第31話 歓迎会とささやき
魔導師団本部のホールは、いつもより少しだけ明るかった。
魔導灯が増やされ、壁際には焼いた肉や根菜のスープ、香草を練り込んだパンが並んでいる。魔力で冷やされた果実水と、度数ひかえめのワイン。軍の食堂らしく飾り気はないけれど、わいわいとした笑い声と皿の音が混ざれば、それだけで充分にぎやかだ。
……こういう雰囲気は、嫌いではない。
「では、静かにしろ」
ホール中央。テーブルの間をすり抜けて、黒い制服姿のセイジュ様が一歩前に出た。低い声が響いただけで、さっきまで騒がしかった空間が、嘘みたいに静まる。
「本日付けで研究塔所属、並びに国境結界プロジェクト主任となった、アリア・レインだ」
名前を呼ばれて、私は一歩前へ。視線が一斉に集まる気配が、肌の上をじりじりと這った。
うわ、想像していたよりずっと多い。魔導師団の団員って、こんなにいたんですね……。
「アストリアからの客人であり、これからはガルディアの仲間だ。腕は保証する。……以上」
「以上、ってそれだけかよ、団長」
静寂を破ったのは、副団長のリカルドさんだ。肩をすくめながら、一歩前に出てきて笑う。
「堅っ苦しい挨拶はそこまでにして、と。改めて、ガルディア魔導師団へようこそ、アリア嬢。歓迎する」
「ありがとうございます。レイン伯爵家長女、アリア・レインと申します。しばらくお世話になりますので……どうぞよろしくお願いします」
できるだけ穏やかに微笑みながら、私は軽くスカートの裾を摘んで礼をした。
ぱらぱらと拍手が起こる。少し照れくさいくらいには、温度のある音だった。
「それじゃあ、乾杯だ」
リカルドさんがテーブルからグラスをひょいと取り上げる。
「団長もほら、形だけでも」
「……面倒だ」
「そこまで言うな。新入りの前で空気を悪くするんじゃない」
ぶつぶつ言いながらも、セイジュ様は仕方なさそうにグラスを取る。果実酒を少しだけ注いで、私のほうを横目で見た。
「顔、強張ってるぞ」
「そ、そうですか」
「平気だ。こいつらは口は悪いが、腕は立つ」
「褒められてんだかどうだか!」
どっと笑いが起こり、少しだけ張り詰めていた空気がほどける。
……今の一言も、場を和らげるためなんでしょうね。
「じゃ、行くぞ。アリア嬢の新生活に」
リカルドさんが掲げたグラスに、周囲が続く。
「「「乾杯!」」」
グラスがぶつかり合う音。果実酒の甘い香り。私は口元にだけそっと触れ、ほんの少し味を確かめる程度で止めた。
アルコールに弱いわけではないけれど、今日は初対面の人が多い。頭はできるだけクリアにしておきたい。
「思ったより賑やかですね」
隣に立ったセイジュ様に小声で呟くと、彼は僅かに目を細めた。
「いつもはもっと騒がしい。今日は一応、客人がいるからな」
「これで、ですか」
「そうだ」
ガルディア魔導師団。第一印象は、思っていたよりも「普通の人たち」だ。
もちろん、立ち居振る舞いからして戦場慣れしているのは分かる。魔力の波も、全員がそこそこ以上に高い。けれど、笑い声は明るくて、誰かが持ち込んだらしいカードゲームで盛り上がっているテーブルまである。
アストリアの王宮で、こんなふうに笑いながらお酒を飲んだことがあっただろうか、と考えて――すぐに、答えは出た。
ない。
「アリア嬢、何考えてる?」
不意に、肩口にひょいと影が差し込む。振り向けば、明るい栗色の髪を揺らした女性が立っていた。
「リゼット隊長」
「初対面のときはちゃんと名乗れなかったものね。改めてよろしく。治癒と幻術部隊をまとめてる、リゼットよ。堅苦しいのが苦手なら、リゼでもリゼットでも好きに呼んで」
「では……リゼットさん、と。よろしくお願いします」
「うん、その呼び方、好き」
にっと笑ったリゼットさんは、私のグラスを覗き込んだ。
「ちゃんと飲んでる?」
「少しだけ、です。あまり強いほうではないので」
「ふふ、ならそのくらいで正解ね。ここ、油断すると酔いつぶれるまで飲ませてくる人がいるから」
「誰です?」
「だいたいリカルド」
思わず吹き出しそうになって、慌てて口元を押さえる。リゼットさんは目だけでおもしろがるように笑った。
「団長、アリア嬢を一瞬借りますね」
「……攫うのはやめろ」
「攫いませんって。ちょっと女同士の話をするだけ」
そう言って、リゼットさんは軽く私の手首を取る。
「行きましょ。長居すると邪魔が入るから」
邪魔、とは誰のことなのか。振り返ると、セイジュ様と目が合った。彼はほんの少しだけ眉をひそめて、それから諦めたように視線をそらす。
……心配されているのか、それとも単に護衛の視点なのか。どちらにしろ、少しうれしい。
◇ ◇ ◇
ホールの端にある扉を抜けると、外気が頬を撫でた。
そこは石造りのテラスだった。城壁の一部に張り出すように設けられたスペースで、手すりの向こうには夜の王都ヴァルディアの灯りが広がっている。
「わあ……」
思わず声が漏れる。
塔の最上階から見たときとは、また違う眺めだ。少し低いこの位置からだと、街路を走る魔導灯の列や、川沿いの明かりがよく見える。
「気に入った?」
「はい。とても」
「ならよかった」
リゼットさんは、手すりに肘を乗せて、私の隣に立った。
「それにしても、団長もリカルドも、説明がざっくりしすぎなのよね。『腕は保証する』だけじゃ、皆びっくりするでしょうに」
「いえ、充分すぎるくらいです」
「そう?」
「『腕は保証する』って、同時に『守る』と言ってくださっているようにも聞こえましたから」
自分で言ってから、少し照れくさくなる。リゼットさんは、ふふっと喉の奥で笑った。
「……なるほど。こっちが照れちゃうわね、それ」
「す、すみません」
「謝るところじゃないってば。むしろ安心したわ」
リゼットさんは夜空を仰いだ。髪が風に揺れて、金の耳飾りが小さく鳴る。
「ここ、戦う場所でしょう? だからきっと、私がこの場を気に入っていないと、セイジュ様は落ち着かないんだろうな、と」
「分かってるじゃない。そう、それそれ。団長、ああ見えてすごく分かりやすい人だから」
「……そうなんですか?」
「少なくともアリアちゃんのことに関しては、ね」
さらっと言われて、思考が一瞬止まった。
「わ、私はまだこちらに来たばかりで……」
「ええ。だからこそよ」
リゼットさんが、視線だけでホールのほうを示した。
半開きの扉の隙間から、笑い声や食器の音が漏れてくる。そのさらに向こうには、きっといろいろな声があるのだろう。
「さっき、少し聞こえたの。『外様』とか『スパイかもしれない』とか」
「……聞こえていましたか」
胸の奥が、ほんの少しだけ冷たくなる。
歓迎の拍手が嘘だとは思わない。けれど、ささやき声もまた現実だ。
「ここにいる全員が、私を歓迎しているわけではないのは分かっています。立場も経歴も特殊ですから」
「うん。まあ、そうよね」
リゼットさんは否定しなかった。それが、かえってありがたかった。
「アストリア王家の元婚約者で、しかも大結界をいじれるほどの魔導師。そんな人が、いきなり『隣国に来ました、よろしくお願いします』なんて言ったら、そりゃ疑う人もいるわよ」
「……そうですね」
「でもね」
リゼットさんは、そこでにやりと笑った。
「さっき、カイルのやつがこんなこと言ってたわ」
「カイルさんが?」
「『外様だろうがなんだろうが、実力が本物なら構わない。使えるカードは多いほうがいい』って」
「……なるほど」
いかにも、あの人らしい。
会議のとき、こちらに向けられた視線は確かに冷たかった。でもそれは、感情だけで突っ走る人間のものではなかった。損得と合理を測りにかける、貴族らしい目だ。
「なら、話は早いですね」
「でしょ?」
「結果を出せばいい。こちらの手の内を見せ、その価値を理解させる。足りない部分は、話し合いと調整で埋めていく」
それは私が、ずっとやってきたことだ。
「もちろん、好きになってもらえるに越したことはありませんけれど」
「ふふ。そこまで欲張るのは、もう少し後でもいいんじゃない?」
「そうですね。まずは『仕事ができる外様』くらいの評価を目標にしておきます」
私が肩をすくめると、リゼットさんはくすくす笑いながら、そっと私の肩を軽く叩いた。
「そういう話がしたくて、連れ出したのよ」
「……私のほうこそ、聞こうと思っていたところでした」
「じゃ、もうひとつ。ここでやっていくなら、仕事の味方とは別に、女友達くらいはいたほうが生きやすいわよ」
言って、リゼットさんは手を差し出してきた。
「だからさ。アリアちゃんの『女友達枠』、私がもらってもいい?」
その言葉に、胸の奥が一瞬、ふわっと温かくなった。
これまで私の周りにいたのは、同僚と上司と、家族と……遠い隣国から届く手紙だけだった。王宮ではいつも「王太子妃候補」として見られ、同年代の令嬢と肩を並べて笑い合う機会なんて、ほとんどなかったのだ。
手を伸ばすのは、少し怖い。けれど。
「……はい。よろしくお願いします、リゼットさん」
私は差し出された手を、そっと握り返した。
指先に伝わる体温と、少しだけ粗い皮膚の感触。戦場で杖を握ってきた人の手だ。
「よろしい」
リゼットさんは満足そうに頷き、握っていた手をぶん、と一度だけ勢いよく振った。
「じゃあこれから、分からないことがあったら何でも聞いて。団長の取り扱いマニュアルとか、ここのおいしい店とか、どの貴族が面倒とか」
「最後のが一番重要そうですね」
「でしょ?」
私たちは顔を見合わせて笑った。
テラスの扉の隙間から、誰かの笑い声が漏れ聞こえてくる。カードゲームの勝敗でも決まったのだろうか、ノエルさんの弾んだ声が混じっていた。
この国の空気は、やっぱり少し違う。
私を「王家の所有物」ではなく、ひとりの魔導師として迎え入れてくれた場所。
ここでどう立ち回れば、私自身も、そしてこの国も一番うまく守れるのか。
頭の中で、塔内の魔力流路図に人間関係の線を引き足していく。
私がうまく繋げれば、このネットワークは、きっと強い結界になる。
「アリアちゃん?」
「いえ。ここでの『立ち回り方』を少し計算していただけです」
「出た。塔の天才さんの悪い癖」
「悪い癖ですか?」
「真面目に考えすぎるところ。まあ、そういうところが好きなんだけど」
さらっと言われて、返事に困る。
慣れていないのだ。こういう、まっすぐな好意を向けられることに。
「……少しくらいなら、甘えてしまってもいいでしょうか」
「もちろん。歓迎会なんだから、遠慮はなし」
リゼットさんが、テラスの扉を指さした。
「行こ。せっかくの料理が冷めちゃう」
「はい」
私はもう一度だけ夜景を振り返ってから、ホールの賑わいへと歩き出した。
ここから先の道筋は、まだ見えない。けれど、隣には新しくできた女友達がいて、少し離れた場所には、手を伸ばせば届く距離にセイジュ様がいる。
――ここでなら、きっとやっていける。
そんな確信が、胸の奥で静かに形になりかけていた。
第31話までお付き合いいただきありがとうございます!
王都での歓迎会、アリアに女友達ができて少しずつ「外様」から仲間になっていく第一歩になればうれしいです。
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