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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第2部 ガルディア新生活と魔導師団編 第8章 国境防衛戦

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第49話 戦時体制への切り替え

北方国境からの報告が、「嫌な予感」から「統計的な異常」に格上げされたのは、その週の終わりだった。


 王都の会議室には、重たい空気が満ちている。

 分厚い扉の向こうは、もう別世界だ。長い楕円形の机を囲んで、王と宰相、軍の上層部、魔導師団の幹部たちが並び、その端に、私はそっと腰を下ろしていた。


(……また、王の前)


 アストリアの玉座を思い出しかけて、意識的に追い払う。

 目の前の王――ガルディア王アレクシスは、私を見やると、穏やかな眼差しで軽く頷いた。


「では、始めよう」


 宰相ユリウスの声で、会議が動き出す。

 机の中心に浮かび上がった立体地図には、大陸北部の山脈と、その裾野に広がる国境線。ガルディアとアストリア、それぞれの結界ラインが光の帯で示されていた。


「結論から申し上げます」


 ユリウスが指先で地図をなぞる。

 北方国境のいくつかの点が、赤い光に変わった。


「ここ数日の報告と観測データを総合した結果――我が国ガルディアは、本日をもって部分的な戦時体制へ移行すべきと判断します」


 静かなざわめきが、席のあちこちで生まれる。


「北方国境沿いの駐屯部隊は即日増強。魔導師団の一部は前線配備とし、王都防衛ラインも強化。徴兵までは踏み込まぬが、予備役への連絡網を再確認する」


「王都の民への告知は?」


 王が短く問い、ユリウスが頷く。


「『北方方面の警備強化に伴う節制と協力のお願い』という形で。物資と交通に一定の制限がかかることは正直に伝えますが、過度な不安を煽らぬよう表現は調整します」


 王はしばし目を伏せ、それから静かに頷いた。


「……よかろう。戦とまでは言わぬ。だが、嵐が来る前に戸を閉めることは必要だ」


 視線が、私の方へと向く。


「アリア・レイン。見立てを」


 いきなり名を呼ばれて、背筋が伸びる。

 私は用意しておいた資料を手元の板に呼び出し、立体地図の自分の前の部分へと重ねた。


「魔物の発生頻度と瘴気濃度の推移、それからアストリア側の小規模結界崩落の位置を重ねています」


 指先で淡い光の点を繋ぐ。

 いくつもの赤い点が線を描き、やがて一つの帯になった。


「このままなら、数週間以内に――ここ、北方国境都市グラナ周辺に魔物の群れが集中して押し寄せる可能性が高い、と思います」


「可能性が高い、ではなく?」


「……ほぼ確定に近いです」


 言葉を選んだ私に、セイジュがちらりと視線をよこす。

 無言の「遠慮はいらない」という合図に、私は小さく息を吸った。


「アストリアの大結界は、表向きは安定しているように見えて、実際には継ぎはぎだらけです。私が手を離す前に、少しでも『逃げ道』を作るため、あえて負荷が集中しやすい区画を残しました」


 胸の奥が、ちくりと痛む。


「今、そこが崩れ始めています。瘴気の流れは、山脈沿いの低いところへと集まる。その先にあるのが、我が国との国境です」


 短い沈黙。

 ユリウスがまとめるように口を開く。


「アストリアが自国の穴を塞げない以上、我々は、押し寄せる前にこちら側の防衛線を整え、受け止めねばならない……そういうことですね」


「はい。少なくとも、グラナを中心とした北方ラインで、一度大きな波を受けることになるはずです」


 私は、地図上の一点を指さした。

 ガルディア北方最大の国境都市――グラナ。


 国境防衛用の新型結界を設計したときから、いつかは現地に行くことになる、と頭では分かっていた。

 でも、「国全体の戦時体制」という言葉とセットで聞かされると、足元が少しだけふわりとする。


「よろしい」


 王は短く言い、席を立つ。

 その姿を見送りながら、私は拳をそっと握りしめた。


「魔導師団長セイジュ・アルバート」


「ここに」


 セイジュが立ち上がる。

 黒いローブの裾が、椅子の脚をかすめて揺れた。


「北方国境都市グラナへの派遣部隊を編成せよ。……国境に、我らの新しい盾を示す時だ」


「御意」


 その横で、私も立ち上がり、深く一礼する。


 かつてアストリアでは「国の盾」と呼ばれながら、名前も知られず地下で魔力を注ぎ続けていた。

 今度は、空の下で。自分の足で立ち、自分の意思で結界を張る。


 胸の奥に、静かな熱が広がっていった。


     ◇ ◇ ◇


「――というわけで、グラナ行きのメンバーリストがこちらだ」


 魔導師団本部の作戦室で、リカルド副団長が魔術式の板を机の上に投影する。

 そこには十数名の名前が並び、その中に、私の名前もしっかりあった。


「前線指揮は団長。結界統括がアリア主任。治癒と後方支援はリゼット隊長。実戦部隊から数名、観測・魔導具担当でノエル。……それから、カイル、おまえもだ」


「……やはりそう来ましたか」


 カイルが、腕を組んだまま渋い顔をする。

 しかし、その声には、以前のような棘はない。


「俺のような貴族様を前線に放り込むとは、相変わらず容赦がありませんね、団長」


 セイジュが淡々と「嫌なら残れ」と言うと、カイルは即座に首を振った。「まさか。アリア主任の新型結界を最前列で見られる機会を逃す気はありません」


 その物言いに、思わず苦笑する。

 ツンは取れたけれど、素直になるのはまだ照れるらしい。


「はい、師匠っ!」


 勢いよく手を上げたのはノエルだ。

 目をきらきら輝かせながら、自分の名前を指差している。


「ぼ、僕もちゃんと一緒ですよね!? 最新型の携帯計測器も試作三号も、全部持っていっていいですか!」


「持ち込み許可は危険物リストと照合してからだ」


 リカルドがため息をつく。


「前線はおまえの実験場じゃない。……アリア主任、止めてやってくれ」


「ええと……人が爆発しない範囲でなら、ある程度は」


「師匠、その基準甘すぎません!?」


 ノエルがツッコミを入れ、周りがどっと笑う。

 緊張と不安で固くなりかけていた空気が、少しだけほぐれた。


「装備の支給は?」


 リゼットが尋ねると、リカルドが頷いて扉を顎で示した。


「今からだ。前線用ローブと護符、通信魔導具一式。サイズ調整が必要な者は倉庫前で申告しろ」


 前線用ローブ。

 その言葉に、私は無意識に自分の服の裾を握りしめる。


(……似合わなかったらどうしよう)


 機能性最優先の実用品、というイメージが強くて、少しだけ不安になるのだった。


     ◇ ◇ ◇


「丈は、もう少し短くてもよろしいかもしれませんね」


 研究塔の装備倉庫で、メイド長マリアナが私の周りをくるりと一周する。

 深い紺色のローブに、銀糸で繊細な魔方陣と王国紋章が刺繍されている。袖口と裾には、魔力の流れを安定させる補助陣が縫い込まれていて、見た目以上に「機能の塊」だ。


「動きにくいところはありませんか?」


「だ、大丈夫です。こんなに軽いとは思いませんでした」


 布が揺れるたび、内側を走る魔力の流路が、肌に柔らかな感触を残す。

 アストリアで支給されていた儀礼用ローブは、見栄えは良くても重くて動きづらかった。それに比べると、これは――


(ちゃんと、戦うための服)


 胸のあたりが、きゅっとなる。

 マリアナが満足そうに頷き、鏡の前から下がった。


「では、最後の確認を団長様にお願いしましょうか」


「えっ」


 嫌な予感がしたときには、もう遅かった。

 奥の扉が開き、セイジュが姿を現す。


「準備は――」


 言いかけた彼の言葉が、そこで止まった。

 銀の瞳が、ほんの一瞬だけ見開かれる。


「……」


(沈黙、長いです)


 何か変だろうか、と急に不安になる。

 裾が長すぎる? 襟元が変? それとも――


「どう、でしょうか」


 恐る恐る尋ねると、セイジュはわずかに視線を逸らし、それから真面目な顔のまま、ぽつりと言った。


「似合っている」


「っ」


 顔から火が出るかと思った。

 よりによって、そんな直球を、そんな顔で言わないでほしい。


「今の一言、完全に求婚でしたよね?」


 扉の陰からノエルの声が飛んでくる。


「黙れ」


 セイジュの低い声が即座に返り、ノエルは「すみませんでした!」と元気よく謝った。リゼットは肩を震わせ、カイルはわざとらしく視線を逸らしている。


(……ほんとにもう)


 恥ずかしさと嬉しさと、どう処理したらいいのか分からない感情が、胸の中でぐるぐる回る。

 それでも、鏡に映る自分の姿を見たとき――紺色のローブに身を包み、背筋を伸ばした私の表情は、思っていたよりもずっと落ち着いて見えた。


(これが、今の私)


 アストリアの王宮で着せられていたドレスでも、儀礼用ローブでもない。

 ガルディアの魔導師として、前線に立つための装い。


 少しだけ、誇らしかった。


     ◇ ◇ ◇


 その夜、部屋の中は、いつもの静けさとは違うざわめきで満ちていた。

 開いたままの鞄。詰め込まれていく魔導具とノート。机の上には、グラナ周辺の地図と、結界設計の案が何枚も重なっている。


「これと、この予備。それから、転移用のマーキング用具も……」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、荷物を整理していく。

 準備を進めれば進めるほど、「本当に行くんだ」という実感が、じわじわと迫ってきた。


 ふと、手が止まる。


 窓の外には、夜の王都が広がっていた。

 昼間は賑やかな通りも、今は穏やかな灯りだけがぽつりぽつりと浮かんでいる。遠くの塔の上空を、警戒飛行の魔導師がゆっくり横切っていく光が見えた。


(――ここに来た日のこと)


 眩しい転移の光が収まったあと、見上げた高い天井。

 見慣れない街並み。違う匂いの風。何もかもが新しくて、少し怖くて、でも、それ以上にわくわくしていたあの日。


 あれから、どれくらい経っただろう。


 研究塔での生活と仕事、仲間たちとの日々。

 ひとつひとつは小さな出来事だったけれど、振り返ってみれば――


(全部、ここに繋がっていたのかもしれない)


```

国境で戦うために。

```


 誰かの都合ではなく、自分で選んだ場所を守るために。


「……怖くない、と言ったら嘘になりますけど」


 小さく呟く。


「それでも、あの国の地下室に縛り付けられていた頃よりは、ずっとマシです」


 あの頃の私は、誰かの決めた役割を地下でこなすだけだった。今は違う。自分で作った結界を、自分で守りに行く。そこには、信頼できる仲間たちと、一緒に歩いてくれる恋人がいる。


 コンコン、と控えめなノックの音がした。


「アリア」


「どうぞ」


 扉の向こうから顔を出したのは、セイジュだった。

 いつもより少しだけラフな服装で、しかし表情は、先ほどの会議よりも柔らかい。


「荷造りは終わったか」


「だいたい、です。あとは明日の朝に詰めるものだけ」


「そうか」


 彼は部屋に入り、窓の外に視線を流す。


「……静かだな」


「ええ。だからこそ、守りたいと思うんです」


 自分でも驚くくらい、すらりと口から出た言葉に、セイジュがこちらを振り返る。


「グラナは、ここほど静かではない」


「でしょうね」


 私は笑う。


「山と瘴気と警報と。きっと、騒がしい街です」


「それでも行くか」


「行きます」


「今の私の責任は、この国境を守ることですから」


 セイジュが、わずかに目を見開き、それからふっと口元を緩めた。


「……そうか」


 彼は一歩近づき、私の頭にそっと手を置く。

 指先から、穏やかな魔力の気配が伝わってきた。


「ならば俺は、その結界を守る。おまえが張る盾が折れないように、前に立つ」


「それは、私の台詞でもありますよ」


 思わず笑いながら、彼のローブの裾を軽くつまむ。


「セイジュが無茶をしたら、結界で囲んででも止めますから」


「それは困るな」


 苦笑しながらも、その声はどこか嬉しそうだった。


(さあ、行こう)


 胸の中で、静かに呟く。


 あの国の地下室で、ただ魔力だけを注ぎ続けていた私ではなく。

 ガルディア王国の魔導師として、仲間と並んで歩く私として。


 積み上げてきた日々のすべてを、この国境の空へと繋ぐために。


ここまでお読みいただきありがとうございます!ついに舞台は北方国境都市グラナへ。国を賭けた大規模戦と、アリアとセイジュが“恋人として”どう寄り添っていくのかを書き切っていきます。続きが気になると思っていただけたら、感想や評価・ブックマークで応援してもらえると励みになります!


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