第44話 お茶会と包囲網
その日、私は久しぶりに戦場用のローブではなく、淡い青のドレスを着ていた。鏡の中の自分は、どうにか「貴族令嬢」のカテゴリに収まって見える……はずだ。
「本日は夫人方とご令嬢方が半々と伺っています。よくお似合いですわ、アリア様」と、髪を整えてくれたマリアナが微笑む。
「ありがとうございます。できれば、魔力計測器のそばでお茶会をしたい気分ですけれど」「それはノエル様と団長様が喜びますわね」
そんな取り留めのない会話を交わしながら、私は深呼吸を一つ。今日の場は、リゼットさん主催のお茶会だ。
(査定、ですね)
ガルディアの貴族令嬢と奥方たち。魔導師団の外側で別の力を持つ人たちだ。
これは、私にとっても仕事の一環――そう言い聞かせて、胸の緊張をなんとか押し込める。
◇
会場は王都中心部の貴族会館の一室で、花と香りに満ちた典型的なサロンだった。
「アリア、来たわね!」
手を振りながら駆け寄ってきたのは、今日の主催者、リゼットさんだ。
戦場仕様のローブではなく、淡いピンクのドレス姿。いつものきりっとした彼女とはまた違う、華やかな雰囲気がある。
「本日はお招きありがとうございます、リゼット隊長」
「やめて、今日は隊長じゃなくてリゼットで。女の子同士の場なんだから、そんな堅苦しい呼び方してたら浮いちゃうわよ?」
「……努力します」
私は小さく息を吸ってから、周囲へ視線を巡らせた。
少し年上と思しき夫人たちが、扇で口元を隠しながらこちらを観察している。
同年代か、それより下の令嬢たちが、好奇心と警戒を混ぜた目でこちらを見ているのが分かった。
この視線、懐かしい。
王太子妃教育で、何十回と浴びたものだ。
「王妃候補を値踏みする視線」というラベルを貼って、頭の中の棚から取り出す。
(今回は、王妃ではなく「外様の魔導師」としての値踏み、でしょうけれど)
リゼットさんがかたわらで、さらりと紹介を始めた。
「皆さま、こちらが例の――いえ、噂のアリア・レインさん。新しい国境結界プロジェクトの責任者であり、うちの団長様が自慢してやまない研究者よ」
「リゼットさん」
「あら、事実でしょ?」
くすくすと笑いが広がる。
その波に合わせるように、何人かの夫人が椅子から立ち上がった。
「アリア様、ようこそガルディアへ」
「いつも、夫が魔導師団でお世話になっておりますわ」
挨拶の言葉そのものは柔らかい。
けれど握られる手の力や、視線の温度が、それぞれの立場を雄弁に物語っていた。
好意、打算、警戒、不安。
色とりどりの感情が、魔力の波形のように重なって見える気がする。
(……これは、面白いデータが取れそうですね)
思わず研究者目線で評価してしまい、内心で苦笑した。
◇
「アストリアでは、どのようなお暮らしを?」
最初の質問は、穏やかな声色で投げかけられた。
年長の伯爵夫人。夫は貴族院の有力者だと聞いている。
乗ってはいけない波と、あえて乗るべき波。その見極めが必要な相手だ。
「……王都で、大結界の維持と改修を担当しておりました。あとは、王宮付きの雑務を色々と」
「まあ、大結界を。噂には聞いておりましたけれど、本当に」
夫人の隣の令嬢が、ぱちぱちと瞬きをする。
「アストリアの大結界って、あの……国全体を覆っている、すごく大きな結界ですよね?」
「ええ。もっとも、私が担当していたのは一部ですけど」
事実を過不足なく、しかし細部の数字や構造はぼかして答える。
大結界の具体的な設計は、ここでも機密情報のはずだ。
「王太子殿下とのご婚約も、それで?」
別の席から、少しだけ棘のある声が飛んできた。
声の主は、古い名門の令嬢。
さきほどから「外様」「元婚約者」といった単語の発生源になっている子だ。
視線がちら、と一斉に私へ集まる。
(来ましたね。今日の質問リスト、第一項目)
私はカップを持ち直し、微笑の角度を半分だけ上げた。
「そうですね。大結界関連の仕事を通じて、という形でした」
「では、今はこちらで、同じように……?」
「結界と王家がセットなのかどうか」を探る質問だ。
ここでガルディア王家との関係を強調しすぎれば、「また王家に取り入ろうとしている」と受け取られかねない。
逆に距離を取りすぎれば、「本当にガルディアのために動く気があるのか」と疑われる。
魔力配分より厄介なバランス調整だ。
「今の私は、ガルディア王国の一魔導師として、国境防衛プロジェクトに携わっています。王家からは、大きな信頼と権限をいただいていますが……」
一拍おいてから、言葉を継ぐ。
「一番の軸は、研究です。結界技術の可能性を広げることと、それで守れる人を増やすこと。そのために、ここにいます」
夫人たちの間に、わずかなざわめきと笑いが走った。どうやら、私は「少しズレた研究者」として認識されたらしい。それなら、野心家と見られるよりずっと楽だ。
「それにしても」
今度は、柔らかな笑みを浮かべた若い侯爵夫人が、扇で口元を隠しながら身を乗り出してきた。
「噂では、災厄の魔導師団長様と、とてもご親しいとか」
「まあ、やっぱりそこに行くのね」
リゼットさんが、横でお茶を吹き出しそうになっている。
私はというと、カップを持った手に、少しだけ力が入った。
「親しい、というか……お世話になっています。研究と生活の両方で」
「まあ。生活のほうでも?」
遠慮のない興味の光が、一斉にこちらへ注がれる。
戦場の殺気より、ある意味で刺さる視線だ。
「同じ塔に住んでいますから。団長として、とても頼りにしています」
「まあ。同じ塔に、ねえ」
「夜遅くまで二人で研究なさっていると、うちの子が自慢していましたわ」
情報源が誰なのかは、だいたい想像がつく。
「……研究の話をしているだけです。研究協力者ですから」
そう言いながらも、頬が熱くなるのを自覚する。
「協力者、ね」「それ、こっちの言葉だと半分求婚よ?」
ひそひそ声に、リゼットさんまでが「分かる」と頷き、場に柔らかな笑いが広がった。
(……これは、悪くない変化かもしれませんね)
◇
場が少し和んだところで、話題は自然と別の方向へ流れていった。
「最近は物騒な噂も多いでしょう? 国境の魔物が活発だとか、どこかで結界の異常が見つかったとか」
「商隊の護衛費も上がってしまって。夫が帳簿と睨めっこで困っておりますのよ」
さりげない世間話に紛れて、情報の断片が転がってくる。
「北方方面の商人たちが、こぞって別の道を使い始めた、とも聞きましたわ」
「そうそう。あの……どこだったかしら、ええと……」
「ラヴェル子爵家の管理している街道だったかしらね」
ラヴェル子爵家。
貴族院で、あまり前に出ないが古い家系として一定の発言力を持つ家。
国境付近にも、いくつか倉庫を所有している――そんなメモが、頭の引き出しから自動的に引っ張り出される。
(演習のログで見かけた癖。あの紋章の家の儀式魔法と似ていた、というだけなら偶然の可能性もあるけれど)
ここで名前が出るのは、単なる偶然か。
それとも――。
「ラヴェル家の街道は、やはり便利なのですか?」
私は、カップをソーサーに戻しながら、さりげなく水を向けた。
「昔から交易商に人気よ。関所での手続きも早いし、倉庫も融通してくれるって」
「ただ、最近少し……」
言い淀んだのは、先ほどの若い侯爵夫人だ。
「何かおありで?」
「いえ、大したことではないのですけれど。主人の友人が、ラヴェル家の倉庫を借りようとしたとき、妙に条件が厳しくなっていたと。『特定の商人からの紹介でなければ貸せない』とか」
「以前は、そんなことはなかったと聞きましたわ」
別の夫人が頷く。
「ふうん……」
リゼットさんが、私の隣で低く唸った。
「ねえアリア、これ、あとで詳しく聞いてもいい?」
「もちろんです」
頭の中で、見えない線が一本引かれる。
国境で押収された、結界図の写し。
演習で見つけた、結界干渉用の小さな補助陣。
そして今、サロンで聞いた、特定の商人だけが使える倉庫の話。
ばらばらだった点が、細いながらも一本の線になりかけている。
(結界の外側からだけでなく、内側からも。魔力だけでなく、物資と人の流れも)
私はそっと息を吐いた。
――国全体を守るには、魔力の網だけでなく、情報と人間関係の網も必要だ。
◇
お茶会の終盤、少し人の輪が緩んだところで、数人の夫人や令嬢が、こっそりと私のそばに寄ってきた。
「アリア様」
「もし、何かお困りのことがあれば……相談に乗れるかもしれませんわ」
年長の伯爵夫人が、静かな目でこちらを見つめる。
「貴族院は、女性の出入りが少ない場ですけれど、夫人同士のつながりなら、別の形で耳に入ってくる情報もありますの。たとえば、どの家の倉庫で、人の出入りが急に増えたかとか」
「どの夫人が、やたらと海外の噂に詳しくなったか、とかね」
若い侯爵夫人が、悪戯っぽく微笑む。
「私たちは、政治の表舞台には立ちませんけれど、その分、別のところから世界を見ていますのよ」
まるで、「あなたの結界の一部になりましょうか」とでも言うような言葉だった。
胸の奥で、何かがじんわりと温かくなる。
「……ありがとうございます。そのようなお申し出をいただけるなんて、思ってもみませんでした」
素直にそう告げると、伯爵夫人はふっと表情を和らげた。
「あなたが、最初から『味方になってください』とねだらなかったからでしょうね」
「最初に、自分の足で立つと言った人には、手を貸したくなるものよ」
侯爵夫人の言葉に、リゼットさんが「分かる」と深く頷く。
「それに、団長様があれだけ分かりやすく庇っている方を敵に回すのは、賢くないもの」
「それは……」
否定しづらい事実だったので、私は曖昧な笑みでごまかした。
でも、同時に思う。
(最初に守ってくれたのはセイジュ様たちだけれど――)
今、こうして手を差し伸べてくれる人たちは、彼とは別の回路から繋がった「味方」だ。
魔導師団の制服ではなく、ドレスと扇とティーカップで武装した人たち。
戦場で張る結界とは違う、もうひとつの網が、静かに広がっていくのを感じる。
「では、困ったときは、遠慮なくご相談させてください」
「ええ。お茶とお菓子くらいは、いつでも用意しておきますわ」
そう言って笑う彼女たちを見ていると、かつてのアストリアでの自分――王家の便利な道具として座っていた、孤立したサロンの席が、遠い記憶のように思えた。
「――ガルディアで張るべき結界は、魔力だけじゃないのかもしれませんね」
思わず漏れた独り言に、隣のリゼットさんが首をかしげる。
「何か言った?」
「いえ。少し、仕事が増えそうだなと」
私はカップの底に残った紅茶を飲み干し、静かに息を整えた。
魔力で張り巡らせる結界。
そして、人と人をつなぐ、目に見えない包囲網。
ここでの私の仕事は、その両方をきちんと扱うことなのだろう。
――ここには、戦場だけでなく、サロンにも味方がいる。
そう実感しながら、私は新しく編まれ始めた網の感触を、胸の内でそっと確かめた。
お読みいただきありがとうございます!
今回は戦場ではなくサロンでの攻防戦でしたが、アリアの「もう一つの結界」が少しずつ形になってきました。魔導師団だけでなく、夫人方や令嬢たちも巻き込んだ包囲網が、今後どう本筋に絡んでいくのか……ぜひ見守っていただけたら嬉しいです。
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