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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第2部 ガルディア新生活と魔導師団編 第5章 研究塔と魔導師団

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第27話 研究塔・大解剖ツアー

 「それでは、ひとまず塔の中をご案内いたしますね」


 メイド長マリアナの落ち着いた声が、石造りの玄関ホールに柔らかく響いた。

 高い天井、白い柱。壁には淡く光る装飾魔方陣。足元の床石にまで、細い線がびっしりと刻まれている。


 ――玄関からもう、魔術装置として完成しているんですね、この塔。


 つい観察モードに入ってしまう私の横で、セイジュ様はいつもの無表情で短く頷いた。


「頼む。アリアの生活に必要なところを一通り、だ」


「かしこまりました。では、お二人ともこちらへ」


 マリアナは裾をからりと揺らして歩き出す。その背中について行きながら、私はこっそり深呼吸をした。


 ……塔の主の、お一人。


 さっきマリアナにそう呼ばれた言葉が、まだ胸の奥で反芻されている。

 今日まで私は、「王家にとって便利な道具」であり、「国の盾」であり、「誰かのために働く歯車」だった。


 ここでは、違う。


「まずは居住フロアからまいりましょう。お部屋と食堂、それから浴室など、生活に直結する場所を先に覚えていただいたほうがよろしいでしょうから」


「はい。よろしくお願いします」


 螺旋階段を数階分ほど上がると、壁には暖色のランプが等間隔で灯り、床には厚手の絨毯が敷かれていた。


「こちら一帯が、居住区でございます」


 扉が並ぶ廊下と、小さな共用ラウンジ。

 窓際にはゆったりとしたソファとテーブルがある。


「塔の主であられるお二人のお部屋と、来客用の客室がこのフロアです。基本はこちらが生活の拠点となります」


「主、というほど大それたものでは……」


 思わず口ごもると、マリアナはくすりと笑った。


「肩書きに慣れるまでは違和感があるかもしれませんが、事実でございますから」


 事実。


 言い切られてしまうと、否定の言葉が喉の奥で溶けてしまう。


「お食事は一階下の食堂でお出しします。お仕事の都合で時間がずれる場合でも、温かい状態でご用意いたしますので、あらかじめお知らせくださいませ」


「わざわざこちらから取りに行かなくていいんですか?」


 思わず聞き返してしまった。王宮では、忙しさにかまけて自室でパンをかじることも多かった。


「ええ。アリア様に食器を運ばせるなど、とんでもない話ですわ」


 なぜか少し怒られた。


「生活面の細々したことは、すべて私どもにお任せください。その代わり――」


 マリアナは、すっと振り返り、穏やかな笑みのまま目だけを鋭く細めた。


「徹夜や、三日連続の仮眠のみでの勤務などという無茶は、おやめくださいませ」


「……っ」


 心当たりがありすぎて、言葉に詰まる。


「そのような働き方をされそうな方だ、と団長様から伺っておりますので」


「セイジュ様」


 私はじろりと隣を見上げた。


「余計な先入観を与えないでいただけます?」


「事実だ」


 即答された。ひどい。


「王宮では、倒れる寸前まで働かされていたと聞いている」


「倒れる前にちゃんと休んでいました」


「一度、限界まで魔力を絞り出してからだろう」


「それは……状況が、そうさせただけで」


 ぐうの音も出ない。


「お二人とも、仕事熱心なのは結構ですが、倒れてしまっては元も子もございません。塔の規則として、無茶な長時間労働は禁止させていただきます」


「規則……」


 働き方を先に心配されること自体が、新鮮だった。


「アリア」


「はい」


「聞いたな。ここでは、無茶は禁止だ」


「はい、団長様。そちらも、ですよ」


 わざと敬称を強調すると、セイジュ様がわずかに眉をひそめた。


「……俺は倒れない」


「そういう問題ではありません」


 私が即座に突っ込むと、マリアナが声を殺して笑った。


「団長様も、研究に没頭されるとお食事を忘れがちですから。お二人まとめて、きちんと管理させていただきます」


 まとめて。


 その言い方に、なぜか少しだけ背中がむずがゆくなる。


 ◇


「では次に、研究関連のフロアをご覧いただきます」


 居住フロアからさらに上へ上がると、空気の密度が変わった。


 肌を撫でるような微細な魔力の振動。壁面には、さきほどよりはっきりした魔方陣が刻まれ、その線は床や天井にまで連結している。


「こちらが研究室群のフロアです。魔導師団所属の研究者が、それぞれのテーマごとに部屋を使っております。アリア様の専用研究室も、一室確保してございます」


「専用……」


 その響きに、思わず足が止まる。


「王宮では、空いている机をその日ごとに使っておりましたので」


「承っております。ですから、こちらではきちんとアリア様の場をご用意いたしました」


 廊下の一角に、まだ名前札のかかっていない真新しい木の扉があった。


「表札は、アリア様のお好みで。『結界研究室』『国境防衛課』など、お好きな肩書きをお選びくださいませ。宰相閣下からは、『予算は出すから好きにやれ』とのことで」


「ユリウス様らしいですね……」


 でも、不思議と嫌な重さではなかった。


 廊下の反対側には、大きな扉がいくつか並んでいる。


「この先が実験場です。攻撃魔術の試験や結界の衝撃耐性を測る際は、申請の上でお使いください。壁と床に多重防御が仕込んでありますので、多少の爆発ではびくともしません」


「多少って、どの程度までが『多少』なんでしょう」


「そうですね……以前、団長様が国境線規模の模擬魔術を試された時も、外壁は無事でした」


「それ、試す魔術の方がおかしくありませんか」


「必要な検証だった」


 セイジュ様は、悪びれもせずに言った。


「戦場で使う前に、できるだけ安全な場所で試しておくべきだ」


「理屈は分かりますけれど……」


 そう言いかけて、ふと足元に視線を落とした。


 廊下の石畳一枚一枚に、極細の魔力線が刻まれている。その線は、壁の魔方陣と連結し、さらに階段の方へと流れていく。


 ――塔全体が、一つの巨大な魔術回路。


 頭の中で、思わず図が描かれていく。

 地上から天井まで、縦横に走る魔力の流路。研究室の魔術陣と、実験場の防御陣と、下層の魔力炉から上がってくるエネルギーのラインが、きれいに組み合わっていた。


「……面白い」


 気づけば、口から言葉が漏れていた。


「アリア?」


「あ、いえ。塔の魔力流路が、とても整っているので。研究室で使う魔術の負荷が、きれいに分散される構造になっているんですね」


 早口になっていた自覚はある。

 でも、セイジュ様はいつものように真剣に聞いてくれていた。


「やはり、おまえに見せて正解だったな」


「……見せるつもりで設計されたんですか?」


「当たり前だ。ここは、おまえの研究拠点でもある。最初から、そのつもりで組んである」


 さらりと言われて、胸の奥がまた少し温かくなる。


 マリアナが、そんな私の様子を見て、穏やかに目元を緩めた。


「結界のこととなると、表情が生き生きなさいますね、アリア様」


「そ、そうでしょうか」


「ええ。とても。――では、最後にもう一つだけ、重要な場所をご案内します」


 ◇


 研究フロアを抜け、さらに階段を上っていくと、空気の質がまた変わった。


 さきほどまで肌を撫でていた魔力の流れが、今度は深いところで重く脈打っている。

 一段上がるごとに、胸の奥で何かが共鳴するような感覚が強くなった。


「ここから先が、『塔の心臓部』にあたる中枢フロアです」


 マリアナが足を止めた先に、他の扉とは明らかに違う気配を放つ扉があった。

 重厚な黒い扉。中央には複雑な多重魔方陣が刻まれている。その線のいくつかは階段を伝って下層へ、そしてさらに上層へと伸びているのが、魔力感知で分かった。


 ――ここだ。


 塔の奥底から感じていた大きな脈動の源。

 私の魔力が、勝手に共鳴しようとする。


「アリア?」


 隣から、セイジュ様の低い声。


「顔色が少し、強張っている」


「あ……いえ。少し、懐かしい感じがしただけで」


「懐かしい?」


「アストリアの大結界中枢室と、雰囲気が似ている気がして」


 膨大な魔力を集約し制御する「心臓」を抱えた空間特有の圧迫感。


「中枢フロアは、通常時は団長様と、限られた技術者しか入れません」


 マリアナが、黒い扉を一度だけ見やる。


「アリア様にも、いずれ正式な手続きの上で立ち入っていただく予定です。その際には改めてご説明いたしますね」


「はい」


 いずれ。

 その言葉が、静かな期待となって胸に落ちる。


 ――ここは、私の新しい仕事場の、さらに奥にある「心臓」。


 いつかそこに立つ日を想像して、指先に力が入った。


「さて。最後に、お部屋を決めてしまいましょうか」


 マリアナがぱん、と軽く手を打つ。


「先ほどご覧いただいた居住フロアに戻ります。団長様のお部屋はすでにございますので、アリア様のお部屋をどちらになさるかを」


 再び居住フロアに戻ると、廊下の端に並ぶいくつかの扉の前で、マリアナが立ち止まった。


「こちらが団長様のお部屋。そのお隣と、向かい側とで、どこをお使いになりますか?」


「お、お隣か、向かいか……」


 距離が近いのは分かっていたが、ここまでとは。


「当然だろう」


 セイジュ様が、当たり前のように言う。


「連絡や相談が必要なとき、すぐに行き来できた方が効率がいい」


「効率の問題なんですね」


 そういうところだけ、本当にぶれない。


 マリアナが、くすっと笑みを深めた。


「少し離れた位置にも空き部屋はございますが……」


「いえ、近い方が、たしかに便利だと思います」


 仕事のことを考えれば、そうなる。

 私は、団長室の隣の扉に視線を向けた。


「では、このお部屋を」


「かしこまりました。では、こちらにアリア様のお荷物を――」


「一緒の部屋でもいいが?」


 不意に挟まれた低い声に、思考が見事に停止した。


「……はい?」


 今、何と?


 恐る恐るセイジュ様の方を見ると、いつもの無表情のまま、さらりと言葉を継いだ。


「生活動線の効率だけを考えるなら、同じ部屋の方が――」


「考えなくていいです!」


 慌てて遮った。顔から一気に熱が上がるのが分かる。


「いくら何でも、その選択肢は飛躍が過ぎます!」


「そうか?」


「そうです!」


 私が全力で否定すると、セイジュ様は一瞬だけ黙り込んだ。

 そして、わずかに視線を逸らしてから、ぽつりと言う。


「……冗談だ」


「最初からそう言ってください!」


「半分だけな」


「半分でも駄目です!」


 マリアナが、喉の奥でくすくすと笑った。


「団長様。そのようなことは、段階を踏んでからにしてくださいませ」


「段階……?」


「ええ。たとえば、ご婚約のご報告などを正式に済ませてから、ゆっくりとご相談なさるのがよろしいかと」


「……検討する」


 さらっと恐ろしいヒントを出さないでほしい。


 私が真っ赤になった顔を両手で押さえていると、マリアナが優しく微笑んだ。


「ともあれ、本日は長旅と、大きな決断のあとでお疲れでしょう。お部屋の支度は整っておりますので、いつでもお休みいただけます」


「ありがとうございます」


 本当に、今日は色々ありすぎた。


 婚約破棄。国の外への一歩。新しい塔。新しい立場。

 頭も心もフル回転で、そろそろ限界を訴え始めている。


 それでも。


 廊下の窓から差し込む夕陽の色を見ながら、私はそっと息を吐いた。


 王都ヴァルディアの空は、アストリアより少しだけ赤みが強い。

 そして、この塔を満たす魔力の流れは、どこまでも穏やかで、整っている。


 ――ここからが、本当の始まり。


 国の盾だった私ではなく、一人の魔導師として。

 この塔の、そしてガルディアの一員として。


 新しい日々が、静かに動き出そうとしていた。


ここまでお読みくださりありがとうございます!

第27話では、アリアの新しい拠点となる研究塔のお披露目回でした。

セイジュとの距離も、物理的にも精神的にも(?)じわじわ近づいてきた気がします。

続きが気になる、塔の心臓部が見たいと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援してくださると、とても励みになります!

次回もがんばります。


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