第35話 ガルディア式結界術の洗礼
「先生」と呼ばれた翌日。
私は、同じ訓練室のど真ん中に立たされていた。今度は教壇ではなく、床一面に刻まれた実技用の魔方陣の中心だ。
「……昨日と立場が逆ですね」
壁際には黒い制服の団員たち。リカルド副団長、治癒担当のリゼットさん、ノエルは分厚いノートを抱え、カイルは魔術盤を操作している。
一番奥には、昨日と同じく黒髪の団長様――セイジュ様。
「昨日はよく喋ったな、アリア」
「はい。人生で一番喋った日かもしれません」
「なら今日は、魔力に喋らせろ」
物騒な言い回しに、思わず苦笑が漏れる。
◇
「今日はガルディア式の基礎だ」
セイジュ様が魔方陣の外へ下がり、私の足元の紋様だけが淡く光る。
「アストリア式は詠唱しながら術式を積み上げ、魔力を流し続ける形だな」
「はい。長い詠唱で安定供給しつつ、結界や術式を編んでいくやり方です」
「ガルディア式は逆だ」
彼は指を鳴らし、掌の上に光を灯した。
「先に魔力をまとめて圧縮する。詠唱は『圧縮した魔力をどう解放するか』の指示に過ぎない」
光はぎゅっと縮み、拳大の濃い光球になる。そのまま肩越しに投げられ、訓練用木人の前で止まり、小さく弾けた。表面だけが丸く焦げる。
「圧縮して必要な分だけ解放する。無駄が少ない分、威力も制御もしやすい」
リカルドが口笛を鳴らした。
「何度見ても、団長の基礎はえげつねえな」
「今からやってもらうのは初級版だ。親指の先ほどの光球を作る。詠唱は短くていい。問題は圧縮の感覚を身体で覚えることだ」
「……親指の先ほどですね」
「そうだ。おまえの魔力量なら、ほんのひとかけらで十分だ」
その「ひとかけら」が一番難しい。
大結界に魔力を流し続けていた身体は、どうしても全力に寄ってしまう。
「分かりました。やってみます」
深呼吸して両手を前に出す。
「……私の魔力よ、小さく集まり、留まれ」
掌の間に淡い光が灯る。それを内側に押し込んでいく。大結界に流す代わりに、掌の中へ。
留める。留める。さらに――。
「アリア」
「はい」
「そこで止めろ」
「え、でもまだ少し薄いような……」
「薄いくらいでいい。おまえの『少し』は信用ならない」
止めようとした瞬間、光がぴきっと軋んだ。
次の瞬間、ぱんっと乾いた破裂音。眩い光が弾け、足元の陣が真っ白に染まる。
「きゃっ」
衝撃は強いが、熱はほとんどない。訓練室の空気がぴんと張り詰める。
「……す、すみません」
頭を下げると、リゼットさんが駆け寄ってきた。
「どこか焦げてない? 髪の先、ちょっと跳ねたくらいね」
「床の魔方陣も無事。被害は木人一体の表面焼きだけだ」
リカルドが確認を終え、親指を立てる。私はそっとセイジュ様を見た。銀色の瞳と目が合う。
「つい、いつもの感覚で」
「見れば分かる」
彼は小さく息を吐き、訓練室を見渡した。
「塔は多少の爆発には慣れている」
「ほらな、団長が一番爆発させてきたからな」
「昔は壁に穴が空くたび補修予算の会議だったわね」
周囲のぼやきに笑いが起きる。
「でもでも! さっきの圧縮、暴発したのはともかく密度はかなり綺麗でしたよ!」
ノエルの勢いに、思わず苦笑いがこぼれた。
◇
「もう一度だ。さっきの四分の一でいい」
「かなり減りましたね」
「さっきのを基準にすると、そのくらいが『ちょうどいい』」
彼は私の背後に回り込む。
「圧縮するとき、腕に力を入れすぎている。肩の力を抜け」
肩に軽く触れられ、心臓が跳ねる。
「力を入れるのは掌だけだ。腕や肩まで固めると、魔力の流れも固くなる」
「……はい。肩の力、抜きます」
私は肩を上下させてから、再び掌を合わせた。
「魔力は胸から腕へ流す感覚だ。大河から水路に分岐させ、小さな水瓶にそっと注ぐ。おまえはすぐ洪水にするからな」
「自覚はあります」
今度は意識して少なめをイメージする。大結界へ向けていた大河から、一滴だけ掬い取る。
「……私の魔力よ、ひとかけらだけ集まり、小さく留まれ」
小さな光が灯る。さっきよりずっと弱い。それを、瓶の口を割らないようにそっと押し込む。
「そこで止めろ」
息を止めて維持する。破裂音は来ない。
「……成功、ですか?」
目を開けると、掌の間に親指の先ほどの光球がちょこんと浮かんでいた。
「今度はちゃんと『ひとかけら』だな」
リカルドが拍手し、カイルも僅かに口元を緩める。
「そのまま詠唱を重ねろ」
「はい。集いし光よ、前へ進み、標を照らせ」
光球はすっと飛び出し、木人の胸元で小さく弾けた。焦げ目が一つ増えるだけ。
「……地味ですね」
「基礎訓練だからな。その地味さを自在に操れるようになってからが本番だ」
圧縮の感覚は、今までの結界術とはまるで違う。大結界では「全体を安定させる」よう広く薄く魔力を流していた。今は一点に濃度を高め、閉じ込めている。
「連続で三回」
そこからは、ひたすら反復。少なすぎて消えたり、集中が途切れてしぼんだり、逆に濃度が跳ね上がって小さく爆ぜたり。
そのたびにリゼットさんが擦り傷を癒やし、ノエルが波形をメモし、リカルドが安全確認を続ける。
「アリアさんの場合、普通の新人メニューだと道具が先に壊れちゃうのよ」
「否定できません……」
何度目かの連続圧縮の最後、嫌な重さが掌に乗った。
「――まずい」
反射的に足元の陣を踏み鳴らす。
「防壁」
自分を覆う半球状の結界が瞬時に展開され、ほぼ同時に光球が弾けた。眩い閃光と衝撃は、すべて結界の内側で吸収される。
光が消え、私はしゃがみ込んだ姿勢のまま結界を解除した。
「アリア!」
駆け寄ってくる足音。セイジュ様だ。
「だ、大丈夫です。自爆結界、間に合いました」
言いながら周囲を見ると、木人の一体の上半分がきれいになくなっている。
「威力だけならもう中級だな。木人の追加予算がまた飛ぶ」
「申し訳ありません……」
「木人はいくらでも買い足せる。人間が傷ついていないなら、それで十分だ」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。
アストリアの訓練は「壊さないように」が前提だった。ここでは、最初から壊していいものが用意されている。その違いが、こんなにも楽に息をさせてくれる。
◇
日が傾き始めたころ、ようやく訓練は一区切りとなった。
「おつかれさま、アリアさん」
「ありがとうございます……今日はよく動きました」
リゼットさんから濡れタオルを受け取り、壁にもたれかかる。魔力にはまだ余裕があるのに、筋肉が悲鳴を上げている。
「圧縮って、意外と体力を使うんですね」
「身体の使い方が違うからね。慣れたらもっと楽になるわ」
少し離れたところでは、ノエルとカイルが魔術盤に映る波形を覗き込んでいる。
「見ろよ、この波。圧縮直前に独特な揺れが入ってる」
「アストリア式の『流しっぱなし』の癖かもしれないな。ここを切り分けられれば、新しい制御式のヒントになる」
そこへ、名前を呼ばれた。
「アリア」
顔を上げると、セイジュ様が近づいてくる。上着を脱ぎ、袖をまくった姿は、いつもより少し近く感じられた。
「初日であれだけの圧縮と展開ができれば上等だ。爆発も含めてな」
「そこ、含めなくていいところでは」
「爆発の仕方にも癖が出る。おまえの魔力のたわみは、結界の揺れとよく似ている」
「結界の揺れ、ですか?」
「地脈と魔力の流れが噛み合わないときに出る微妙なひずみだ。さっきノエルたちが見ていた波形にも、似たパターンがあった」
空中に簡易投影が浮かぶ。ひとつは私の圧縮時の波形、もうひとつは以前小結界を修復したときに記録した地脈の揺らぎ。その線がいくつも重なっていた。
「……本当だ」
「おまえは無意識に『歪み』を拾いながら魔力を動かしている。大結界を相手にしてきた癖だろう」
胸の奥で、何かがかちりと噛み合う。
「少し、書かせてください!」
私は机の上のノートを掴み、床にしゃがみ込む。さきほどの波形を書き写し、その下に結界の層構造と地脈の接続点を描いていく。
「ここに小さな圧縮層を……いえ、蓄魔層として挟んで……」
地脈からの揺らぎを一度圧縮層で受け止め、そこから時間をかけて緩衝層へ流す。
今までの緩衝層は流れを広げて散らしていた。だがガルディア式の圧縮を混ぜれば、一度畳んでから広げることができる。
「薄い布を何枚も重ねた結界の間に、小さなバネを仕込む……揺れが来たときだけぎゅっと縮んで、ゆっくり戻る層……」
頭の中に、新しい結界のイメージが立ち上がる。
「もし国境結界の第二層に組み込めたら、瘴気の急な波にも、もう少し余裕を持って対応できるかもしれません」
顔を上げると、セイジュ様と目が合った。
「もう応用に行ったか」
「す、すみません。つい」
「謝るところじゃない。……面白いな。圧縮層をバネとして使うのか」
「ガルディア式は瞬発力重視の印象でしたけれど、こうして見ると結界内部にも応用できそうで」
「できる。おまえが式を描くならなおさらだ」
銀色の瞳が細められる。
「ここでは、学べば学ぶほど、おまえの式は変わっていく。結界も魔術も、全部まとめてな」
アストリアでは、ひたすら既存の式を維持するのが仕事だった。
ここでは、新しい術式を学ぶたびに、組み合わせの可能性が増えていく。
守るためだけだった力が、少しずつ「創る」ほうへ傾き始めている。
「……ここでは、学べば学ぶほど、できることが増えていきます」
国境結界。ガルディア式の圧縮魔術。大結界で磨かれた感覚。
全部を組み合わせれば、きっと今までにない結界が作れる。
「だからこそ、気をつけろ」
セイジュ様の声が少し低くなる。
「おまえが作るものは、どれも国の形を変えうる。だが、それを怖がって立ち止まるくらいなら、この国には来ていないはずだ」
「はい」
即答すると、彼の口元に微かな笑みが生まれた。
「なら、好きに学べ。塔も魔導師団も、そのためにある」
宣言のような声が訓練室に響く。焦げた木人、新しい魔方陣、残る魔力の余韻。
私はノートを閉じ、胸の前でそっと抱きしめた。
昨日は「先生」と呼ばれた。今日は、こうして「生徒」に戻る。
そのどちらも許される場所に、今、私は立っている。
「……明日もよろしくお願いしますね、団長様」
「ああ。明日も、その次もだ。学べるだけ学べ、アリア」
その言葉に背中を押されるようにして立ち上がる。
ここでは、学べば学ぶほど、可能性が増える。
その事実が、何よりも心強かった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第35話はいよいよアリアが「守る結界」から「創る魔術」へ踏み出した転換回でした。
爆発だらけの訓練も、すべては新しい結界のヒントに…。
団長との師弟関係も少しずつ深まっていきます。
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