セイジュが少しだけ眉を動かす。

 彼は言葉少なだけど、理解は早い。


「アストリアか」

「……はい」


 口にした瞬間、胸の奥で冷たいものが動いた。

 恨みではない。

 でも、無関係でもいられない。

 私が残した貯金魔力の残高が、私の中に残っている。


「おまえは、戻らない」

 セイジュが、断言した。


「戻りません。私はもう、あの国の臣下じゃない」

「なら、顔を曇らせるな」

「それは無理です。私は……技術者なので」


 技術者は、壊れる予兆を見たら、目を逸らせない。

 そこだけは、どれだけ幸せになっても変わらないらしい。


 セイジュはスープを1口飲んでから、私の手元に視線を落とす。


「夜、資料を見せろ」

「命令ですか?」

「提案だ。拒否権はある」

「……あるなら、拒否したいです」

「拒否するな」

「結局、命令じゃないですか」


 私がぼやくと、彼の口元がほんの少しだけ上がった。

 それだけで、胸の中の冷たさが少し溶ける。


「それと」

「はい」

「式の日取りも決める」

「今、それ言います?」

「今言う。逃がすと、また数年延びる」


 リゼットの声が背後から飛んできた。


「ほらー! 本人が言った! 科学ー!」

「科学じゃない。執念です」

「執念でもいいわ。やっと前に進むもの」


 私は顔が熱くなるのを感じながら、パンをちぎった。

 おいしい。

 こういう日常が、確かにここにある。


 だからこそ。


 壊れる予兆が、余計に怖い。


 夜。

 研究塔の灯りが落ち、廊下の足音も消えた。

 私は机の上に広げた地図を見つめる。


 結界は、目に見えない。

 でも、魔力の流れは、見える。

 見ようとすれば、いくらでも見えてしまう。


 机の端で、ノエルの盤面が淡く光っていた。

 彼が校正してくれた数字は、残酷なほどきれいに揃っている。


 私は指先で、アストリア王国の空域をなぞった。

 その瞬間、背中の方で、小さな音がした。


 きしり。


 金属の鎖が、遠くで擦れるような。

 以前、玉座の間で1度だけ聞いた、あの嫌な音に似ている。


 振り返っても、誰もいない。

 窓の外の夜空は澄んでいて、星が落ちそうに明るい。


 ……なのに。


 地図の上で、東のある点が、ちらりと赤く光った。


 黄じゃない。

 赤。


 私は息を止めた。

 点はすぐに消えたけれど、見間違いだと言い切れるほど、私は鈍くない。


 背後の闇が、ゆっくりとこちらへ伸びてくる気がした。


「……来るのね」


 誰に言うでもなく、私は呟いた。


 数年後に来るはずだった災厄が。

 予定を早めて、こちらへ向かっている。


 そして私は、もう逃げる側じゃない。


 この塔の最上階で。

 この国の空の下で。

 私が選んだ居場所を守るために、次の手順を考えなければならなかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

数年後の平穏の中に「赤」が混じった瞬間、あなたの胸にも嫌な予感が走っていたら嬉しいです。守るべき居場所を得たリディアは、もう逃げません。次話から国際会議編が本格始動、セイジュの独占欲も仕事顔のまま加速します。

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