第33話 共同研究計画、始動
翌朝、目が覚めて最初に浮かんだのは、魔術式でも計算式でもなく、昨夜のソファだった。
隣に座る人。肩の触れた温度。低い声。
「ここでの暮らしに慣れるまで、ずっと隣に座っていてやる」
「……思い出さなくていいです」
枕に顔を押し付けて一度だけ転げ回り、どうにか起き上がる。
そこへ、控えめなノック音が届いた。
「アリア様、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
扉を開けると、トレイを持ったマリアナさんが立っていた。香りの良いお茶と簡単な朝食。そして、封蝋のついた一通の書状。
「王城からの招集でございます。本日午前、小会議室にて、国王陛下と宰相閣下、団長様との打ち合わせが」
「こ、小会議室……」
それはつまり、「冗談抜きで大事な話」ということだ。
昨日までの歓迎会モードから、一気に公務モードへ。頭の中で切り替えスイッチを押しながら、私は書状を受け取った。
「正装でなくてもかまわないそうですが、王城にふさわしいお召し物を準備しておきますね」
「お願いします。……がんばってきます」
「はい。きっと、良いお話になりますよ」
意味ありげな言葉を残して去っていく背中を見送りながら、私はひとつ深呼吸をした。
王城の小会議室は、前回の謁見とは違い、実務の匂いが濃かった。
楕円形のテーブルの中央には、大陸全体の立体地図。その北側、山脈と森が連なる細い線が、ガルディアとアストリアの国境だ。
「顔色は悪くないな」
隣から聞こえる低い声に、私は姿勢を正した。
「はい。団長様こそ」
「問題ない。……昨日は、少し飲ませすぎたかと思ったが」
「自覚はおありなんですね」
思わず返すと、セイジュ様はほんの少しだけ目をそらす。今日の彼は完全に「宮廷魔導師団長」の顔で、黒いローブと胸元の紋章がやけに厳格に見えた。
けれど、私を見下ろす銀の瞳は、昨夜と同じ温度を宿している。
「無理だと思ったら、ここでも言え。王にも宰相にも」
「……はい」
答えたところで、扉が開いた。
「待たせたね」
柔らかな声と共に現れたのは、ガルディア王アレクシス陛下。続いて、栗色の髪を後ろで束ねた男が入ってくる。切れ長の目に、仕事のできる気配をたっぷりまとった人物。
ガルディア王国宰相、ユリウス・クラウス。噂の「理系推し政治家」だ。
「改めて、来てくれてありがとう」
王は上座に腰を下ろし、私に視線を向ける。
「レイン嬢。昨日の歓迎会の翌朝に呼び立ててしまって、すまない」
「いえ。結界に関わるお話なら、いつでも」
「頼もしいね」
穏やかな笑みを浮かべると、王はユリウスに目配せした。
「まずは現状の確認から頼む」
「承知しました、陛下」
宰相は席を立ち、立体地図の上に手をかざした。国境線が淡い光で強調される。
「レイン嬢。あなたがアストリア大結界から離れたあとの状況は、書簡とこちらでの聞き取りで把握しています」
ユリウスは、まっすぐに私を見る。
「あなたの魔力の貯金のおかげで、数年は持つ。しかし、構造自体の歪みは残ったまま。いずれ弱いところから崩れていく。――そう理解していますが、間違いありませんか」
「はい」
私は軽く頷く。
「各地の小結界を繋ぎっぱなしにして、王都だけを厚くしている設計なので。私が補強した範囲はしばらく保てますが……それも永遠ではありません」
口にすると、胸の奥がきゅっと締まる。それでも、視線は逸らさない。
「レイン嬢」
アレクシス陛下の声は静かだった。
「君があの国にどういう思いを持っているかは問わない。ただ、君の知識と経験を、この大陸のために借りたい。それが、今日ここに呼んだ理由だ」
「……身に余るお言葉です」
「身に余るかどうかは、結果で決まる」
冗談めかした言葉に、わずかに肩の力が抜けた。
ユリウスが、小さく咳払いをする。
「では、その結果を出すための提案に移りましょう」
国境線の一部が拡大され、いくつかの街と砦の印が浮かび上がる。
「我々としては、アストリア大結界の崩壊をただ眺めているつもりはありません。ただし、直接手を出せば内政干渉と受け取られかねない」
「はい」
「ですので、まずは自国の国境を、根本から強くする。そのための計画が――」
ユリウスは、国境線に沿って弧を描いた。
「『国境結界プロジェクト』です」
「……そのままですね」
「分かりやすさは、議会説得の第一歩ですよ」
軽く笑いながらも、その目は真剣だった。
「あなたが担っていた大結界は、中央から全土へ伸びる一本の幹のような構造。対して我々は、国境沿いに複数の中枢を置き、互いに連携させる分散型ネットワークを目指したい。――技術的に可能でしょうか」
「……可能だと思います」
私は、立体地図の上に視線を落とした。
「ひとつが壊れても全体が落ちない構造にできます。ただ、分散させる分、各地点に一定以上の魔力と術者が必要になります」
「無理を承知で頼んでいる」
王が静かに言う。
「何もしなければ、崩れた穴から押し寄せるものを、ただ受け止めるしかない。防ぐだけでなく、流れを制御する手段が欲しいのだ」
制御する。その言葉に、脳内の図が組み替わる音がした。
「でしたら――」
自分でも驚くほど自然に、声が出る。
「国境線そのものだけでなく、少し内側に第2防衛線を置くのはどうでしょうか。外側で瘴気や魔物の大部分を削って、内側で取りこぼしを拾う形です」
私は立ち上がり、魔力で薄い線を描いた。国境沿いに網目状の線。その一歩内側に、緩やかな弧。
「外側の結界は、ノエルさんの計測器を応用して、異常値が出た箇所にだけ自動で魔力を回す仕組みにします。平常時の小さな揺らぎは許容して、その代わり、本当に危険な波だけを拾う設計にすれば――」
「レイン嬢」
「あ、すみません。つい」
説明しながら完全に研究モードに入りかけていた私を、宰相の声が現実に引き戻す。
ふと顔を上げると、王も宰相もセイジュ様も、真剣にこちらを見ていた。
「いい顔をしている」
ぽつりと、隣から声が落ちる。
「研究の話をしているときのおまえは、やはり一番楽しそうだ」
「そ、そんなこと――」
「ある」
即答されて、言葉が詰まる。王と宰相の前で何を言っているのだろう、この人は。
ユリウスが小さく笑い、手元の紙束を開いた。
「では、提案を具体化しましょう」
さらさらとペンが走る。
「『国境結界プロジェクト』。技術設計と監修の主任として、アリア・レイン嬢を任命。肩書きは『国境結界技術顧問兼主任研究者』。現場運用の責任者は、宮廷魔導師団長セイジュ・アルバート。政治と予算の面倒は、このユリウス・クラウスが見ます」
「手慣れているな」
王が苦笑すると、宰相は肩をすくめる。
「研究塔のときと同じ構図ですから。あとは――ご本人の意思確認だけです」
視線が集まる。
国王。宰相。魔導師団長。
計画の中心に、自分の名が置かれようとしている。喉がひりつく感覚を、私は意識的に飲み込んだ。
「……条件があります」
気づけば、そう口にしていた。
「条件?」
ユリウスが興味深げに眉を上げる。セイジュ様は、黙ったまま「言え」と目で促した。
「このプロジェクトで作る結界は、防衛と避難のためのものに限定してください。先制攻撃や、他国への威圧を目的とした運用には、関わりたくありません」
自分の声が、思ったよりも震えていないことに驚いた。
「結果として抑止力になることはあると思います。でも、最初から誰かを閉じ込める檻として設計するのは、違うと感じます。私は、逃げ場としての結界を作りたいんです」
しばしの沈黙のあと、王が口を開いた。
「……いい条件だ」
アレクシス陛下は、ゆっくりとうなずく。
「ガルディア王国は、その条件を受け入れよう。国境結界プロジェクトは、防衛と避難のための計画とする。先制攻撃や威圧を目的とした運用を禁じる」
王としての宣言。その重みが、空気を変えた。
ユリウスも頷き、紙に一行を書き足す。
「今の一文、議事録に明記しておきます。後で『そんなつもりではなかった』と言い出す方々への対策として」
「ユリウス」
「陛下のご意向を守るためですよ」
軽口の奥には、本気の色があった。
セイジュ様が、静かに息を吐く。
「アリア」
「はい」
「条件は通った。あとは、おまえがやるかどうかだ」
銀の瞳が、まっすぐこちらを射抜く。
「おまえがやると言うなら、俺は全力で支える。王も宰相もそう言っている。どうする」
どうする、アリア・レイン。
研究者としての興奮と、責任の重さ。その両方が、胸の中でせめぎ合う。
それでも、答えはとっくに決まっていた。
「――やります」
私は、はっきりと言った。
「国境結界プロジェクト。主任研究者として、お引き受けします」
王が微笑み、宰相が満足そうに頷き、セイジュ様の表情がわずかに緩む。
「それでは、本日をもって『国境結界プロジェクト』を正式に立ち上げる」
アレクシス陛下の声が、小会議室に響いた。
「ガルディア王国は、アリア・レインの設計する結界に全面的に協力することを、ここに宣言する」
「拝命いたします」
深く一礼しながら、私は胸の奥で小さく呟く。
――数年後、今日のこの決定が、あの夜の激戦へと繋がっていくとも知らずに。
会議室を出ると、王城の廊下は朝の冷たい空気で満ちていた。
「……疲れました」
「だろうな」
隣を歩くセイジュ様が短く返す。
「王と宰相を相手に、あれだけ条件を突きつけた魔導師は、そう多くない」
「出過ぎた真似でしたら、あとで正式に謝罪を――」
「謝るな」
即座に遮られた。
「おまえが言ってくれて助かった。俺はどうしても、戦力効率を優先しがちだからな」
「知っています」
「即答するな」
小さなやりとりに、自分でも気づかないうちに緊張がほぐれていく。
「団長様」
「なんだ」
「本当に、支えてくださるんですよね」
「今さら疑うか」
呆れたように言いながらも、その声はやわらかい。
「国境結界は、おまえの研究だ。だが、それを戦場で運用するのは魔導師団。その頂点が俺だ。おまえの設計を最大限に活かすのは、俺の仕事であり、……俺のわがままだ」
最後の一言が小さくなる。
「それに」
セイジュ様は、わずかに視線をそらした。
「おまえが前を向いて進もうとしているときに、隣を空席にしておくつもりはない」
隣、という単語に、心臓が跳ねる。
昨夜のソファ。肩の温度。あの約束。
「……邪魔では、ないですか?」
気づけば、昨夜と同じ問いを口にしていた。
彼は一瞬だけ目を丸くし、それからすぐ、わずかに目元を緩める。
「邪魔なわけがない」
低く、はっきりとした声。
「研究でも、戦場でも、日常でも。おまえの隣にいるのは、俺の意思だ」
王城の廊下の真ん中で、その言葉を聞かされて、私は言葉を失った。
けれど、胸の奥に溜まっていた不安が、するりと解けていくのを感じる。
「……では、頼りにさせていただきますね、団長様」
「ああ。存分に頼れ」
セイジュ様は踵を返し、前を向く。
「塔に戻る。リカルドとノエル、それにカイルたちにも、正式に計画を伝えなければならない」
「はい。講義用の資料も、組み立て直さないと」
国境結界ネットワーク。多重防衛線。自動制御と手動介入のバランス。
頭の中に、新しい図と式がどんどん浮かび上がってくる。それは恐怖ではなく、純粋な高揚だった。
この計画が、いずれあの夜へと繋がっていくことを知らないまま、私は目の前の研究に胸を高鳴らせていた。
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