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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第2部 ガルディア新生活と魔導師団編 第5章 研究塔と魔導師団

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第30話 塔の初仕事は結界修復

 ガルディアで迎える二度目の朝、私は塔の窓から王都を眺めていた。空気の匂いも、街を巡る魔力の流れも、アストリアとは違うと、ようやく実感し始めている。


 そんなことを考えていたところで、扉がノックされた。


「アリア嬢、団長がお呼びだ。会議室まで頼む」


 落ち着いた低い声。副団長リカルドだ。


「はい。すぐ向かいます」


 外套を羽織って廊下に出ると、リカルドが歩調を合わせてくる。


「初仕事だとよ。緊張は?」


「……内容を聞いてからにします」


「はは、そりゃそうだ」


 そんな軽いやりとりを挟みつつ、私たちは魔導師団の会議室へ向かった。


◇◇◇


 会議室では、すでに何人かの幹部魔導師が席に着いていた。長卓の奥、窓を背にして座る黒髪銀眼の青年――セイジュが、いつもの無表情でこちらを見る。


「来たか。座れ」


「失礼いたします」


 席につくと、机の上の地図が目に入った。王都から少し離れた位置に、小さな村を示す印。そして、その周囲に描かれた小結界の記号。そのひとつに、赤い丸が付いている。


「報告を」


 セイジュの声に応じて立ち上がったのは、書類を抱えた若い魔導師――カイルだ。貴族家系出身のエリートで、私への視線はいつも少しだけ冷ややかだ。


「王都西側、第3防衛線の一部に位置する小結界で、魔力の不安定化が観測されています。強度自体は基準値を保っていますが、周期的な揺らぎが発生しており、このまま放置すれば数週間から数か月で崩落の危険が」


「原因は」


「地脈の変動、結界柱の劣化、術式そのものの設計ミス、いくつかの可能性が。現地魔導師だけでは判断がつかないとのことです」


 言いながら、カイルの視線がとても分かりやすくこちらを一度だけかすめた。


 外から来た謎の女魔導師が、何か余計なことをしているのではないか。……そう疑いたくなる気持ちは、分からなくもない。


「そこでだ」


 セイジュが、地図と私を見比べる。


「ちょうどいい。アリアの初仕事にする」


「……はい?」


 思わず聞き返してしまった私をよそに、セイジュは淡々と続ける。


「王都郊外の村だ。いきなり国境線に放り込むわけにもいかん。規模も危険度も、現場を見るには都合がいい。診断と応急修復、任せていいな」


「はい、お引き受けします」


「団長、本気でその外様の嬢ちゃんに――」


 壮年の魔導師が口を挟みかける。眉間に深い皺、声には不安が滲んでいた。


 セイジュは、視線だけそちらへ向ける。


「本気だ。アリア・レインは、アストリア全土を覆う大結界の維持を担っていた。村ひとつの結界修復など、肩慣らしにもならない」


 さらりと言われて、会議室の空気が小さく揺れた。


 噂で聞くのと、当人を目の前にして聞くのとでは、重みが違うのだろう。


 壮年魔導師が、私をまじまじと見つめる。


「本当に……?」


「大結界の一部、ですが。詳細はともかく、結界の診断と補修は慣れております」


 私はそう答え、カイルへ向き直った。


「測定の記録を拝見してもよろしいでしょうか」


「……どうぞ」


 差し出された書類を受け取り、ざっと目を走らせる。


 数値の波形、時間の推移。魔力の総量は足りているのに、一定周期で強度が落ちている。補助結界が過剰に反応して、そのたびに本体に無駄な負荷をかけている。


「地脈と制御式のリズムが噛み合っていないのですね」


 思わず口をついて出た言葉に、カイルが眉を上げた。


「どういう意味ですか」


「現地を拝見しないと断定はできませんが……蛇口から出る水の量が一定でないのに、無理やり同じ量を出させようとしている、というか。補助結界の反応速度が、今の地脈の揺れ方に合っていないのだと思います」


「そんな細かいズレまで分かるものなのか」


 リカルドが感心したように唸る。


「アストリアでは、もっと規模の大きい似た問題に散々悩まされておりましたから」


 苦笑しつつ、私は書類を閉じた。


「現地で地脈の状態を確認したうえで、制御式に小さな緩衝層を足す形で調整するのが良さそうです。できると思いますか、と聞かれる前に答えておきますと、できます」


 言い切ると、セイジュがわずかに口元を緩めた。


「聞く前に答えるあたり、いつも通りだな。……よし、決まりだ。俺とリカルド、アリア、あとは少数の護衛で向かう。準備しろ」


「了解」


 リカルドが立ち上がり、視線だけで「大丈夫だ」と告げてくる。


 初仕事。肩慣らし。それでも、きっと私の中で何かの区切りになる。


 そう予感しながら、私は席を立った。


◇◇◇


 王都を離れてしばらく走ると、石畳は土の道に変わり、畑と林が増えていった。馬車の窓から見える空は少し広く、魔力の密度はわずかに薄い。


 けれど、その薄さにも、結界の膜がしっかり混ざっている。


 村が見えたころには、空気の端に、かすかな揺らぎを感じ取れるようになっていた。


「見えてきたな。あれが対象の村だ」


 リカルドの言葉に頷き、私は窓の外を覗き込む。


 低い柵に囲まれた小さな村。その外周をなぞるように、淡い光の膜が揺らめいていた。本来なら、もっと均一な厚みで村を包むはずのそれは、ところどころ薄く、濃く、まだらな模様になっている。


 馬車を降りると、出迎えに村長と、茶色のローブを着た現地魔導師が立っていた。


「ガルディア王都魔導師団、副団長のリカルドだ。こちらが団長のセイジュ、そして結界担当のアリア・レイン」


 リカルドが簡潔に紹介すると、村長は慌てたように頭を下げる。


「おお、遠いところを……。村長のバルドと申します。こちらは村付きの魔導師で」


「ローレンです。お噂は、少しだけ」


 ローレンと名乗った魔導師が、私とセイジュを交互に見て、苦笑とも戸惑いともつかない表情を浮かべた。


 たぶん、噂の内容はあまり穏やかではない。


 けれど、今はそれを気にしている場合ではない。


「結界柱を先に拝見してもよろしいでしょうか」


「も、もちろんですとも」


 村の入口近くに立つ結界柱は、白い石を削り出したものだった。表面にはガルディア式の簡潔な魔方陣とルーンが刻まれている。


 私は手袋を外し、掌をそっと石に当てた。


 ひやりとした感触の奥で、魔力の流れが脈打っている。


 地中から上がる地脈の魔力が、結界柱を通って村を取り巻く膜へと流れ込んでいく。その途中に、小さな渦のような乱れができていた。


「……やっぱり、少しずれていますね」


「ずれている?」


 ローレンが首をかしげる。


「地脈の傾きが、設計当時と変わっているのだと思います。最近、小さな地震や地滑りはありませんでしたか?」


「そういえば、裏山で土が少し崩れたと……」


「その影響でしょう。想定していない角度から魔力が流れ込むようになった結果、制御式がうまくさばききれず、周期的な揺らぎになっている。補助結界は真面目に働きすぎて、逆に負荷を増やしている状態です」


 私は、塔から持ってきた手帳を開き、簡単な図を描いた。


「ここが地脈で、こちらが結界柱。今はこの線で直結していますが――」


「……はい」


「ここに、小さな受け皿を挟みます。アストリア式で使われている、緩衝用の浅い層です。地脈からの魔力を一度受け止めて、ゆっくり結界本体に流し込む。制御式はガルディア式のままなので、運用は変わりません」


「そんなことが……できるのですか」


「緩衝層の設計自体は単純です。必要なのは、少し細かい魔力の制御だけですので」


 私は立ち上がり、結界柱の足元にしゃがみ込んだ。


 地面に魔術用の白い粉で小さな円を描き、その内側にアストリア式の簡略化した多重円を刻む。そこに、ガルディア式の直線的なルーンを一本だけ通した。


 ゆるやかな曲線と、鋭い直線を組み合わせて、ひとつの器を作る。


 詠唱は短く、意図だけを明確に。


「地脈の波を受け止め、緩やかな流れに変換し、小結界へと導く」


 掌から流し込んだ魔力が、新しい層を形作り、地中の流れと結界柱をゆるやかに繋いでいく。


```

さきほど感じていた渦が薄れ、波が整っていくのが分かった。

```


「リカルド、計測器」


「おう」


 リカルドが小型の計測器を取り出し、数値を確認する。


「揺らぎの幅が……さっきの半分以下だ。強度も安定してる」


「本当か」


 ローレンが覗き込み、目を見開く。


「こんな短時間で、ここまで……」


「根本的な地脈のずれまでは直せませんから、応急処置ではありますが。数年は、この状態で持つはずです」


 そう説明しつつ、私は村を取り巻く光の膜を見上げた。


 まだらだった色が、じわりと均一になっていく。


「見事だな」


 セイジュの低い声が聞こえた。


「アストリア式とガルディア式の折衷か。……こういう形に落とすのか」


「実験台にしてしまって、すみません」


「構わん。ここが安定するなら、誰も文句は言わんさ」


 リカルドが笑い、ローレンも深く頭を下げる。


「本当に助かりました。村の者たちも、これで安心できます」


 その言葉とほぼ同時に。


「おねえちゃんの魔法、すごかった!」


 弾む声が背中から飛び込んできた。


 振り向くと、何人もの子どもたちが少し離れたところでこちらを見ていて、そのうちの一人が駆け寄ってくる。


「さっき、結界がびりびりしてたのがね、ふわってなった!」


「色も、前よりきれい」「怖くなくなったよ!」


 口々に感想を言う子どもたちの目は、魔導師を見る目ではなく、「自分たちの村を守ってくれた人」を見る目だ。


 胸の奥が、きゅっと温かくなる。


「ありがとうございます。怖くなかったですか?」


「ちょっとだけ。でも、おねえちゃんたちが来てくれたから、大丈夫だって思った!」


 当たり前のように告げられた信頼に、思わず笑みがこぼれる。


「これからしばらくは、結界は安定しているはずです。今夜はゆっくり眠ってくださいね」


「うん!」


 子どもたちがわっと散っていき、その向こうで村長が何度も頭を下げているのが見えた。


 私は深く息を吸い込み、空を仰ぐ。


 昔も、私は人々の頭上の空を守っていた。


 けれどそこにあったのは、「国のため」「王家のため」という抽象的な義務で、誰かの顔はぼやけていた。


 今は、違う。


 さっきまで不安そうに結界を見上げていた村人たちと、はしゃぎながら駆け回る子どもたちの姿が、はっきりと胸に残っている。


「どうした」


 隣に立ったセイジュが、横目で私を見る。


「いえ。少し、不思議だなと思って」


「何がだ」


「国全体の大結界を維持していたときより、村ひとつの結界を整えた今の方が、ずっと実感があって……少しだけ、胸が軽いんです」


 自分で言っておきながら、妙な話だと思う。


 責任の大きさなら、きっと昔の方が上なのに。


 セイジュは、ほんのわずかに目を細めた。


「前の国では、おまえは国の道具扱いだった。今は、一人の魔導師としてここにいる。それだけの違いだ」


「……そうかもしれません」


「これからは、自分で選べ。どの仕事を受けるかも、どこを守るかも」


 短く告げられた言葉が、胸の奥に静かに沈んでいく。


「とりあえず、初仕事は大成功だな。塔に戻ったら報告書を書いて、今日は早めに休め」


「了解しました。セイジュ様も、あまり無茶はしないでくださいね」


「俺は常に計画的だ。無茶をするのはだいたいおまえだ」


「心外です」


 そんな他愛のないやりとりを交わしながら、私はもう一度だけ村を囲む光の膜を振り返った。


 今度の結界は、静かに、穏やかに揺らめいている。


 黒髪の少年が、光に手を伸ばして笑っていた。


 その姿を見つめながら、私は胸の中でそっと言葉を結ぶ。


 ……国の盾じゃなくても、ちゃんと守れる。


 そう思えたことが、何より嬉しかった。


ここまで読んでくださってありがとうございます!

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