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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第2部 ガルディア新生活と魔導師団編 第6章 結界研究と新魔術

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第40話 外様魔導師への視線

 出発前日の朝は、いつもより静かだった。


 研究塔の窓から見下ろす王都は、人も馬車も動き、魔導通信塔の光も忙しなく点滅している。だけど私の耳には、妙に遠くに感じられる。

 たぶん、意識がすでに北方国境へ飛んでいるからだ。


「……さて、と」


 机の上に並べた荷物の最終確認をしながら、私はメモを指でなぞった。

 予備の魔力結晶、結界柱の簡易模型、ノエル仕様の携帯計測器、前線用ローブ。必要なものは、ひと通り揃っている。


 そこまで考えたところで、扉が控えめにノックされた。


「アリア様。貴族院からの使いの方がお見えです」


 扉の向こうから聞こえたのは、メイド長マリアナの落ち着いた声だ。


 貴族院。


 その単語を聞いた瞬間、胸の中で嫌な予感がぴくりと顔を出した。


「分かりました。すぐ行きます、とお伝えください」

「承知しました。応接室の番号は……あちらの封書に」


 扉を開けると、マリアナが銀の盆に封蝋付きの書状を載せて待っていた。

 深い緑色の蝋には、ガルディア貴族院を象徴する紋章。逃げ場がない種類の招待状だ。


 私は封を切り、短い文面を目で追った。


『国境結界プロジェクト主任アリア・レイン殿

 前線出立前に、貴族院にて確認会を行いたく、出席を求む』


 確認会。

 理由欄には「国境防衛に関する所信を確認するため」とある。


 要するに。


「……外様の本音を、聞きたいということですね」


 思わず独り言が漏れた。


 アストリア出身の魔導師が、ガルディア国境の結界を任される。

 合理的に見れば、最高の人材配置。

 感情的に見れば、警戒されて当然の立場。


 それを正面からぶつけてくるあたり、ある意味で分かりやすい。


「マリアナさん」

「はい?」

「少し、硬めの服をお願いできますか。前線用ローブだと、さすがに場違いなので」


 冗談めかして言うと、マリアナは小さく笑った。


「かしこまりました。アリア様は、どんな場でも堂々としていらっしゃいますから、大丈夫です」

「堂々と見えるかどうかは、服の力にもかかっていますから」


 そう軽口を返しつつも、胸の奥では、静かに魔力が巡り始めていた。

 緊張すると、どうしても結界の構造を組み立てて落ち着こうとする癖がある。


 今日必要なのは、防御結界ではなく、言葉の盾と矛だ。

 それでも、魔力の流れを整えると、少しだけ頭の中も整理される気がする。



 ガルディア王城の貴族院棟は、王の執務翼よりも、少しだけ重たい空気をまとっていた。


 高い天井に、先祖の肖像画。壁一面に並ぶ書架は、法令集や土地台帳や、古い議事録で埋め尽くされている。

 磨き上げられた床に映る自分の姿が、いつもよりよそよそしく見えた。


 案内役の書記官に導かれ、私は奥の応接室の扉の前に立つ。


「こちらでございます、アリア・レイン様」


 書記官が頭を下げ、扉を開いた。


 中には、すでに十数人の貴族たちが席についていた。

 年配の伯爵、壮年の侯爵、若い子爵。全員が、それぞれの家紋を刺繍した衣服を身にまとい、視線だけで圧をかけてくる。


 私一人で、この空間の空気を変えられるとは思っていない。

 だからこそ、最初の一歩だけは、自分のペースで踏み出したい。


「アリア・レインと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 深く一礼し、顔を上げる。


 中央席に座る男が、軽く頷いた。白髪交じりの整った髭を持つ、いかにも「議長」といった風格の人物だ。


「遠いところご足労をかけた、レイン嬢。私は貴族院議長、エルンスト・バルツ公爵だ」

「お目にかかれて光栄です、バルツ公爵閣下」


 形式的な挨拶が一通り済むと、黒いローブを着た書記官が机の端に立ち、羊皮紙を広げた。


「これより、国境結界プロジェクト主任アリア・レイン殿に対する確認会を開始する」


 淡々とした宣言の直後、部屋の空気が一段階、重く沈んだ気がした。



「まずは礼を述べよう」


 バルツ公爵が、手元の資料を軽く持ち上げる。


「北方国境の結界網再編。その理論と設計において、そなたがこれまで示した働きは、我が国にとって大きな価値を持つ」

「恐れ入ります」


 素直に頭を下げる。

 褒め言葉のあとに、必ず本題が来ることは分かっているからだ。


「だが同時に、そなたがアストリア出身であることも事実だ」


 やはり、という言葉を飲み込む。


「そなたは、もとはアストリア王太子の婚約者であり、あの国の大結界の一端を担っていたと聞く」

「はい。事実です」


 ここで曖昧な笑みでごまかしても、逆効果だ。

 私は、あえて目線を逸らさずに答えた。


「そのようなそなたが、今や我がガルディアの国境防衛の要となっている。これはこの国にとって幸運であると同時に、一部には不安でもある」

「不安、ですか」


 問い返すと、別の男が口を開いた。肩章の刺繍からすると、北方領に領地を持つ伯爵だ。


「率直に言えば、裏切りの可能性だ」


 室内の温度が、さらに数度下がったような気がした。


「祖国を捨て、かつての主君を捨て、こちらに与した者が、いつ我らをも捨てるか分からぬ、という声がある」

「……なるほど」


 嫌な言い方ではあるけれど、理解できないわけではない。


 アストリアでも「自分たちを捨ててガルディアへ逃げた裏切り者」と言われているだろう。


 両方から疑われる位置に、自分で飛び込んだのだ。

 今さら被害者ぶるつもりはない。


「そこで問いたい」


 バルツ公爵の視線が、まっすぐこちらに向けられる。


「そなたは今、どの国のために動いているのだ」


 部屋の空気が、ぴたりと止まった。


 それは、きっと誰もが聞きたかった問いだ。

 そして、おそらく、私自身も何度も自分に投げかけてきた問いでもある。


 だから、答えはもう、とっくに形になっていた。


「……国、という単位で言えば」


 私は、一度だけ息を整えてから、口を開いた。


「今の私は、ガルディア王国の技術者です。この国の国境を守るプロジェクトの責任者として、ガルディアのために動いています」


 それは事実だ。

 けれど、それだけでは足りない。


「ただ」


 言葉を区切り、胸の奥にある本音を、少しだけ表に出す。


「私は、政治家ではありません。王でも貴族でもなく、魔導師であり、研究者です」


 数人の眉が、わずかに動いた。


「だから私は、国という枠だけでは動きません」


 視線が、鋭さを増す。


 逃げずに、その真ん中を見上げる。


「私が動くのは、私の守りたい人たちと、続けたい研究のためです。その2つのために必要な範囲で、ガルディアのために働きます」


「守りたい人、か」


 誰かが、ぽつりと呟いた。


 セイジュ、研究塔のみんな、グラナの人たち。

 まだ名前も知らない、国境の向こう側の村人たち。


 彼らの顔が、脳裏に浮かぶ。


「では、元の祖国への未練はないと?」


 別の貴族が、静かな声で問う。


 アストリア。


 生まれ育った土地。長い時間を捧げた大結界。家族。

 そして、私を捨てた王太子。


 未練が、まったくないかと聞かれれば、それは嘘になる。


「……ゼロでは、ありません」


 私は正直に答えた。


「家族は、今もあの国で暮らしていますし、生まれ育った街並みを思い出せば、懐かしさもあります」


 数人が、やや厳しめの視線を向けてくる。


 でも、そこで終わらせるわけにはいかない。


「けれど、それはあくまで個人の感情です」


 胸元で、指を軽く握りしめる。


「私は、あの国にいたとき、自分の意思で動くことを許されませんでした。大結界の一部として、都合のいい道具でいることを求められました」


 玉座の間の冷たい石畳、レオンの言葉、王の視線。

 いくつもの記憶が、胸の奥で小さな傷のように疼く。


「今の私は、この国で、自分の意思で研究を選び、守りたいものを選べています。それが、私にとっての『今』です」


 私の声が、応接室の壁に静かに響いた。


「もし数年後、アストリアが自分たちで選んだ結果を受け止める覚悟を持ち、真剣に助力を求めてきたなら。そのとき、私がどう動くかは、そのときの私が決めます」


 そこまで言ってから、ゆっくりと頭を下げた。


「少なくとも今は、ガルディアの国境を守ることが、私の責任です」


 沈黙が、数秒ほど続いた。


 やがて、バルツ公爵が深く息を吐く。


「……ずいぶんとはっきり言う」


 皮肉ではなく、少しだけ感心したような声音だった。


「もっと当たり障りのない答えを返してくるかと思ったが」

「器用な嘘をつくのは、得意ではありませんので」


 正直に返すと、数人がわずかに口元を緩めたのが見えた。


「では、最後に1つだけ」


 公爵が椅子から身を乗り出す。


「そなたが守りたい『人』の中に、我が国王アレクシスと、この国に住まう民は含まれているか」

「もちろんです」


 それは、迷うまでもない。


「この国の王が、自分の意思で私を迎え入れ、技術者として尊重してくださっています。この国の人々が、私の結界の中で暮らしています」


 いくつもの光景が、浮かんでは消える。


「だから私は、その責任を果たします」


 その言葉に、部屋の空気が少しだけ緩んだ気がした。



 確認会が終わったころには、窓の外の太陽が少し傾きかけていた。


 扉の前で一礼し、廊下へ出る。

 足音が遠ざかるのを待っていたかのように、背後の部屋の中から、ひそひそとした声が漏れ聞こえてきた。


「……思ったより、しっかりした娘だな」

「だからこそ危険なのだ。あれほどの頭脳と魔力を持つ外様が、もし心変わりをしたら」

「心変わりをするなら、とっくにしているだろう。王太子の婚約破棄でこちらに流れ着いた時点で、十分な機会はあった」


 好意とも、警戒ともつかない評価が、入り混じっている。


 私は足を止めず、そのまま廊下を進んだ。

 聞き耳を立てたところで、結論が変わるわけではない。


 曲がり角を曲がったところで、ふっと肩の力を抜く。


「……権力争いに巻き込まれたくないと言ったはずなんですけど」


 誰もいない廊下に、ぼそりと愚痴が漏れた。


 貴族院。

 名門貴族派。

 王とセイジュが推す実力主義派。


 さっきの視線や質問の仕方から、いくつかの線が頭の中でつながっていく。

 私のことを、便利な旗印として扱いたい人たちと、単に不安だから確かめに来た人たちと、どちらでもない人たち。


「巻き込まれたくないのに、勝手に巻き込まれていくんですよね、こういうのって」


 ため息をひとつ。


 それでも、さっきの自分の答えに嘘はない。


 私は政治家ではなく、技術者だ。

 誰かの派閥の先頭に立つつもりはないし、そういう器用さも持ち合わせていない。


 でも。


「利用されるだけよりは、利用し返したほうが、まだマシですし」


 ぽつりと呟いて、苦笑する。


 貴族院が私を「実力主義派の象徴」として持ち上げるなら、その勢いを研究塔の予算や、国境防衛の現場改善に流し込めばいい。

 警戒する貴族たちがいるなら、その警戒心を、アストリアに対する備えの強化に変えればいい。


 結界の魔力の流路を組み替えるのと同じだ。

 流れてくる感情や政治の力を、そのままぶつけ合うのではなく、別の出口へと導いてやればいい。


 そのために必要なのは、感情に振り回されないこと。

 そして、守りたいものを見誤らないこと。


「……よし」


 小さく頷いてから、私は塔へと続く転移陣の方角に歩き出した。


 前線出発まで、あと少し。


 政治の火花が飛び交うこの王都の上にも、国境の向こうから忍び寄る瘴気の気配が、確実に近づいている。


 ならば私は、私の立場を、私のやり方で使うだけだ。


 守りたい人と、続けたい研究のために。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

国境前線へ向かう前の、アリアの決意と貴族院との駆け引き、少しでも胸に響いたなら嬉しいです。

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