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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第2部 ガルディア新生活と魔導師団編 第8章 国境防衛戦

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第54話 国境に刻まれた名前

 結界の外側が、ようやく静かになった。

 耳を刺していた魔物の鳴き声も、警鐘の余韻も、風の中へ溶けていく。


 だけど私の頭の中だけは、まだ騒がしい。

 結界の数値、地脈の流れ、残った歪みの位置。ノエルの計測器が示した赤い点が、目の裏に焼きついて離れない。


「主任、南門の緩衝層が少し薄い。どうする」

 カイルが息を切らしながら、結界柱のそばで叫ぶ。


「南門は維持で。北門へ魔力を回します。外壁側の第1リングを優先、緩衝層は最低ラインで」

「了解。……って、最低ラインってどの程度だ」

「崩れない程度です。崩れたら、次の指示が出せませんので」

「そういう言い方をするな。怖い」


 自分でも、少し笑いそうになった。

 怖いのは、私も同じなのに。


 ぐらり、と視界が揺れた。

 足元の石畳が動いたわけじゃない。私の身体のほうが、限界に近いだけだ。


「アリア」

 背後から、短い声。


 振り向くと、黒いローブの端が風に揺れていた。

 セイジュはいつもの無表情のまま、私の額に手を当てる。冷たい指先が、逆に心地よかった。


「熱が出ている」

「出してません。汗です」

「区別がつかない。無理をするな」

「無理をしないと、結界が落ちます」


 言い返した瞬間、セイジュの目が細くなった。

 怒っている、というより、嫌な予感を押し殺している顔だ。


「落とさない。落とさせない。おまえが倒れる前に、俺が先に倒れる」

「それは困ります。団長が倒れたら、現場が混乱します」

「……混乱するのは、おまえが倒れたときも同じだ」


 その言葉が、胸に刺さった。

 私は反射的に、視線を逸らす。昔の癖が出る。自分の限界より、目の前の役目を優先する癖。


 でも、ここはガルディアだ。

 私はただの魔力タンクじゃない。私自身の判断が、守るべきものだと認められている。


「……分かりました。最後の微調整が終わったら、いったん下がります」

「最初からそう言え」


 彼の声は冷たいのに、言葉の根っこが甘い。

 それが分かるだけで、胸が少し軽くなる。


 私は指先を空へ向け、結界の層をなぞるように意識を走らせた。

 第1リングの外壁結界。第2リングの市街結界。第3リングの避難所結界。

 グラナの街は、戦う前提で作られている。だからこそ、守り方も分かりやすい。外側が削られても、内側ほど堅くなる。人が逃げ込むほど、生き残る確率が上がる。理屈が、生活と一致している。


「主任、北門の外縁、防衛線に残ってた小群れが消えました!」

 ノエルが叫ぶ。声が裏返っているのに、本人は気づいていない。


「消えた、というより……崩れました。残留瘴気が散っただけです。計測器の値、まだ見てください」

「はい! えっと……うわ、歪みが残ってる!」

「残ってます。残っているけど、侵入していない。今のうちに、歪みを噛み砕いて平らにします」


 私は息を吸って、魔力を流した。

 水路のように走る魔力流路を、指で撫でるように整える。余裕のある区画から、余裕のない区画へ。緩衝層を少し薄くして、最外殻を厚くする。状況に合わせて、結界の筋肉を付け替える。


 最後の歪みが、ぱちん、と弾けるように消えた。


 そこで初めて、私は自分が呼吸を止めていたことに気づく。

 息を吐いた途端、膝が笑った。


「主任っ」

 リゼットが駆け寄ってきて、私の肩を掴む。

 手が温かい。姉御みたいな手。


「座れ。今すぐ。あんた、顔が白い」

「白いのは、もともとです」

「そういう返し、余裕があるやつの返しなんだよ」


 言いながら、リゼットは治癒の魔力を私の肩口に流してくる。

 痛みや疲労が、薄い膜を剥がされるみたいに和らぐ。ありがたい。


 その間に、前線の空気が変わっていった。

 討伐隊の誰かが、遠くで短い歓声を上げる。

 それが波のように伝染して、城壁の上から拍手が起きた。


 壊滅。

 その言葉が、遅れて実感として落ちてくる。


 私が見上げた空は、夕方の色を取り戻していた。

 瘴気の紫が薄れ、雲の輪郭がちゃんと見える。


「終わった……?」

 自分の声が、知らない人みたいに聞こえた。


「第2波は終わった。……まだ、何が出るか分からないが」

 セイジュが淡々と言う。冷静すぎて、逆に安心する。


「はい。黒い霧の件も、気になります」

「逃げた。斬っても焼いても、完全には消えない」

「結界の外側へ逃げようとしていました。……嫌な挙動です」


 私が言うと、セイジュはほんの少しだけ目を伏せた。

 たぶん、同じ結論に辿り着いている。


 あれは、ただの魔物じゃない。

 どこかで、何かが腐っている。


 でも今は、今。

 目の前の街が生き残ったことのほうが先だ。


「おねえちゃん!」

 突然、甲高い声が飛んできた。


 振り向くと、内壁のほうから小さな子どもが走ってくる。兵士に止められそうになって、すり抜けて、まっすぐ私に突っ込んできた。


「おねえちゃんの結界、すごかった! 光ってた! 怖くなかった!」

 勢いそのまま、私の腰に抱きつく。


「ちょっ……あぶ……」

 よろける私を、セイジュが無言で支える。片手で私の肩を抱き、片手で子どもを引き剥がそうとする。


「セイジュ、だめです。泣きます」

「泣かせない方法はある」

「ありますけど、今それをやると、あなたが悪者です」


 セイジュがほんの少しだけ、心底面倒そうな顔をした。

 珍しい。すごく珍しい。


 子どもは私を見上げて、目をきらきらさせる。

 兵士の子だろうか。頬に煤がついている。たぶん避難区画から出てきたばかりだ。


「名前、なに?」

「……アリアです」

「アリア! アリアおねえちゃん! また来て!」

「また来ます。ここは、私の仕事場ですから」


 そう言った瞬間、胸の奥が、すっと温かくなった。

 私の仕事場。

 この言葉が、こんなに自然に出てくる日が来るなんて。


「おまえ、すげえな」

 近くで見守っていたリカルドが、笑って言った。

 副団長の笑い方は、いつも現場の空気を軽くする。


「ありがとうございます。でも今のは、街の構造が良かったです。多重城壁と避難区画が、結界と相性がいい」

「つまり、グラナが偉い」

「グラナが偉いです」


 言い切ると、周囲がどっと笑った。

 笑いが出る。泣くよりずっといい。


 戦後の検証会議は、あっという間に始まった。

 場所は前線指揮所。地図テーブルの上に、ノエルの計測器が吐き出した数値の紙が積まれている。


「結論から言う。今回の結界構造を、国境都市グラナの公式仕様として採用する」

 現地指揮官が言い、王都への通信魔導具が光った。


「正式名称は……どうする」

 誰かが聞く。


「グラナ式多重結界でいいだろう」

 リカルドが即答した。


 私は、反射で口を開きかけて、閉じた。

 そう呼ばれるのは、たぶん正しい。街の守り方として、これ以上分かりやすい名前はない。


 でも、その一方で。

 その構造を設計したのは、私だ。


「主任、いいんですか? それで」

 カイルが、珍しく遠慮がちな声で言う。


「いいんです。街が守れれば」

「……いや。そうじゃなくて」


 カイルは言い淀む。

 たぶん、彼なりの正義がある。貴族出身のエリートらしい、面倒で真面目な正義。


 そのとき、通信の向こうで宰相ユリウスの声がした。

 声だけで分かる。にやり、と笑っている。


「名称はそれで良い。だが、記録には残す。設計者名を」


「……設計者名?」

 私は思わず聞き返した。


「功績が個人に帰属するのは当然だ。ガルディアはそういう国だろう」


 その場の空気が、少しだけ固まった。

 固まってから、ゆっくり温度が上がっていく。


「石碑を建てる」

 現地指揮官が続けた。「結界柱のそばに。街の者が見える場所にだ」


「石碑……」

 私はつぶやく。


「今回の戦いの記録と、結界の仕様、そして設計者の名を刻む」

 指揮官は、私をまっすぐ見た。

「アリア・レイン。おまえの名を刻む」


 頭の中が、真っ白になった。

 名を刻む。公に。誰の陰でもなく。


 アストリアでは、私は何年も結界を維持していたのに、誰も知らなかった。

 知っているのは、王家の一部と、レイン家と、そしてセイジュだけだった。

 だから、私は捨てられたときも、誰も困らない顔ができた。


 でも、ここでは。

 困る。変な意味で困る。胸が、落ち着かない。


「主任?」

 ノエルが覗き込んでくる。「どうしました? 泣きます?」

「泣きません」

「顔が赤いです」

「寒いだけです」

「今、暑いですよ」

「……うるさいです」


 ノエルが笑い、リゼットが肩を叩き、リカルドが呆れたように息をついた。

 カイルは、なぜか少しだけ満足そうに頷いている。


 そして、セイジュだけが、私の横で静かに言った。


「当然だ」

「……え?」

「おまえの名は、刻まれるべきだ。遅すぎるくらいだ」


 胸の奥が、ぎゅっと締まった。

 私は、うまく言葉が出てこない。


「……私、名前が残るの、慣れてません」

「慣れろ」

「乱暴ですね」

「乱暴じゃない。命令だ」


 命令。

 その言葉が、嫌じゃない。


 私は小さく息を吐いて、頷いた。

 この国では、功績は功績として扱われる。

 私はそれを、受け取っていい。


 会議が終わり、外に出ると、夜風が頬を撫でた。

 国境の空は澄んでいて、遠くの山脈の稜線が黒く浮かぶ。あの向こう側に、瘴気の谷がある。


「次は、もっと改良します」

 私は、考えるより先に口に出していた。


「何を」

 セイジュが聞く。


「第1リングの負荷分散。今日は北門に魔力が寄りすぎました。計測器のデータ、あとで全部見直します。あと、黒い霧の挙動も……」

「休んでからにしろ」

「休んだら忘れます」

「忘れない。おまえの頭はそういう作りじゃない」


 言い切られて、私は苦笑する。

 確かにそうだ。寝ても、夢で結界を組み直している自信がある。


 セイジュは私の肩に、自分のローブをかけた。

 ふわりと黒い布が落ちて、外気が遮られる。


「寒いだろう」

「……あなたが着ないと寒いのでは」

「俺は平気だ。おまえが寒いほうが問題だ」


 それはもう、論理じゃない。

 でもセイジュは、論理の顔で言う。

 ずるい。


 私はローブの端を握りしめて、空を見上げた。

 この空の下で、私の名前が石に刻まれる。

 そんな未来を、私は今まで想像したことがなかった。


 でも、想像していいのかもしれない。

 私が守った場所に、私の足跡が残る未来を。


 そして、その名前がいつか、あの国に届くことも。

 届いたとしても、もう私は戻らない。

 戻らないまま、必要なときにだけ、必要な形で関わる。


 それが、今の私の選んだ責任だ。


 だから、次はもっと。

 守るために、強くする。


 私は、国境の冷たい夜気を吸い込みながら、ローブの中でそっと笑った。

ここまでお読みくださりありがとうございます。グラナに刻まれる名と、セイジュの不器用な独占欲、いかがでしたか。次話は黒い霧の正体と、アリアの帰る場所がさらに揺さぶられます。続きを追っていただけると嬉しいです。ブクマ&評価で応援して頂けると、とても励みになります!


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