第36話 魔導具班の天才少年
訓練場を出て塔へ戻る螺旋階段を上りながら、私はそっと肩を回した。
「……筋肉が、抗議してますね……」
大結界の維持には慣れていても、全身を使う圧縮訓練はまだ初心者だ。魔力には余裕があるのに、足と腕が同時に文句を言っている。
「アリア主任!」
上の階から、弾む声が落ちてきた。
顔を上げると、白衣の裾をばたばたさせながら、小柄な少年が手すりから身を乗り出している。
「ノエルさん?」
「ちょうどよかった! 訓練終わりました? 終わりましたよね!」
「質問はひとつにまとめましょう」
「終わりましたね! なら、魔導具班の作業場、今から見学いかがですか!」
畳みかける勢いに、思わず苦笑が漏れる。
「今から、ですか?」
「はい! 団長からも許可出てます! 『国境結界プロジェクト用に計測器をいじるなら、アリアに相談しておけ』って!」
セイジュ様、そんなところまで段取り済みなのですね。仕事が早い。
「……分かりました。お邪魔してもいいですか」
「もちろんです! ではこちらへ! 師匠!」
「だから師匠はやめてください」
きっぱり否定すると、ノエルは「あ、ですよね!」と頭を下げた。
「じゃあアリア主任で!」
「それも少しくすぐったいですが……師匠よりはましですね」
そんなやり取りをしながら、私は彼の後ろについて研究フロアの一角へ向かった。
◆
分厚い扉をくぐった瞬間、金属と油と魔力の匂いが一度に押し寄せてきた。
「……賑やかですね」
部屋の中央には大きな作業台。分解途中の魔導具、導線、光る魔石。壁一面の棚には、用途不明の部品がぎっしり詰め込まれている。
乱雑に見えるけれど、同じ系統ごとに箱が分けられ、工具は手の届く範囲にきちんと並んでいた。
「片付いてないのは、今ちょうど案件が多いからで……常時こんな感じです!」
「つまり、いつも通りということですね」
王宮の飾り用魔導具ばかり並んだ展示室とは、空気からして違う。ここは完全に、現場の匂いだ。
「こちらが、例の結界計測器です!」
ノエルが、作業台の端の金属箱をぽんと叩く。
蓋には半透明の水晶板。その下に、細かい魔術式が刻まれている。
「郊外の村で使っていたものと同じ型ですね」
「そうですそうです! あれの改良版です。今は、国境結界プロジェクト用に、もっと細かい揺らぎまで拾えるようにしていて」
ノエルが水晶板に魔力を流し込む。板の上に、光の線がふわりと浮かんだ。
「今の仕様だと、強度と揺らぎの幅くらいなら分かるんですけど……」
なめらかな山と谷が続く、単純な波形。
「主任の報告書を読んだら、これじゃ全然足りないなと思いまして!」
「足りない、ですか?」
「はい! 大結界の『嫌な揺れ方』とか、『誰かが余計なことをした痕跡』とか……表現が具体的で、読んでるだけで鳥肌立ちました! その感覚、数値にしたいんです!」
そこで熱くなられても、少し反応に困る。
「……あれは主観ですから。私の癖みたいなものですよ」
「その癖こそ宝です!」
ノエルはきらきらした目で身を乗り出してきた。
「主任の『なんとなく嫌だ』が図になったら、主任が現場にいなくても、誰でも同じ危険を検知できます! だから、少しだけ、お時間いただけませんか!」
そこまで言われてしまうと、断る理由はない。
「では、できる範囲で」
「やった!」
◆
「まず、主任の言う『嫌な揺れ方』って、どういうときに出ます?」
ノエルはペンを構え、完全に聞き取りモードになっている。
私は簡易ホワイトボードのような板に手をかざし、魔力を流した。
「たとえば――」
光の線が、板の上に波を描いて走る。
「地脈が素直で、結界柱も健康なときは、このくらいなめらかな波です」
「はい」
「誰かが外側から強引に魔力を流し込んだり、内部で不正な術式が動いているときは、ここに鋭い突起が出ます」
私は波形の途中に、針のようなノイズを描き足した。
「それから、地脈そのものが疲れているときは、全体の振幅が小さくなって、代わりに細かい震えが増えます」
「おお……」
紙の上で、ノエルのペンが忙しく動く。
「今の計測器だと、その細かい震えも鋭い突起も、まとめて『揺らぎ』扱いなんですよね。だから危険の種類が分かりづらい」
「でしたら、周波数ごとに分けてみてはどうでしょう」
「周波数?」
「こういう大きな揺れは長い周期、小さな震えは短い周期。致命的なのは、どちらかといえば細かいほうです。外からの攻撃は目に見えやすいので、対応もしやすいですから」
「なるほど!」
ノエルの表情がぱっと明るくなる。
「じゃあ、この式のここにフィルタ挟んで……高い周波数だけ別レーンに……」
ぶつぶつ呟きながら、彼は計測器の側面の蓋を外し、中の魔術盤を引き出した。
幾重にも重なったルーンと金属線。その中の一部を指さす。
「主任、この揺らぎ数値を全部合計してる部分、書き換えてもいいですか?」
「いいですが、閾値を固定するのはやめたほうがいいですね」
「え?」
「結界ごとに、いちばん安定したときの波形を、この計測器に覚えさせておくんです。その標準状態との差だけを見るようにすれば、小さな変化も拾えます」
「それ、すごく効率的です!」
「毎回基準を計算し直すのが面倒なだけです」
思わず本音が漏れると、ノエルは声を上げて笑った。
「さすが主任、発想が実務的……! やっぱり師匠――いえ、主任!」
「今、危うく戻りかけましたね」
「危なかったです!」
軽口を交わしている間にも、ノエルの手は止まらない。
魔術盤に新しい符号が書き加えられ、線が組み替えられていく。
「よし……試運転しましょう!」
◆
作業場の隅には、机に乗るサイズの小さな結界柱と、簡易結界の模型が置かれていた。
「これ、ぼくが作った縮小モデルです。主任の理論、すごく再現性が高いので、かなり本物に近い挙動を出せるんですよ」
「それは頼もしいですね」
「ではまず、標準状態の記録からお願いします!」
私は結界模型に手をかざし、できる限りなめらかな状態を作る。
塔の魔力炉からの安定した流れを通し、膜が一定のリズムで呼吸するよう意識を集中させた。
「今です!」
ノエルが計測器に魔力を流す。
水晶板に柔らかな曲線が描かれ、その下に小さく文字が浮かんだ。
「基準保存……成功です!」
「では、少しだけ嫌な揺れを加えてみます」
私は意図的に魔力のバランスを崩し、結界の端にごく小さな歪みを作った。
「うわ、波形がざわつきました!」
水晶板の線が細かく震え、その横でノエルが別の操作をする。
波形が3本に分かれて表示された。
「下が全体の強度、真ん中が長い周期の揺れ、一番上が高周波成分です!」
「ちゃんと違いが見えますね」
最上段の線は、私が揺らぎを加えたタイミングとぴたり一致していた。
「主任の感覚、数値化できました!」
ノエルが子どものように両手を上げる。
「しかも、時間ごとに波形を記録するログ機能付きです! あとから原因を追いかけるのに使えます!」
「それはありがたいですね」
今までは、その場で感じた違和感を、私自身の言葉で残すしかなかった。
これなら、私の知らない場所の結界でも、ある程度の状態を共有できる。
「ありがとうございます、ノエルさん」
「いえいえ! 主任の頭の中をちょっとだけ覗かせてもらっただけです!」
「言い方に注意しましょう」
苦笑していると、作業場の扉がこんこん、とノックされた。
◆
「入るぞ」
低い声とともに扉が開き、黒いローブの長身が姿を見せた。
「団長、お疲れさまです!」
ノエルが慌てて立ち上がる。
私は作業台から一歩下がり、軽く頭を下げた。
「ここにいたか、アリア」
「はい。ノエルさんの計測器を、少しだけ改良していました」
「少しだけ、の密度がすごかったです! 主任の感覚、ちゃんと数字になりましたよ!」
ノエルが、水晶板を掲げてみせる。
さきほどの3本の波形が、そのまま残っていた。
「基準波形とずれを分離したか」
「はい! 標準状態を記録しておいて、そこからの差分だけを強調する形にしました!」
「よくやった」
短い一言に、ノエルの肩がぴょこんと跳ねる。
「ありがとうございます!」
セイジュ様は波形をしばらく眺め、それから、私とノエルのあいだに視線を滑らせた。
「団長?」
「なんだ」
「いえ、その……少し、鋭い視線を感じたような」
「睨んでいない」
即答だった。食い気味と言っていい速度で。
「ですよね! 団長が主任を睨むわけないですよね!」
ノエルが慌ててフォローしつつ、計測器に魔力を流し込む。
「……何をしている」
「団長の魔力波形、さっきと比べて尖りが増えているなと」
「ノエルさん」
「いえいえ、悪い意味じゃなくて! ええと、『外部刺激に対する感度が高い状態』とでも申しますか!」
言い換えた結果、余計に妙な表現になっている。 ……もしかしなくても、嫉妬ではないだろうか。
「魔力的には完全に主任――」
「ノエルさん」
私はもう一度名前を呼んで、そこで止めてもらった。
少年は口元を押さえ、「すみません」と小声で謝る。
セイジュ様は小さく咳払いをして、話題を切り替えた。
「改良型の計測器、ひとまず1台はこちらで預かる。今夜、最上階の実験室で試したい」
「今夜、ですか?」
「国境結界のシミュレーションを走らせる。新しい圧縮術式との相性も確認したい」
「分かりました。準備しておきます」
最上階の実験室。塔の心臓部に近い、あの静かな空間で、改良した計測器がどんな波形を描くのか。
想像しただけで、胸の奥が少し高鳴った。
「ふふ……」
隣で、ノエルが妙に含みのある笑い方をしている。
「ノエルさん?」
「いえ。団長と主任が、最上階で二人きりで実験……いえ、本当に何でもないです!」
「何でもないなら、途中で止めて正解です」
「はい!」
敬礼のような仕草をして、ノエルは計測器をセイジュ様に手渡した。
「安全装置は万全ですので、ご安心ください。面白……じゃなくて重要なデータが取れたら、ぜひ共有を!」
「ああ」
セイジュ様は片手で計測器を受け取り、ちらりと私を見る。
「体力は残っているか」
「筋肉からは若干の苦情がきていますが、魔力は大丈夫です」
「なら問題ない。日が沈んだ頃に迎えに行く」
「……はい」
胸のどこかが、くすぐったく跳ねた。
団長が部屋を出ていき、扉が閉まる。
静けさの戻った作業場で、ノエルがぽつりと呟いた。
「いいなあ、主任」
「何がですか」
「主任の周りって、いつも大きな魔力の流れが集まってくるじゃないですか。大結界だったり、国境結界だったり、団長だったり」
「最後のひとつだけ、分類が雑です」
「魔力量的には全部同じくらい桁外れなので!」
ノエルは笑い、それから少し真面目な顔になった。
「でも、その真ん中にいながら、ちゃんとぼくらみたいな端っこの人間にも声をかけてくれるの、すごいことだと思うんです」
「端っこというほど離れているとは思いませんが」
「主任がこうして研究室に来てくれなかったら、この計測器、きっとここまで進化してませんから」
その言葉に、肩の力が少し抜けた。
「私も、ノエルさんみたいな人がいて助かっていますよ」
「本当ですか!」
「はい。私ひとりでは思いつかない形で、結界を支えてくれる人がいるのは、とても心強いですから」
そう口にすると、ノエルは照れくさそうに笑う。
「じゃあ、これからも全力でサポートさせていただきます、主任!」
「頼りにしています」
魔導具班の作業場を後にするとき、来たときより足取りが軽くなっているのに気づいた。
圧縮訓練で悲鳴を上げていた筋肉は、まだ小さく抗議を続けている。
けれど、その上から被さるように、「一緒にやってくれる人がいる」という実感が、じんわりと体の芯まで染み込んでいく。
――今夜の実験も、きっと忙しくなる。
そう思うと、少しだけ胸が高鳴った。
結界と魔導具と、新しい仲間たち。
この塔での生活は、まだ始まったばかりだ。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ノエルの計測器改良で、いよいよ国境結界編の準備が整ってきました。
次回は最上階での夜の実験回、アリアとセイジュの距離も少しずつ…?
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