第30話 塔の初仕事は結界修復
ガルディアで迎える二度目の朝、私は塔の窓から王都を眺めていた。空気の匂いも、街を巡る魔力の流れも、アストリアとは違うと、ようやく実感し始めている。
そんなことを考えていたところで、扉がノックされた。
「アリア嬢、団長がお呼びだ。会議室まで頼む」
落ち着いた低い声。副団長リカルドだ。
「はい。すぐ向かいます」
外套を羽織って廊下に出ると、リカルドが歩調を合わせてくる。
「初仕事だとよ。緊張は?」
「……内容を聞いてからにします」
「はは、そりゃそうだ」
そんな軽いやりとりを挟みつつ、私たちは魔導師団の会議室へ向かった。
◇◇◇
会議室では、すでに何人かの幹部魔導師が席に着いていた。長卓の奥、窓を背にして座る黒髪銀眼の青年――セイジュが、いつもの無表情でこちらを見る。
「来たか。座れ」
「失礼いたします」
席につくと、机の上の地図が目に入った。王都から少し離れた位置に、小さな村を示す印。そして、その周囲に描かれた小結界の記号。そのひとつに、赤い丸が付いている。
「報告を」
セイジュの声に応じて立ち上がったのは、書類を抱えた若い魔導師――カイルだ。貴族家系出身のエリートで、私への視線はいつも少しだけ冷ややかだ。
「王都西側、第3防衛線の一部に位置する小結界で、魔力の不安定化が観測されています。強度自体は基準値を保っていますが、周期的な揺らぎが発生しており、このまま放置すれば数週間から数か月で崩落の危険が」
「原因は」
「地脈の変動、結界柱の劣化、術式そのものの設計ミス、いくつかの可能性が。現地魔導師だけでは判断がつかないとのことです」
言いながら、カイルの視線がとても分かりやすくこちらを一度だけかすめた。
外から来た謎の女魔導師が、何か余計なことをしているのではないか。……そう疑いたくなる気持ちは、分からなくもない。
「そこでだ」
セイジュが、地図と私を見比べる。
「ちょうどいい。アリアの初仕事にする」
「……はい?」
思わず聞き返してしまった私をよそに、セイジュは淡々と続ける。
「王都郊外の村だ。いきなり国境線に放り込むわけにもいかん。規模も危険度も、現場を見るには都合がいい。診断と応急修復、任せていいな」
「はい、お引き受けします」
「団長、本気でその外様の嬢ちゃんに――」
壮年の魔導師が口を挟みかける。眉間に深い皺、声には不安が滲んでいた。
セイジュは、視線だけそちらへ向ける。
「本気だ。アリア・レインは、アストリア全土を覆う大結界の維持を担っていた。村ひとつの結界修復など、肩慣らしにもならない」
さらりと言われて、会議室の空気が小さく揺れた。
噂で聞くのと、当人を目の前にして聞くのとでは、重みが違うのだろう。
壮年魔導師が、私をまじまじと見つめる。
「本当に……?」
「大結界の一部、ですが。詳細はともかく、結界の診断と補修は慣れております」
私はそう答え、カイルへ向き直った。
「測定の記録を拝見してもよろしいでしょうか」
「……どうぞ」
差し出された書類を受け取り、ざっと目を走らせる。
数値の波形、時間の推移。魔力の総量は足りているのに、一定周期で強度が落ちている。補助結界が過剰に反応して、そのたびに本体に無駄な負荷をかけている。
「地脈と制御式のリズムが噛み合っていないのですね」
思わず口をついて出た言葉に、カイルが眉を上げた。
「どういう意味ですか」
「現地を拝見しないと断定はできませんが……蛇口から出る水の量が一定でないのに、無理やり同じ量を出させようとしている、というか。補助結界の反応速度が、今の地脈の揺れ方に合っていないのだと思います」
「そんな細かいズレまで分かるものなのか」
リカルドが感心したように唸る。
「アストリアでは、もっと規模の大きい似た問題に散々悩まされておりましたから」
苦笑しつつ、私は書類を閉じた。
「現地で地脈の状態を確認したうえで、制御式に小さな緩衝層を足す形で調整するのが良さそうです。できると思いますか、と聞かれる前に答えておきますと、できます」
言い切ると、セイジュがわずかに口元を緩めた。
「聞く前に答えるあたり、いつも通りだな。……よし、決まりだ。俺とリカルド、アリア、あとは少数の護衛で向かう。準備しろ」
「了解」
リカルドが立ち上がり、視線だけで「大丈夫だ」と告げてくる。
初仕事。肩慣らし。それでも、きっと私の中で何かの区切りになる。
そう予感しながら、私は席を立った。
◇◇◇
王都を離れてしばらく走ると、石畳は土の道に変わり、畑と林が増えていった。馬車の窓から見える空は少し広く、魔力の密度はわずかに薄い。
けれど、その薄さにも、結界の膜がしっかり混ざっている。
村が見えたころには、空気の端に、かすかな揺らぎを感じ取れるようになっていた。
「見えてきたな。あれが対象の村だ」
リカルドの言葉に頷き、私は窓の外を覗き込む。
低い柵に囲まれた小さな村。その外周をなぞるように、淡い光の膜が揺らめいていた。本来なら、もっと均一な厚みで村を包むはずのそれは、ところどころ薄く、濃く、まだらな模様になっている。
馬車を降りると、出迎えに村長と、茶色のローブを着た現地魔導師が立っていた。
「ガルディア王都魔導師団、副団長のリカルドだ。こちらが団長のセイジュ、そして結界担当のアリア・レイン」
リカルドが簡潔に紹介すると、村長は慌てたように頭を下げる。
「おお、遠いところを……。村長のバルドと申します。こちらは村付きの魔導師で」
「ローレンです。お噂は、少しだけ」
ローレンと名乗った魔導師が、私とセイジュを交互に見て、苦笑とも戸惑いともつかない表情を浮かべた。
たぶん、噂の内容はあまり穏やかではない。
けれど、今はそれを気にしている場合ではない。
「結界柱を先に拝見してもよろしいでしょうか」
「も、もちろんですとも」
村の入口近くに立つ結界柱は、白い石を削り出したものだった。表面にはガルディア式の簡潔な魔方陣とルーンが刻まれている。
私は手袋を外し、掌をそっと石に当てた。
ひやりとした感触の奥で、魔力の流れが脈打っている。
地中から上がる地脈の魔力が、結界柱を通って村を取り巻く膜へと流れ込んでいく。その途中に、小さな渦のような乱れができていた。
「……やっぱり、少しずれていますね」
「ずれている?」
ローレンが首をかしげる。
「地脈の傾きが、設計当時と変わっているのだと思います。最近、小さな地震や地滑りはありませんでしたか?」
「そういえば、裏山で土が少し崩れたと……」
「その影響でしょう。想定していない角度から魔力が流れ込むようになった結果、制御式がうまくさばききれず、周期的な揺らぎになっている。補助結界は真面目に働きすぎて、逆に負荷を増やしている状態です」
私は、塔から持ってきた手帳を開き、簡単な図を描いた。
「ここが地脈で、こちらが結界柱。今はこの線で直結していますが――」
「……はい」
「ここに、小さな受け皿を挟みます。アストリア式で使われている、緩衝用の浅い層です。地脈からの魔力を一度受け止めて、ゆっくり結界本体に流し込む。制御式はガルディア式のままなので、運用は変わりません」
「そんなことが……できるのですか」
「緩衝層の設計自体は単純です。必要なのは、少し細かい魔力の制御だけですので」
私は立ち上がり、結界柱の足元にしゃがみ込んだ。
地面に魔術用の白い粉で小さな円を描き、その内側にアストリア式の簡略化した多重円を刻む。そこに、ガルディア式の直線的なルーンを一本だけ通した。
ゆるやかな曲線と、鋭い直線を組み合わせて、ひとつの器を作る。
詠唱は短く、意図だけを明確に。
「地脈の波を受け止め、緩やかな流れに変換し、小結界へと導く」
掌から流し込んだ魔力が、新しい層を形作り、地中の流れと結界柱をゆるやかに繋いでいく。
```
さきほど感じていた渦が薄れ、波が整っていくのが分かった。
```
「リカルド、計測器」
「おう」
リカルドが小型の計測器を取り出し、数値を確認する。
「揺らぎの幅が……さっきの半分以下だ。強度も安定してる」
「本当か」
ローレンが覗き込み、目を見開く。
「こんな短時間で、ここまで……」
「根本的な地脈のずれまでは直せませんから、応急処置ではありますが。数年は、この状態で持つはずです」
そう説明しつつ、私は村を取り巻く光の膜を見上げた。
まだらだった色が、じわりと均一になっていく。
「見事だな」
セイジュの低い声が聞こえた。
「アストリア式とガルディア式の折衷か。……こういう形に落とすのか」
「実験台にしてしまって、すみません」
「構わん。ここが安定するなら、誰も文句は言わんさ」
リカルドが笑い、ローレンも深く頭を下げる。
「本当に助かりました。村の者たちも、これで安心できます」
その言葉とほぼ同時に。
「おねえちゃんの魔法、すごかった!」
弾む声が背中から飛び込んできた。
振り向くと、何人もの子どもたちが少し離れたところでこちらを見ていて、そのうちの一人が駆け寄ってくる。
「さっき、結界がびりびりしてたのがね、ふわってなった!」
「色も、前よりきれい」「怖くなくなったよ!」
口々に感想を言う子どもたちの目は、魔導師を見る目ではなく、「自分たちの村を守ってくれた人」を見る目だ。
胸の奥が、きゅっと温かくなる。
「ありがとうございます。怖くなかったですか?」
「ちょっとだけ。でも、おねえちゃんたちが来てくれたから、大丈夫だって思った!」
当たり前のように告げられた信頼に、思わず笑みがこぼれる。
「これからしばらくは、結界は安定しているはずです。今夜はゆっくり眠ってくださいね」
「うん!」
子どもたちがわっと散っていき、その向こうで村長が何度も頭を下げているのが見えた。
私は深く息を吸い込み、空を仰ぐ。
昔も、私は人々の頭上の空を守っていた。
けれどそこにあったのは、「国のため」「王家のため」という抽象的な義務で、誰かの顔はぼやけていた。
今は、違う。
さっきまで不安そうに結界を見上げていた村人たちと、はしゃぎながら駆け回る子どもたちの姿が、はっきりと胸に残っている。
「どうした」
隣に立ったセイジュが、横目で私を見る。
「いえ。少し、不思議だなと思って」
「何がだ」
「国全体の大結界を維持していたときより、村ひとつの結界を整えた今の方が、ずっと実感があって……少しだけ、胸が軽いんです」
自分で言っておきながら、妙な話だと思う。
責任の大きさなら、きっと昔の方が上なのに。
セイジュは、ほんのわずかに目を細めた。
「前の国では、おまえは国の道具扱いだった。今は、一人の魔導師としてここにいる。それだけの違いだ」
「……そうかもしれません」
「これからは、自分で選べ。どの仕事を受けるかも、どこを守るかも」
短く告げられた言葉が、胸の奥に静かに沈んでいく。
「とりあえず、初仕事は大成功だな。塔に戻ったら報告書を書いて、今日は早めに休め」
「了解しました。セイジュ様も、あまり無茶はしないでくださいね」
「俺は常に計画的だ。無茶をするのはだいたいおまえだ」
「心外です」
そんな他愛のないやりとりを交わしながら、私はもう一度だけ村を囲む光の膜を振り返った。
今度の結界は、静かに、穏やかに揺らめいている。
黒髪の少年が、光に手を伸ばして笑っていた。
その姿を見つめながら、私は胸の中でそっと言葉を結ぶ。
……国の盾じゃなくても、ちゃんと守れる。
そう思えたことが、何より嬉しかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
少しでも続きが気になる・アリアたちを応援したいと思っていただけたら、評価やブックマークが作者の魔力供給になります
ポイントが集まると、続きを全力で書く励みになります。これからも見守ってもらえたら嬉しいです!




