第40話 外様魔導師への視線
出発前日の朝は、いつもより静かだった。
研究塔の窓から見下ろす王都は、人も馬車も動き、魔導通信塔の光も忙しなく点滅している。だけど私の耳には、妙に遠くに感じられる。
たぶん、意識がすでに北方国境へ飛んでいるからだ。
「……さて、と」
机の上に並べた荷物の最終確認をしながら、私はメモを指でなぞった。
予備の魔力結晶、結界柱の簡易模型、ノエル仕様の携帯計測器、前線用ローブ。必要なものは、ひと通り揃っている。
そこまで考えたところで、扉が控えめにノックされた。
「アリア様。貴族院からの使いの方がお見えです」
扉の向こうから聞こえたのは、メイド長マリアナの落ち着いた声だ。
貴族院。
その単語を聞いた瞬間、胸の中で嫌な予感がぴくりと顔を出した。
「分かりました。すぐ行きます、とお伝えください」
「承知しました。応接室の番号は……あちらの封書に」
扉を開けると、マリアナが銀の盆に封蝋付きの書状を載せて待っていた。
深い緑色の蝋には、ガルディア貴族院を象徴する紋章。逃げ場がない種類の招待状だ。
私は封を切り、短い文面を目で追った。
『国境結界プロジェクト主任アリア・レイン殿
前線出立前に、貴族院にて確認会を行いたく、出席を求む』
確認会。
理由欄には「国境防衛に関する所信を確認するため」とある。
要するに。
「……外様の本音を、聞きたいということですね」
思わず独り言が漏れた。
アストリア出身の魔導師が、ガルディア国境の結界を任される。
合理的に見れば、最高の人材配置。
感情的に見れば、警戒されて当然の立場。
それを正面からぶつけてくるあたり、ある意味で分かりやすい。
「マリアナさん」
「はい?」
「少し、硬めの服をお願いできますか。前線用ローブだと、さすがに場違いなので」
冗談めかして言うと、マリアナは小さく笑った。
「かしこまりました。アリア様は、どんな場でも堂々としていらっしゃいますから、大丈夫です」
「堂々と見えるかどうかは、服の力にもかかっていますから」
そう軽口を返しつつも、胸の奥では、静かに魔力が巡り始めていた。
緊張すると、どうしても結界の構造を組み立てて落ち着こうとする癖がある。
今日必要なのは、防御結界ではなく、言葉の盾と矛だ。
それでも、魔力の流れを整えると、少しだけ頭の中も整理される気がする。
◇
ガルディア王城の貴族院棟は、王の執務翼よりも、少しだけ重たい空気をまとっていた。
高い天井に、先祖の肖像画。壁一面に並ぶ書架は、法令集や土地台帳や、古い議事録で埋め尽くされている。
磨き上げられた床に映る自分の姿が、いつもよりよそよそしく見えた。
案内役の書記官に導かれ、私は奥の応接室の扉の前に立つ。
「こちらでございます、アリア・レイン様」
書記官が頭を下げ、扉を開いた。
中には、すでに十数人の貴族たちが席についていた。
年配の伯爵、壮年の侯爵、若い子爵。全員が、それぞれの家紋を刺繍した衣服を身にまとい、視線だけで圧をかけてくる。
私一人で、この空間の空気を変えられるとは思っていない。
だからこそ、最初の一歩だけは、自分のペースで踏み出したい。
「アリア・レインと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
深く一礼し、顔を上げる。
中央席に座る男が、軽く頷いた。白髪交じりの整った髭を持つ、いかにも「議長」といった風格の人物だ。
「遠いところご足労をかけた、レイン嬢。私は貴族院議長、エルンスト・バルツ公爵だ」
「お目にかかれて光栄です、バルツ公爵閣下」
形式的な挨拶が一通り済むと、黒いローブを着た書記官が机の端に立ち、羊皮紙を広げた。
「これより、国境結界プロジェクト主任アリア・レイン殿に対する確認会を開始する」
淡々とした宣言の直後、部屋の空気が一段階、重く沈んだ気がした。
◇
「まずは礼を述べよう」
バルツ公爵が、手元の資料を軽く持ち上げる。
「北方国境の結界網再編。その理論と設計において、そなたがこれまで示した働きは、我が国にとって大きな価値を持つ」
「恐れ入ります」
素直に頭を下げる。
褒め言葉のあとに、必ず本題が来ることは分かっているからだ。
「だが同時に、そなたがアストリア出身であることも事実だ」
やはり、という言葉を飲み込む。
「そなたは、もとはアストリア王太子の婚約者であり、あの国の大結界の一端を担っていたと聞く」
「はい。事実です」
ここで曖昧な笑みでごまかしても、逆効果だ。
私は、あえて目線を逸らさずに答えた。
「そのようなそなたが、今や我がガルディアの国境防衛の要となっている。これはこの国にとって幸運であると同時に、一部には不安でもある」
「不安、ですか」
問い返すと、別の男が口を開いた。肩章の刺繍からすると、北方領に領地を持つ伯爵だ。
「率直に言えば、裏切りの可能性だ」
室内の温度が、さらに数度下がったような気がした。
「祖国を捨て、かつての主君を捨て、こちらに与した者が、いつ我らをも捨てるか分からぬ、という声がある」
「……なるほど」
嫌な言い方ではあるけれど、理解できないわけではない。
アストリアでも「自分たちを捨ててガルディアへ逃げた裏切り者」と言われているだろう。
両方から疑われる位置に、自分で飛び込んだのだ。
今さら被害者ぶるつもりはない。
「そこで問いたい」
バルツ公爵の視線が、まっすぐこちらに向けられる。
「そなたは今、どの国のために動いているのだ」
部屋の空気が、ぴたりと止まった。
それは、きっと誰もが聞きたかった問いだ。
そして、おそらく、私自身も何度も自分に投げかけてきた問いでもある。
だから、答えはもう、とっくに形になっていた。
「……国、という単位で言えば」
私は、一度だけ息を整えてから、口を開いた。
「今の私は、ガルディア王国の技術者です。この国の国境を守るプロジェクトの責任者として、ガルディアのために動いています」
それは事実だ。
けれど、それだけでは足りない。
「ただ」
言葉を区切り、胸の奥にある本音を、少しだけ表に出す。
「私は、政治家ではありません。王でも貴族でもなく、魔導師であり、研究者です」
数人の眉が、わずかに動いた。
「だから私は、国という枠だけでは動きません」
視線が、鋭さを増す。
逃げずに、その真ん中を見上げる。
「私が動くのは、私の守りたい人たちと、続けたい研究のためです。その2つのために必要な範囲で、ガルディアのために働きます」
「守りたい人、か」
誰かが、ぽつりと呟いた。
セイジュ、研究塔のみんな、グラナの人たち。
まだ名前も知らない、国境の向こう側の村人たち。
彼らの顔が、脳裏に浮かぶ。
「では、元の祖国への未練はないと?」
別の貴族が、静かな声で問う。
アストリア。
生まれ育った土地。長い時間を捧げた大結界。家族。
そして、私を捨てた王太子。
未練が、まったくないかと聞かれれば、それは嘘になる。
「……ゼロでは、ありません」
私は正直に答えた。
「家族は、今もあの国で暮らしていますし、生まれ育った街並みを思い出せば、懐かしさもあります」
数人が、やや厳しめの視線を向けてくる。
でも、そこで終わらせるわけにはいかない。
「けれど、それはあくまで個人の感情です」
胸元で、指を軽く握りしめる。
「私は、あの国にいたとき、自分の意思で動くことを許されませんでした。大結界の一部として、都合のいい道具でいることを求められました」
玉座の間の冷たい石畳、レオンの言葉、王の視線。
いくつもの記憶が、胸の奥で小さな傷のように疼く。
「今の私は、この国で、自分の意思で研究を選び、守りたいものを選べています。それが、私にとっての『今』です」
私の声が、応接室の壁に静かに響いた。
「もし数年後、アストリアが自分たちで選んだ結果を受け止める覚悟を持ち、真剣に助力を求めてきたなら。そのとき、私がどう動くかは、そのときの私が決めます」
そこまで言ってから、ゆっくりと頭を下げた。
「少なくとも今は、ガルディアの国境を守ることが、私の責任です」
沈黙が、数秒ほど続いた。
やがて、バルツ公爵が深く息を吐く。
「……ずいぶんとはっきり言う」
皮肉ではなく、少しだけ感心したような声音だった。
「もっと当たり障りのない答えを返してくるかと思ったが」
「器用な嘘をつくのは、得意ではありませんので」
正直に返すと、数人がわずかに口元を緩めたのが見えた。
「では、最後に1つだけ」
公爵が椅子から身を乗り出す。
「そなたが守りたい『人』の中に、我が国王アレクシスと、この国に住まう民は含まれているか」
「もちろんです」
それは、迷うまでもない。
「この国の王が、自分の意思で私を迎え入れ、技術者として尊重してくださっています。この国の人々が、私の結界の中で暮らしています」
いくつもの光景が、浮かんでは消える。
「だから私は、その責任を果たします」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ緩んだ気がした。
◇
確認会が終わったころには、窓の外の太陽が少し傾きかけていた。
扉の前で一礼し、廊下へ出る。
足音が遠ざかるのを待っていたかのように、背後の部屋の中から、ひそひそとした声が漏れ聞こえてきた。
「……思ったより、しっかりした娘だな」
「だからこそ危険なのだ。あれほどの頭脳と魔力を持つ外様が、もし心変わりをしたら」
「心変わりをするなら、とっくにしているだろう。王太子の婚約破棄でこちらに流れ着いた時点で、十分な機会はあった」
好意とも、警戒ともつかない評価が、入り混じっている。
私は足を止めず、そのまま廊下を進んだ。
聞き耳を立てたところで、結論が変わるわけではない。
曲がり角を曲がったところで、ふっと肩の力を抜く。
「……権力争いに巻き込まれたくないと言ったはずなんですけど」
誰もいない廊下に、ぼそりと愚痴が漏れた。
貴族院。
名門貴族派。
王とセイジュが推す実力主義派。
さっきの視線や質問の仕方から、いくつかの線が頭の中でつながっていく。
私のことを、便利な旗印として扱いたい人たちと、単に不安だから確かめに来た人たちと、どちらでもない人たち。
「巻き込まれたくないのに、勝手に巻き込まれていくんですよね、こういうのって」
ため息をひとつ。
それでも、さっきの自分の答えに嘘はない。
私は政治家ではなく、技術者だ。
誰かの派閥の先頭に立つつもりはないし、そういう器用さも持ち合わせていない。
でも。
「利用されるだけよりは、利用し返したほうが、まだマシですし」
ぽつりと呟いて、苦笑する。
貴族院が私を「実力主義派の象徴」として持ち上げるなら、その勢いを研究塔の予算や、国境防衛の現場改善に流し込めばいい。
警戒する貴族たちがいるなら、その警戒心を、アストリアに対する備えの強化に変えればいい。
結界の魔力の流路を組み替えるのと同じだ。
流れてくる感情や政治の力を、そのままぶつけ合うのではなく、別の出口へと導いてやればいい。
そのために必要なのは、感情に振り回されないこと。
そして、守りたいものを見誤らないこと。
「……よし」
小さく頷いてから、私は塔へと続く転移陣の方角に歩き出した。
前線出発まで、あと少し。
政治の火花が飛び交うこの王都の上にも、国境の向こうから忍び寄る瘴気の気配が、確実に近づいている。
ならば私は、私の立場を、私のやり方で使うだけだ。
守りたい人と、続けたい研究のために。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
国境前線へ向かう前の、アリアの決意と貴族院との駆け引き、少しでも胸に響いたなら嬉しいです。
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