番外編1 研究塔の初めての朝
目を開けた瞬間、天井が違うと分かった。
見慣れた王都ルクスリアのレイン伯爵家の天井ではない。豪奢な装飾も、古いシャンデリアもなくて、かわりに滑らかな石のアーチと、淡く光る魔術式が走っている。
ここは、ガルディア王都ヴァルディア。
セイジュ様の研究塔の、私の部屋。
体を起こすと、寝台の横で小さな魔導灯がふわ、と明るさを増した。窓から差し込む光も、どこか違う。
王都より少し乾いた空気。魔力の流れは……そう、さらさらとしていて、でも芯が強い。
「本当に、来てしまったんですね、私」
自分に言い聞かせるみたいに呟いてから、顔を洗って髪をまとめる。
ノックの音。扉を開けると、昨日も挨拶したばかりのメイド長、マリアナがにこりと頭を下げた。
「おはようございます、アリア様。眠り心地はいかがでしたか」
「よく眠れました。結界が安定している場所は、やっぱり落ち着きますね」
「それは光栄です。塔全体の結界設計は、団長とアリア様の論文を参考に組み直したと聞いておりますので」
……さっそくプレッシャーがすごい。
苦笑しながらうなずくと、マリアナは手際よく外出用のローブを選んでくれた。
「本日のご予定ですが、午前中は塔内のご案内と、簡単な設備の説明を。昼食後、陛下と宰相閣下への御挨拶に向かわれます」
「正式に、『独立した魔導師』として、ですね」
王妃候補ではなく。
誰かの付属品でもなく。
「はい。アレクシス陛下も、アリア様をお迎えできるのを楽しみにしておられますよ」
そんなことをさらりと言ってくるあたり、この国の王様は本当に懐が深い。
身支度を終え、マリアナに案内されて食堂へ向かう。
塔の廊下には、魔力を循環させる小さな魔方陣が一定間隔で刻まれていて、歩くだけで「ここは研究のための場所です」と主張してくる。足音と一緒に、魔力の気配が心地よく揺れた。
「おはよう」
食堂の扉を開けた途端、低い声が聞こえた。
窓際の席で、黒髪の青年が片肘をついて座っている。少しだけ寝癖が跳ねていて、いつもの完璧な団長モードとは違う、レアなセイジュ様だ。
「おはようございます、セイジュ様」
「その呼び方、そろそろ変えてもいい」
「いきなりは無理です」
そう答えると、彼はむっとしたように眉を寄せ、しかし何も言い返さずにカップを口に運んだ。
テーブルには、焼き立てのパンとスープ、それから卵料理と果物。王都の朝食より少し質素だけれど、そのぶん香りがしっかりしている。
「どうだ」
一口スープを飲んだところで、セイジュ様が不器用な確認をしてきた。
「おいしいです。……塩加減が、王都より控えめですね」
「前線でも同じ味にしている。塩を控えた方が、長く持つ」
なるほど、軍事国家。
食事を進めながら、今後の話が出てくる。
「塔の最上階に、おまえ専用の結界研究室を用意してある」
「専用……?」
「図書室とは別だ。結界式の試作や魔力の流路の実験は、どうしても魔力負荷が大きい。静かに潰せる部屋の方がいいだろう」
「静かに潰せる、という表現はどうかと思いますけれど」
「事実だ」
出ました、事実だ。
思わず笑ってしまうと、セイジュ様はほんのわずかに視線を外し、咳払いをした。
「それと、机の引き出しに、空のノートを数冊入れてある。……足りなければ、すぐ追加を用意する」
「そこまで……」
「おまえの研究は、国の防衛ラインに直結する。資源を惜しむ理由がない」
真正面から言い切られると、背筋が少しだけ伸びる。
王都では、「便利だから」「今いるから」という理由で頼られていた。
ここでは、「価値があるから」「必要だから」求められている。
似ているようで、全然違う。
「……がんばらないと、ですね」
「もう十分がんばっている」
即答だった。
「この国では、少しくらい肩の力を抜いていてもいい。研究のためなら、なおさらだ」
「セイジュ様が言うと、説得力がありますね」
「冗談ではない」
彼は淡々としているけれど、カップを持つ指先に、ほんの少しだけ力がこもっていた。
「ここは、おまえの拠点だ。いつでも、好きなだけ結界を張ればいい」
好きなだけ結界を張る、というのもなかなか物騒な言葉だけれど。
それを聞いた瞬間、胸の奥で、長く固まっていた何かが音を立ててほどけた気がした。
「はい。……ここから、私の研究と人生を、ちゃんと自分のために使います」
そう告げると、セイジュ様は満足そうに目を細めた。
「なら、俺はそれを横で見ている。必要なら、少し手を出す」
「少し、ですか」
「半分くらいだ」
「多いです」
朝の光が、研究塔の窓から差し込む。
王都の空より、少し高い。少し遠い。けれど、驚くほど近く感じる空だった。
ここから始まる毎日を、私はきっと何度も思い出すのだろう。
番外編1まで読んでくださりありがとうございます!
王都を離れたアリアの「新しい朝」を、少しでも胸きゅんしながら見守ってもらえたなら嬉しいです。
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