番外編2 グラナの昼休み
国境都市グラナの鐘は、王都のものより少しうるさい。
でも、この街には、その騒がしさがよく似合っていた。
「昼だな。ひとまず、休憩にしよう」
外壁上で結界の状態を確認していた私に、副団長のリカルドさんが声をかけてくる。
「北側の緩衝層、少し厚くしておきました。瘴気の流れが変わりそうなので」
「助かる。……さて、団長、降りるか?」
リカルドさんが背後を見ると、いつのまにかセイジュ様が結界の端を見上げていた。
「問題ない。行く」
短くそう言って、私たちは階段を降りる。外壁の上から見下ろすグラナの市街は、いつ見ても不思議な景色だ。
戦の影が常にあるのに、人々はちゃんと暮らしている。
洗濯物が揺れ、子どもたちが内壁の近くで走り回り、商人たちが声を張り上げている。
「今日は、市場の奥の食堂に行くぞ。ここの煮込みはうまい」
リカルドさんに連れられて辿り着いたのは、兵士たちで賑わう食堂だった。木の扉を開けると、香辛料と肉と野菜の匂いが一気に押し寄せる。
「団長だ」「結界の魔導師様も来てるぞ」
ざわっと視線が集まって、思わず背筋が伸びた。
「アリア様、いつもありがとうございます。ここのところ、本当に街が楽で」
給仕のお姉さんが、深々と頭を下げてくる。
「いえ、皆さんが前線で戦ってくださっているからこそです。私は、少し結界をいじっているだけで」
「その少しが、命綱なんですよ」
そんなふうにまっすぐ言われると、どう返していいか分からなくなる。
席に案内され、ほどなくして大きな器が運ばれてきた。
ぐつぐつと音を立てる煮込みスープ。ジャガイモと豆と肉がたっぷり入っていて、パンを浸すにはちょうどいい濃さだ。
「いただきます」
一口飲んだ瞬間、体の芯まで温かさが染み渡る。
「おいしい……」
「だろう。前線帰りにはこれが一番だ」
リカルドさんが豪快にパンをちぎりながら笑う。
向かいでは、セイジュ様が黙々と食べていた。
こういう場所でも、姿勢は変わらない。でも、時々視線がこちらに滑ってきているのには気づいている。
「何か、ついていますか?」
「いや」
即答したあと、彼は少し考えるようにスプーンを止めた。
「……少し、増えてもいい」
「何が、ですか」
「おまえの、全体的にだ」
全体的に。
全体的に、とは。
「それは、つまり……太れということでしょうか」
「健康的な範囲で」
真顔だ。
「結界を張るとき、あまりにも細すぎると、見ていて落ち着かない」
「魔力の器は大きいので、見た目ほど虚弱ではありません」
「分かっているが、気分の問題だ」
周囲の兵士たちが、なぜかうんうんと頷いているのが見えた。
「団長、分かります。うちの子どもも、冬はよく食べさせて……」
「おまえたちは黙って食え」
セイジュ様の低い一言で、テーブルが慌てて静かになる。
私はというと、顔から火が出そうだった。
「……気をつけます。せめて、倒れない程度には」
「倒れるな」
「はい」
食事を終え、店を出ると、外の空気は少し冷たくなっていた。
北の山脈から吹き下ろす風が、街全体を撫でるように抜けていく。
「午後は?」
「内壁側の避難結界をもう一度確認しておきたいです。避難所の出入り口も」
「ああ、大神殿の地下のやつか」
リカルドさんが頷く。
「最近ようやく、『避難訓練』って言葉が街に浸透してきた。あんたの案だろう?」
「いざというときにきちんと動けなければ、結界を強くしても意味がありませんから」
最悪の事態を想定して結界を設計するのは、仕事柄当たり前の癖だ。
子どもたちが遊んでいた内壁の前を通ると、昼休みも終わりらしく、親が呼びに来ていた。
「お母さん、今日も魔物来ない?」
「来ないように、お姉さんたちががんばってくれてるんでしょ」
その会話が、胸にしまってある何かを静かに叩く。
王都を守っていた大結界は、顔の見えない人々のためのものだった。
グラナの結界は、こうして名前も表情も分かる人たちのためのものだ。
「……この街は、好きです」
ぽつりとこぼすと、隣を歩いていたセイジュ様がこちらを見た。
「そうか」
「はい。怖くないと言えば嘘になりますけれど。でも、怖いからこそ、きちんと守りたいと思える場所です」
「なら、そのために結界を張れ。俺たちはその外側で殴る」
とてもシンプルで、とても心強い役割分担だ。
「頼りにしています」
「当然だ」
夕方にはまた外壁の上に戻り、夜には瘴気の光る谷を見下ろすのだろう。
それでも、この昼の温かさを知っているから、私は夜の闇に立ち向かえる。
国境の鐘の音が、遠くで鳴った。
番外編2まで読んでくださりありがとうございます!
国境都市グラナの、少し物騒で少しあたたかい昼休みを楽しんでいただけましたでしょうか。
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