第41話 貴族派と実力主義派
貴族院を出て、そのまま王城の転移陣で研究塔へ戻った。
足元の魔方陣が光を収めた瞬間、全身の力がどっと抜ける。
魔力的な疲労ではない。言葉ばかりを投げ合ったあとの、厄介なだるさだ。
「……ただいま戻りました」
転移室の番をしている若い団員にそう告げると、彼は驚いたように目を瞬かせ、それから慌てて敬礼した。
「お、おかえりなさいませ、主任! 団長と副団長が、戻られたらすぐ執務室にと」
「分かりました。ありがとうございます」
やっぱり、すでに話がいっている。
私はローブの裾を整え、魔導師団本部棟へ続く廊下を歩き出した。
貴族院の重たい空気はもうない。けれど、こっちはこっちで、別種の緊張が漂っている。
戦場の匂いと、政治の匂い。
どちらも、結界の揺れ方に、ささやかな形で刻み込まれていく。
◇
団長執務室の扉をノックすると、中からセイジュ様の低い声が返ってきた。
「入れ」
扉を開くと、部屋の空気が、いつもより少しだけ硬いのが分かった。
大きな机の手前に丸テーブル。そのテーブルを挟んで、セイジュ様とリカルドさんが向かい合っている。
机の上には、貴族院の紋章が押された書類の束と、人事表と地図。
完全に、政治モードだ。
「戻りました」
私が軽く頭を下げると、二人の視線がこちらを向く。
「ご苦労だった、アリア」
「おかえり、主任殿。いや、今日は“外様代表”と呼ぶべきかね?」
リカルドさんが、冗談めかして肩をすくめる。
「その肩書きは、あまり欲しくないですね」
苦笑しながら、私は二人の近くの椅子に腰を下ろした。
座った途端、さきほどまで張り詰めていた背筋が、少しだけ椅子にもたれかかる。
「議長はバルツ公だったな」
セイジュ様が、書類に目を落としたまま尋ねてくる。
「はい。エルンスト・バルツ公爵閣下が、議長席に」
「ふむ。顔ぶれは?」
「ざっと見た限りでは、北方領の伯爵家が数名と、中央の名門公爵家、それから……」
私は、頭の中で席順を思い出しながら、見覚えのある紋章や名を挙げていく。
議長席の背後には、古い家系らしい一団。反対側には、まだ若い伯爵や子爵たち。
「やっぱりな」
私の報告を聞きながら、リカルドさんが紙の端を指でとんとんと叩いた。
「古株の名門貴族派が半分。新しめの実務派が半分。真ん中に、バルツ公のような調整役」
「綺麗に分かれていたな」
セイジュ様が低く言う。
「アリア、さっきの会で、何を聞かれた」
「一番分かりやすいのは、『今の私はどの国のために動いているのか』ですね」
私は、先ほどのやり取りを簡潔に要約していく。
ガルディアのために動いていること。
けれど、自分は政治家ではなく、魔導師であり研究者であること。
守りたい人と、続けたい研究のために動くと明言したこと。
話しているうちに、セイジュ様の視線が少しだけ柔らかくなった。
「……おおむね、想定通りの答えだな」
「団長の想定より、少しだけまっすぐだった気もしますけどね」
リカルドさんが、口の端を上げる。
「もっと濁した答えもあったろうに、“守りたい人たち”なんて言葉を出せば、あっちの何人かは余計にザワついただろうさ」
「聞こえていましたか」
「バルツ公の側近が、さっそくここにメモを回してきてな」
リカルドさんが、机の上の一枚を持ち上げる。
羊皮紙の端には、あの応接室での発言が数行だけ抜き書きされていた。
「『彼女は感情よりも分析を優先するが、守る対象を決めたら揺るがないタイプ』だとよ。――的確っちゃ的確だ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
苦笑しながら答えると、セイジュ様が指で机を軽く叩いた。
「問題は、そこから先だ」
◇
「アリア。さっきおまえが立たされていた場は、ただの確認会ではない」
セイジュ様の声が、少しだけ低くなる。
「古い名門貴族派と、王と宰相が推す実力主義派。その境目を、おまえの存在で区切ろうとしていた」
「区切る、ですか」
「ああ」
彼は、机の上の地図を一枚めくった。
貴族院議員の名簿と、簡単な属性が記されている。
「元々この国は、土地と血筋で権利を主張する連中が多かった。『先祖代々の領地を守ってきた』という歴史は、確かに尊ぶべきものだ」
「ですが」
「だが、歴史だけでは魔物は止められん」
銀の瞳が、冷ややかに細められる。
「アレクシス陛下は、王位を継いだときから、実力主義を少しずつ押し出してきた。魔導師団長に平民出の天才を据えたのも、その一環だ」
「平民出、と言っても、今や団長ですけどね」
リカルドさんが肩をすくめる。
「で、その団長が、他国から逃げてきた外様の女を、国境結界プロジェクトの主任に据えた。土地も血筋も、この国とは縁遠い人間を、だ」
「そう言われると、すごく目立つ配置ですね、私」
妙な気恥ずかしさと、背筋の冷たさが同時に押し寄せてくる。
「そこで、古い名門貴族派は考えるわけだ」
セイジュ様が、淡々と続けた。
「『外様の才女を重用する陛下と宰相、そして団長』対『由緒正しい我ら』という構図になれば、自分たちは“伝統側”の旗を掲げられる」
「……つまり、私を軸にして、勝手に陣営を分けようとしている、と」
「そういうことだ」
リカルドさんが片手を上げてみせる。
「名門貴族派の連中は、“血筋で選ばれなかった者”が上に立つのが気に食わねえ。だから、『いかに危なっかしいか』を強調したい。今日の確認会は、そのための材料集めでもあった」
「一方で、陛下や宰相の側から見れば、アリアの存在は『血筋に頼らずとも、国を守れる』という示しにもなる」
セイジュ様が、静かに言う。
「おまえが結果を出せば出すほど、実力主義派は声を大きくできる。だからこそ――」
「だからこそ、私は“実力主義派の象徴”みたいに扱われてしまう、と」
自分で言葉の続きを口にしていた。
象徴。旗印。便利な看板。
「正直に言う」
セイジュ様が、まっすぐこちらを見る。
「おまえは、すでに巻き込まれている形だ、アリア」
胸の奥が、きゅっと縮む。
「巻き込んだのは、誰かというとだな」
リカルドさんが、わざとらしく咳払いをして、セイジュ様を親指で指した。
「うちの団長様なんだけどな?」
「否定はしない」
即答だった。
セイジュ様は、少しも悪びれた様子もなく続ける。
「おまえの才覚を最大限に活かすには、王と宰相の後ろ盾が必要だった。そのためには、多少の政治的な“見せ札”になることも避けられない」
「……覚悟はしていました」
私は膝の上で、指を組む。
「アストリアを出るときから、どこかの誰かの都合に、程度の差はあれ絡め取られるのだろう、とは」
「だが」
セイジュ様の声が、わずかに柔らぐ。
「アストリアのときと違うのは、“おまえの意思を聞いたうえで”話を進めていることだ。少なくとも、王と宰相と俺に関してはな」
「そうだな」
リカルドさんが頷く。
「アリア嬢。おまえが嫌がるなら、団長は貴族院への説明の仕方を変える気でいた。――なあ?」
「事実だ」
さらりと言われて、言葉に詰まる。
「そんな顔をするな」
セイジュ様が、わずかに口元を緩めた。
「俺は政治の駆け引きはできるが、好きでやっているわけではない。おまえを前に立たせておいて、自分は後ろで笑っているつもりもない」
「……ありがとうございます」
本音を言えば、怖くないわけがない。
貴族院の視線も、名門貴族派の思惑も。
それでも、こうして正面から説明されると、少なくとも一人で背負わされているわけではないのだと分かる。
◇
「とはいえだ」
少し呼吸を整えてから、私は口を開く。
「私は、旗印になりたいわけではありません」
自分でも驚くくらい、言葉はすっと出てきた。
「今日の確認会で、はっきりしました。私は、誰かの陣営の看板になるためにここへ来たわけではない、と」
セイジュ様とリカルドさんが、静かにこちらを見る。
「私は、自分の守りたい人と、続けたい研究のために動くと決めました。……さっきも、そう答えました」
貴族院の応接室。重たい空気の中で、言葉を選びながら発した自分の声を思い出す。
「その結果として、『実力主義派にとって都合がいい存在』に見えるのなら、それ自体は否定しません。でも」
「でも?」
「私の意思を無視した“旗”として扱われるのは、嫌です」
胸の奥にあった小さな棘が、ようやく言葉になった。
「アストリアでは、私の意思はほとんど考慮されませんでした。大結界を維持していればいい、と。どんな政治的な利用をされるかは、私の知ったことではない、と」
王の冷たい視線。
レオンの、都合のいい言葉。
「同じことは、もう繰り返したくありません」
それだけは、守りたい。
視線を上げると、銀の瞳が真正面から受け止めてくれた。
「――それでいい」
セイジュ様が、はっきりと言う。
「おまえは政治家ではない。国境結界の技術者であり、研究者だ。その立場を崩す必要はない」
胸のどこかがほどける。
「政治のためにおまえを使うかどうかを決めるのは、王と宰相と俺だ。おまえは、『この案は防衛と避難のために有効か』『現場が生き残れるか』だけを基準に、意見をくれればいい」
「そうそう」
リカルドさんが笑う。
「旗印ってのはな、旗そのものに責任を押しつけるもんじゃない。柄を持つ側の責任だ。揺れが強すぎりゃ、持ってるほうが踏ん張らなきゃならん」
「……旗の柄、ですか」
「王と宰相と団長。それに、まあ、副団長の俺もちょっとは含めてくれていい」
軽口に、思わず笑いが漏れた。
「ありがとうございます。本当に、心強いです」
◇
ほんの少し空気が緩んだところで、私は改めて、自分の中の言葉を探した。
「……整理しておきたいので、言わせてください」
「いいだろう」
「私は、政治家ではなく技術者です」
貴族院で言った言葉を、今度は味方の前で、もう一度口にする。
「私は、魔導師として、研究者として、この国境を守るための仕組みを考える立場です。誰を出世させるか、どの家の発言力を強めるか、といった話には、関わるつもりはありません」
それは、逃げでもあり、自衛でもある。
「その代わり」
私は、机の上の地図に視線を落とした。
ガルディアとアストリアの国境線。魔物の出現頻度が高い山脈。人の生活が集まる平野。
「研究と防衛に必要な範囲でなら、遠慮なく口を出します」
魔力の流れ。避難経路。補給線。
「『この配置では民間人が逃げ遅れます』『ここを削れば結界が破綻します』『この命令系統では現場指揮が混乱します』。そういったことには、はっきりと異議を唱えさせていただきます」
それが、私にできる最大限の“政治参加”だ。
「それ以外の駆け引きについては……信頼できる人たちに、お任せしたいです」
顔を上げると、セイジュ様と目が合う。
彼は、一拍置いてから、小さく息を吐いた。
「全面的に歓迎しよう」
「ありがとうございます」
「おまえが『ここは違う』と言ったときは、遠慮なく殴り合い覚悟で王と宰相と話をする」
「さらっと物騒なことを言わないでください」
思わずツッコミを入れると、リカルドさんが苦笑した。
「いやあ、団長がそういう顔をして王とやり合うの、ちょっと見てみたい気もするけどな」
「余計な想像をするな」
軽口が飛び交ううちに、さっきまで胸の奥で固まっていた不安が、少しずつ溶けていく。
◇
執務室を辞したあと、私はしばらく、団本部の廊下を当てもなく歩いた。
窓の外には、王都の街並み。
昼と夜の境目が、ゆっくりと街を染めていく時間帯だ。
「……政治家ではなく、技術者」
さっき口にした言葉を、小さく反芻する。
誰かの陣営に名前を連ねるためではなく。
誰かを出し抜くためでもなく。
守るために。逃げ道を作るために。
そのために必要な範囲だけ、権力のテーブルに手を伸ばす。
それなら、きっと私にもできる。
窓ガラス越しに、遠くの北方の空を見上げた。
国境の向こうから忍び寄る瘴気と、王都の中で静かに燃え始めている政治の火花。
両方を同時に相手にするには、私一人では足りない。
だからこそ、今のうちに決めておく。
私は、私の立場を、私のやり方で使う。
研究と、防衛と。
そして、守りたい人たちのために。
その芯さえ見失わなければ――たとえどんな陣営に名前を並べられようと、きっと進む方向は間違えないはずだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は「政治のテーブル」の外側に立とうとするアリアのお話でした。
彼女の選んだ立ち位置、皆さんはどう感じたでしょうか?
少しでも続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや評価をぽちっとして応援してもらえると、とても励みになります!




