第43話 副団長の試験
その知らせを聞いたのは、スパイ疑惑の会議が終わって、まだ一刻も経たないうちのことだった。
「――模擬襲撃演習、ですか?」
執務室の机の向こうで、リカルド副団長がにやりと口角を上げる。
「ああ。どうせなら、調査と実戦訓練を一度で済ませたほうが楽だろ?」
ぜんぶまとめて片づけようとするあたり、いかにも現場叩き上げの発想だ。
さきほどの会議で、新型国境結界案の一部が外部に流れかけていたことが報告された。
図面に触れられる人間は限られている。となれば、どこかに内部の協力者がいる可能性が高い。
その調査の主導を、私は自分から申し出たばかりだ。
「楽、という表現はどうかと思いますが……内容を確認してもよろしいですか」
「もちろん」
リカルド副団長が、机の上に魔術板を呼び出す。
光の板に、山間部の地形図と魔方陣の線が重なる。
「場所は王都から半日ほどの山間訓練場。新型結界を縮小した試験版を、ここに展開する」
「縮小版、ですか」
私は図面に目を走らせた。
外殻、防御層、緩衝層、生活圏を模した内部エリア。
本来は北方国境を覆う規模のものを、一つの谷に押し込める形だ。
「外周には通常の警備隊と、魔導師団から選抜した隊を配置する。で――」
リカルド副団長の指先が、内側のエリアの一点をとん、と叩いた。
「ここに犯人役を忍び込ませる」
「犯人役?」
「実際のスパイが誰かはまだ分からない。だから逆に、『スパイ役』をひとり用意するんだ。演習中、そいつには好きな方法で結界を乱してもらう」
好きな方法で結界を――。
ぞくり、と背筋を冷たいものが走った。
大結界を維持していた頃なら、絶対に口にしなかった発想だ。
結界は守るものであって、意図的に揺らすものではない。
けれど今、私はガルディアの魔導師だ。
国境防衛のためなら、必要なリスクも取らなければならない。
「演習中、主任――アリアは結界制御塔で全体の指揮をとる。外側からの襲撃と、内部からの妨害、その両方に対応してもらう」
「……最悪ですね」
思わず、本音が口をついて出た。
「外からも中からも、ですか」
「現場はだいたい最悪を想定しておくもんだ」
リカルド副団長は肩をすくめる。
「それに、今いちばん疑われてるのは外様のお嬢様なんだぜ? おまえが結界ごと全部捌いてみせれば、だいぶ黙る口も増える」
「それは……否定しませんけれど」
私が眉を寄せると、隣で静かに話を聞いていたセイジュ様が口を開いた。
「犯人役は誰が務める」
「まだ未定だ。こっちで選ぶ。もちろん、アリアには事前に教えない」
あっさりと言われて、私は思わずセイジュ様を見る。
「……聞いていませんでしたけれど」
「言っていなかったからな」
平然と返される。
「試験だからな。あらかじめ答えを教えたら意味がない」
「誰の試験なんでしょうね?」
呆れ半分に問い返すと、リカルド副団長が楽しそうに笑った。
「主任殿の、だろ? それと、うちの連中の」
副団長の試験、というタイトルは聞いたことがある。
中身はどうやら、「外様の主任と、魔導師団を同時に試してやろう」ということらしい。
……やっぱり、この人もなかなかえげつない。
「分かりました。演習の詳細な条件だけ、事前に共有してください。それと、結界制御塔の設備を少し改造しても?」
「お、もうやる気だな」
リカルド副団長が目を細める。
「必要な資材はリストにして出してくれ。予算はどうにかする」
「ありがとうございます。では――」
私は魔術板の別の層を呼び出し、制御塔内部の簡易図を描き込み始めた。
視線の端で、セイジュ様の銀の瞳が、わずかに柔らかくなるのが見える。
「おまえがやると言うのなら、俺からも王と宰相に話を通しておこう」
「心強い後ろ盾ですね」
「当然だ。……危険を感じたら、即座に中止させる」
「それは、最後の手段にしてください」
私は苦笑して首を振った。
「ここで逃げたら、本当に外様は信用できないで終わってしまいますから」
怖くないと言えば嘘になる。
けれど、逃げたくはなかった。
この国で、もう一度国の盾になりたいと願ったのは、私自身なのだから。
◇
演習当日、山間訓練場の谷底一帯は、仮設の街と私の結界で簡潔に区切られていた。
「結界、安定しています」
制御塔の窓から谷を見下ろしながら、私は魔力計の針を確認する。
塔の内部には、簡易型の制御陣と計測器、それから通信のための水晶板が並んでいた。
魔力の流路を視覚化するため、ノエルが徹夜で組んでくれた追加の魔術板もある。
「いい感じですね、主任! ログの取り方も、前に比べてだいぶ精密になってます!」
隣で、ノエルが目をきらきらさせている。
「あなたが張り切りすぎて、最後に倒れなければ完璧です」
「倒れませんよ!? ぼく、もうちょっと体力つけましたから!」
胸を張る天才少年を横目に、私は外の様子に意識を向ける。
谷底では、魔導師団と警備隊が隊列を整えていた。
リカルド副団長とリゼット隊長が、それぞれの持ち場で指示を飛ばしている。
カイルの姿も見えた。いつもより少し真剣な顔つきで、隊の中央に立っている。
『こちら副団長。制御塔、聞こえるか?』
水晶板から、低い声が届いた。
「はい、こちら制御塔。アリアです。よく聞こえています」
『これより、模擬襲撃演習を開始する。外側からは、通常の魔物群を想定した魔力弾と突撃。内部からは――』
一拍置いて、わざとらしく間を空ける。
『犯人役の妨害だ』
塔の中に、わずかな緊張が走る。
ノエルが、ごくりと喉を鳴らした。
「犯人役がどなたか、もう決まっているんですね」
『ああ。だが繰り返すが、名前は教えない。そいつがどこからどう動くか、結界の揺れと魔力の痕跡から割り出してみせてくれ』
「了解しました」
私は深く息を吸い、塔全体に魔力を満たした。
視界の端で、魔術板の上に、谷の立体図と結界の層が重ねて表示される。
外殻、防御層、緩衝層、内部生活区――それぞれの魔力の流れが、淡い光の線となって浮かび上がった。
『セイジュ団長、何かあれば横から止めてくれて構わんぞ』
リカルド副団長の声に、別の低い声が重なる。
『必要ない。――おまえが決めた条件だ。最後までやれ』
セイジュ様らしい、容赦のない返答だった。
けれど、その声音の奥に、ごく薄いが確かな信頼の色が混じっているのを、私は知っている。
「それでは、演習を開始します」
自分の声が、思ったよりもよく通った。
◇
最初に揺れたのは、北側斜面の外殻層だった。
結界図の一部が、かすかに色を変える。
外からの魔力弾が当たり、緩衝層に吸収された合図だ。
「北斜面、第二支隊。防御陣、三段目まで展開。緩衝層への負荷を下げます」
『了解!』
水晶板の向こうで、複数の声が重なる。
魔力の流れが変わり、負荷が均等になるのが見えた。
続いて、東側。今度は突撃を模した魔力の衝撃。
そのたびに、私は結界の厚みを微調整し、必要な場所へと魔力を再配分していく。
……ここまでは、想定通りだ。
外からの攻撃はパターンが読みやすい。
問題は――内部からの揺らぎだ。
「ノエル、内部区画のログ、リアルタイムで重ねてください」
「はいっ」
少年が魔術板に手をかざす。
谷底の建物群の上に、薄い光の格子がかかる。
その瞬間だった。
内部生活区の一角、倉庫を模した建物の周辺で、魔力の流れが一瞬だけ滞った。
「……今の、見ましたか?」
「えっ、どこですか?」
「南東のブロックです。第三倉庫の周辺」
私は指先でその部分を拡大する。
緩衝層の魔力が、ほんの一瞬だけ濁り、すぐに元に戻っていた。
たとえるなら、きれいな水面に小石を投げ込んだときの、あの一瞬の波紋のような。
「第三倉庫周辺、内部巡回隊に確認を。魔力感知に敏い者を向かわせてください」
『第三倉庫だと? 了解した』
リカルド副団長の声が、わずかに低くなる。
数呼吸後、別の声が届いた。
『こちら巡回隊。第三倉庫周辺、特に異常は――って、あれ?』
『報告しろ』
『倉庫の壁に、妙な補助陣が……防寒用かなと思ったんですが、結界の流れにちょっと噛んでる感じがします』
補助陣。防寒用を装った、結界干渉用の小さな魔法陣。
私は思わず唇を引き結んだ。
「あれが犯人役の仕込みですね」
『そういうことだろうな。場所の選び方がいやらしい』
リカルド副団長が舌打ち混じりに言う。
『第三倉庫周辺、補助陣を残したまま封鎖。誰も触れるな。制御塔で解析する』
「ありがとうございます。ログの波形から、構造はおおよそ把握できます」
私は魔術板に指を滑らせ、先ほどの濁りの波形を拡大した。
魔力の流路をほんの少しだけ偏らせる、細工の細かい陣だ。
このまま放置しておけば、緩衝層にストレスが蓄積し、いずれは防御層の一部が薄くなる。
……やり口が、どこかで見たことがある。
王都地下の大結界中枢で、何度も見た嫌な癖だ、と直感した。
(この癖……)
胸の奥で、古い記憶がざらりとした手触りを立てた。
アストリアの古い貴族たちが好んで使っていた、見た目だけ整えて中身をごまかすやり方。
それに、妙に似ている。
「主任?」
「失礼、少し考え込んでいました。――大丈夫です。今の段階なら、影響はごくわずかです」
私は意識を現在に引き戻し、次の指示を飛ばす。
「内部巡回隊の配置を少し変えます。第三倉庫周辺に、人の出入りを意図的に増やしてください。犯人役が焦れて次の手を打つはずです」
『了解。……本物のスパイ相手でも、その手でいけそうだな』
半ば感心したような声が返ってくる。
その後も、内部のあちこちで、ごく小さな濁りが立った。
倉庫の影、見張り台の足元、給水設備の裏。
そのたびに私は、結界の流れを微調整しながら、波形の癖を頭の中に刻み込んでいく。
魔力の質感、揺れ方、戻り方。
何度も見ているうちに、ひとつの共通点が浮かび上がった。
(この系統――)
貴族院で見かけた、ある家の紋章。
彼らが使っていた儀式魔法の線の癖と、よく似ている。
名前を出すには、まだ確証が足りない。
けれど、手がかりとしては十分だ。
『――演習終了! 全隊、持ち場を維持したまま待機!』
リカルド副団長の声が、ようやく終了の合図を告げる。
私は大きく息を吐いた。
「主任、お疲れさまです!」
「あなたも、よく頑張りましたね」
ノエルがぱあっと笑う。
「結界の揺れ方だけで、ここまで分かるなんて……やっぱり、ぼくの師匠はすごいです!」
「師匠と呼ばれるのは、まだくすぐったいですね」
苦笑しながら、私は最後のログ保存を終えて魔力の手を離した。
制御塔の窓から見える谷底では、隊員たちがそれぞれの持ち場で肩の力を抜き始めている。
カイルがこちらを見上げ、ほんの少しだけ口元を上げた気がした。
――外様の女、ね。
外から来たからこそ見える揺らぎもあるのだと、今なら静かに思える。
塔の壁に背を預けて息を吐くと、視線を感じて顔を上げた。
「……外様だからこそ見えるものも、たしかにあります」
そう呟くと、セイジュ様が短く「そうだろう」とだけ返す。その声音に、十分な肯定と信頼が滲んでいた。
「――さて。副団長の試験結果を、まとめに行きましょうか」
この国で、外様として迎えられた私が。
今度は、この国の内側に巣食う影を、ひとつずつ炙り出していく番だ。
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